
今日は、初仕事。増上寺に、お参りに行ったが、初詣は、やっぱり神社がいい?

高天彦神社から、高天原は、その名が示すように、またきつい坂を上ってきた後ということで、気持ちのいい原っぱが広がる。
万葉集歌碑があった。
葛城の 高間の草野(かやの) 早知りて
標(しめ)刺さましを 今そ悔しき
この草野を知っていれば、しめ(しるし)を立てておいたものを。
のような意味らしい。
いずれにしても、万葉の世から、この原っぱが知られたものであることはわかる。
そして、背後の山の紹介が、
案内板に向かって
右手の山は葛城山。
正面の山は白雪嶽。
その後ろに金剛山山頂が見える。
背後左手の方に吉野の山々が見え、
少し上に上ると寺の屋根ごしに、
遠く大和三山が臨まれる。
遠く離れたところに思うけど、吉野にも、奈良盆地にも近いんだ。

この石標がなければ、ただの草原である。
まさに、万葉の歌通り?

その先に、先ほどの案内板を作ってくれた橋本院がある。

質素なお寺である。
説明版には、
高野山真言宗 高天寺橋本院
四十四代元正天皇(715・24)の勅により養老年間僧行基が開いた高天寺の一子院で、始めは、奈良興福寺に所属した。
(興福寺一乗院雑記)のち弘法大師の真言宗所属となる。
四十五代聖武天皇(724-729)も深く帰依し、中国より日本に来た鑑真も高天寺の住職に任命したといわれるほどの格式の高い大寺院であった。金剛山転法輪寺七坊の一つとして石寺、朝原寺などとともに権威を誇った寺であった。
本尊十一面観世音菩薩の立像は、木彫り547センチの巨像で江戸期に大修復された金箔の威容を誇る長谷式観音で生かせ命の本尊として近郷の信仰をあつめてきた。
大威徳明王を奉祀する。
寺宝の涅槃像は、珍しい木彫りで、目下奈良国立博物館に藏せられている。
とある。
中には、入らなかったが(入れたかもわからない)、なかなか凄いお寺のようだ。

目をひくのは、庭の木々。

何故か、紅葉の時期に桜が咲いている。
ここは、神の国か?

咲き乱れる花と紅葉が、何とも不思議。

庭には、可愛い仏像も。

橋本院の庭と、神々しい葛城の山々。

橋本院から、また険しい山道に入る。今度は、下りだから楽だけど。

上って行く方は、たいへんだし、不安にもなるだろう。
途中、登ってくる家族にあって、たいへんですかと聞かれたので、たいへんですと答えたら、帰りそうになったので、いやいや距離は大したことないですから、慌ててフォローした。
ここで、私のアドバイスがきっかけで、葛城の道踏破を諦められたたら、申し訳が立たない。

それにしても、こんな心細い所を通るハイキングコースも珍しい?

至るところで、地元の農家の人が、食べ物を提供してくれている。

坂を下りたところにあるのが、極楽寺。
ここまで、ずいぶん時間を浪費してしまったので、ちょうどのバスの時間に合わせるべく、外から、拝んだだけ。
北窪停留所から、名柄停留所にワープした。