かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

印度入魂の旅 その8 サーンチ③

2012年10月02日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


トーラナの先に、雨季ならではの光景が広がる。



欧米人も、口あんぐり。



ヤクシーの後ろ姿。この衣装は、当時の、ムンバイ地方の物という。下に見えるのは、小仏塔跡。



仏塔の回廊。時計回りに回る。



回りには、寺院跡が残る。



中には、仏像も残されている。もちろん、サーンチの仏塔よりは、ずいぶん後代のものになる。



カーマスートラの影響もある。ごく初期のものだ。



第三仏塔を臨む。グプタ朝時代の柱も残る。アショカ王の石柱よりずいぶん小振りだ。



第三仏塔。トーラナは一つだけ残る。



第二仏塔は、第一仏塔から数百メートル下ったところにある。途中にあった石造物。米櫃らしいが、スリランカで見たものの方が、全然大きい。



第二仏塔に向かう途中、第一塔を見上げたところ。



第二仏塔。トーラナは残されていない。



第二仏塔の見どころは、欄干。



多数、きれいに残されており、見ていて、きりがない。



アショカ王の石柱の上で、法輪が回っている。



第二仏塔が有名なのは、ここで、ブッダの十大弟子の内の二人の舎利が発掘されたからだ。
もちろん容器にそう記してあっただけで、証明のしようがないのだが、この仏塔の歴史が歴史だけに信憑性が高い。

この写真の考古学博物館に、その舎利容器が展示されていると聞いて行ったのだが(入場料無料だが、内部の撮影不可、チケット売り場の近くにある)、聞くと、ネールの誕生月の、11月の最終日曜日1日のみの公開という。
別に減るものではないので、是非常設展示してもらいたいものだ。ちょっと残念。

ということで、この博物館の見どころは、アショカ王の石柱の上にあった獅子像。
サールナートにより完全なものがあり、それは、印度紙幣のデザインにも使われているのだが、この像もなかなかの迫力。ずいぶん傷んではいるものの、迫力十分。
その量感が凄い。この像を支えた柱は、相当な強度であったはず。逆に、その強度がなかったから、折れてしまったのか。
そういえば、サールナートの石柱も、同じ感じで、折れていたっけ。
その他の展示物も、たくさんあるが、やはり、損傷が激しく、一級品と呼べるものは、見つからなかった。
コメント
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