今日、箱根駅伝をTV観戦してたら、12/28に行った小涌園の映像が出ていた。ずいぶん、雪は、なくなってたね。
音楽の話をし出すときりないんだけど、11月の奈良京都の旅のご報告もそろそろ。
ということで、話は、2日目の葛城の道から。
船宿寺を後にし、風の森神社に向かった。交通量の激しい道を歩くので、のんびり散策という感じではない。
葛城の道は、ルートを外れると、交通量の激しい県道30号線を通るしかなくなるので、なるべく、忠実に、葛城の道を歩いた方がいい。
県道沿いに、こんな人形が。カカシではないと思うが、観光用とも思えない。謎だ。
まず、風の森神社を探したが、こんな道標があった。でも、周りは、田んぼ。近くに鎮守の森があったので、入ってみた。
そしたら、見つけた。
小さな社で、びっくり。
かろうじて古びた案内板があった。それによると、
”風の森神社 本社は、御所市大字鴨神、旧高野海道 風の森峠の頂上に位置しています。 御祭神は、志那津比古神をおまつりしています。志那津比古神は、風の神であり、古事記、日本書紀には、風の神に因んだ事柄が、記載されています。 又、葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地ともいわれており、風の神は、五穀のみのりを、風水害から守る農業神としてまつられています。 日本では、古くから風の神に対する信仰があり、毎年旧六月には各地で、薙鎌を立てて豊作を祈る風祭が行われています。”
と記されていた。
神社近辺から、葛城山方向を臨む。
山に向かって行くと、高鴨神社がある。
清々しい、光景だ。
あまり、大きくないが、きれいに整備されている。
葉も色付き始めている。
高鴨神社の説明書きには、ちょっと長くなるが、以下のようにある。
本殿 国指定重要文化財 天文12年(室町時代1543年)再建
御祭神 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))・事代主命(ことしろぬしのみこと)・阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと)・下照姫命(したてるひめのみこと)・天稚彦命(あめわかひこのみこと)
当地は、少なくとも縄文晩期より集落が形成され祭祀が行われていたことが、近年の考古学調査で、明らかになっております。
当高鴨神社は全国鴨(加茂)系の神社の元宮で、古代より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。
主祭神の阿遅志貴高日子根命は亦の御名を迦毛之大御神と申され、この大御神と名のつく神様は、記紀には、天照大御神、伊邪那岐大御神と三神しかおられず、死した神々をも甦えらせることができる御神力の強き神様であります。
迦毛之大御神は、北は青森県から、南は鹿児島県に至るまで約三百社でお祀りされており、妹神の下照姫命は全国、約百五十社でお祀りされております。
福島県一宮の都々古別神社、栃木県の日光二荒山神社、高知県一宮の土佐神社、関東方面では秋葉原神社等、鴨と名のつかない神社も数多くあり、伊勢の皇太神宮の摂社の中にも鴨神社が祀られております。
「カモ」は「カミ」の語源の一つと考えられており、「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出しているさまを表しております。
県内には、延喜式神社が二百十六社あり、その中でも特に霊威が強く月次・相嘗、新嘗の祭りに、官幣に預かる名神大社は僅か十二社しかありません。その内の五社(高鴨神社、高天彦神社、一言主神社、鴨都波神社、葛木坐火雷神社)がここ葛木地方にかたまっております。
当時、この地方が朝廷を始め国家にとって重要な位置を占めていたことがわかります。一つの理由として背後の山と深い関係があります。金剛山は、明治四年までは女人禁制の霊山で、役行者、行基、円光、道鏡などが修行した山です葛木の峰(現在の金剛山、葛木山など)には霊力の強い神々が住み、そこで修行をすればその神々の験力が得られるとされ、験力を修めた人のことを修験者(行者とも)と呼ばれました。
長くなったが、伊勢神宮よりずっと前から、神聖な場所であったことがわかる。
入口に、蕎麦屋兼葛木の道歴史文化館がある。
中には、高鴨神社の四季の写真と、この地から発掘された土器などが展示されている。
ということで、元祖神社を訪れることができた。