かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良京都 空白を埋める旅その11 葛城の道⑥ 一言主神社

2014年01月08日 | Nara ( Japan )
正月に、ipodの音楽を入れ替えようとしたら、うまくいかない(バージョンがついていってない?)ので、もう調子もイマイチだし、今のipod nano に買い換えた。
快適快適。
前持っていたのは、第三世代、今のは、第七世代。違う訳だ。
部品一つ一つの進歩が凄いから、トータルでの進歩は、もっと凄くなっている。そして安くなっている。
ありがたや。



長柄停留所で降りて、長柄神社や中村家住宅に行きたかったのだが、場所がわからない。
近くのコンビニに聞いても誰も知らないし。
ということで、一言主神社に向かうことにした。
見所を逃さず抑えるのは、やはり足で行くのがいい。



一言主神社は、県道からも見えるので、必ず行ける。
葛城の道沿線の見所の中でも、もっとも、ミステリアスな神社。



境内にあった亀石。飛鳥のものよりも小ぶりだが。



地元での信仰も厚く、参拝客が絶えない。
拝殿の後ろの銀杏の木が、本殿から伸びているように見える。



説明板には、

延喜式に葛城坐一言主(かつらぎにいますひとことぬし)神社とした名高い
祭神は一言主
その昔、雄略天皇と葛城の一言主とが葛城山中でで会ったとき、一言主は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神 葛城の一言主の大神なり」と名のって天皇を畏れされたことが「記紀」にみえる。
爾来、庶民のあいだで、願い事を一言だけ聞きとどけてくださるイチコンジンサンとして親しまれ、崇敬されている。
社殿のあるこの地は、古くから神の降臨を示すカミダチという名で呼ばれていることが文書などに記されている。
社殿の右横にある「蜘蛛塚」は、「記紀」ツチグモの伝説から生まれた。
本殿の前にあるイチョウの巨樹は、目通り3メートル、高さ20メートル余、その根元には芭蕉の句碑がある。

と記されている。
謎が謎を呼ぶという感じだが、大和政権が恐れる何かが、この辺りにあったのだろう。
まさに消された日本史だ。
雄略天皇の話は、昨日紹介した本にも、傍若無人の雄略天皇の逸話の中で、唯一心暖まる逸話として紹介されている。当時の大和政権におけるこの地域の特殊性を表したものだろう。



これが説明書きにある大イチョウ。



こちらが、これまた謎を呼ぶ蜘蛛塚。



蜘蛛塚には、謡曲史跡保存会の説明書きがある。

謡曲「土蜘蛛」と蜘蛛塚
僧侶の姿に化身して源頼光の病気見舞に行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると、「汝知らずや我むかし葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見栄を切り、千筋の糸を投げかけて頼光を巻き殺そうとした。
頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、四天王渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の棲家をつきとめ遂にこれを退治した。その所に、「頼光朝臣塚」の碑があり、謡曲はこの説話をもとにして作られたものである。
後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き、病人が続出する有様に、またもや蜘蛛の祟りかと恐れ、これを安置して土蜘蛛灯篭として供養すると騒ぎは治まったという。
そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている。

謎が謎を呼ぶが、やはり当時の新生?大和政権が恐れた何かが、この地域に存在していたと考えるのが自然だろう。
コメント
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