街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

安部山公園夜桜

2009-04-09 10:13:01 | 朝顔 花


 久しぶりに夜桜見物に出た。肌寒くて風邪をひきそうになったが、車のライトに照らされる桜に見とれてそれもわすれるほどであった。
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春の秋月街道

2009-04-08 10:22:16 | 秋月街道

 香春駅前から香春岳(一の岳)を望む。その昔は銅を採掘していたのだが、現代はセメントを採掘している。
 その昔の姿などは想像出来ないが、あの河内王はその姿を見つつ亡くなったのかもしれん。
 まだそれ以前、新羅からの渡来人たちはここを本拠地として銅を採掘した。彼らの心を癒す手段としてもこの山を眺めたであろうか。

 香春神社の脇に咲く桜である。まさに桜が雪崩をうっている様である。遠望であるがゆえの見かたである。
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山道を行く

2009-04-08 10:16:21 | 朝顔 花

 桜が雪崩をうって見える。この様な光景は春の賜物である。日本各地には有名な桜は数え切れないほどにあるのだろうが、名も無い桜にも目を奪われるのは我々だけではなかろう。

 新緑の中の純白は新雪に譬えられるのも頷けると言うものだ。
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続またまた汐湯(母編)

2009-04-08 10:07:47 | 中津街道


 樹齢1900年の凄さがお判りだろうか。この前で神事が執り行われたというのも頷けると言うものである。
 母と比較しようが私と比較しようが全く持って変りはないのである。
ただこの素晴しき世界を見ていただければよい。何度も言うようだが日本の巨樹の内でも第三位だ。こんなにも身近に見ることが出来るのは幸いであると言っても過言ではなかろう。
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春の秋月街道

2009-04-07 09:18:15 | 秋月街道

 河内王が静かに眠る。今日は少しは賑やかである。当時の子孫達が目の前を歩いてゆく。

 陵墓から終焉の地を望む。
 その当時は交通の要所であった。目の前を大宰府への官道が東西へ延びていた。今でも東西南北の道路が交叉する地である。その様子を河内王は見守っているのであろうな。
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続またまた汐湯(母編)

2009-04-07 09:07:54 | 中津街道

 樹齢1900年とはあるがまだまだ勢いがある。

 素晴しいの一言だ。
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山道を行く

2009-04-07 08:54:57 | 朝顔 花

 土手の下、川の始まる所に休憩所のような場所があり、さまざまな草木が植樹され色彩を放っていた。もう山道は終わりだ。

 今まで頭上ばかりに目がいっていたが、当然のように木々ばかりではない。露地に咲く花にも目を奪われる。
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春の秋月街道

2009-04-06 08:18:22 | 秋月街道


 立て札にあるように宮内庁が管理する 勾金陵墓参考地 である。
 万葉集 巻の第三 挽歌 による 
河内の王を豊前の国の鏡の山に葬りし時、手持の女王の作れる歌三首
 417 王(おほきみの)親魄(むつたま)合へや豊国の鏡の山を宮と定むる
 418 豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさず
 419 石戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
 (角川文庫 万葉集 上巻 昭和48年4月30日 34版)
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山道を行く

2009-04-06 07:22:29 | 朝顔 花


 山道を下ると池に出る。昭和28年の大水害で、この土手が崩壊するかもしれないという警報が発令され、母は二歳の姉と乳飲み子であった私をおんぶして非難したのである。父は関門鉄道トンネルが水に浸かってしまったためその警戒と作業に徹夜で勤務していたのである。

 小学生、中学生のときはよく釣に来た。高校生のときは愛犬を連れて散歩に来た。その風景は今も全く変らない。
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続またまた汐湯(母編)

2009-04-06 06:53:50 | 中津街道

 さて、金富神社を後にして本命の一つに向おう。

 ここは築城町本庄である。城井川を遡る。その昔、中津黒田氏によって謀殺された宇都宮氏の本拠地の一部である。
 看板を読んで頂けばお判りになろう。一世紀に芽生えそれが今に続く。邪馬台国以前から生きている。この様な地に日本で三番目の巨木を見ることが出来る素晴しいことではないか。
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