かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

読み替えられた日本書紀

2021年01月17日 | Books

今日は、ゴルフ。
思ったほど寒くなかったが、スコアは、とほほ。



本書は、本屋で見つけた。
日本書記1300年にちなんだ企画のようだが、今まで全く違う視点からの本で、面白かった。
記紀に興味のある方には、是非お勧めしたい。

記紀でどちらが人気があるかというと、やはり古事記の方だろう。神々の話の量が圧倒的に古事記の方が多い。
平安時代には、記紀と先代旧事本紀が、古代史の歴史を伝える書とされていたが、先代旧事本紀は、偽書であることが判明している。古事記も、偽書説があるが、日本書紀は、たぶん奈良時代に作られたことに間違いなく、最高の書とされていたようだ。

しかし、その最高の書であるはずの日本書記が、時代時代によって、またその時の政治情勢、権力者の意向、宗教家の企みによって、いいように解釈されてきた様子が、明らかにされている。
驚くのは、平安時代に、日本書紀の解釈をめぐって、勉強会が開催されていて、そこで、すでに、摩訶不思議な議論がまかり通っていたことだ。

元寇の時代、江戸の儒学者国学者の時代、自分の都合のいいように、解釈されてきた。
最たるものが、明治に入ってからの、富国強兵、八紘一宇の時代だろう。
宮崎に行った時驚いたが、日本が海軍を増強する時に、日本書紀の神武の東征を、めいっぱい拡大解釈したモニュメントが多く残されていた。
学問というより、自分の考えや、権力のお墨付きを、日本書記に求めたという構図だ。

その際、古事記も、サポート材料として、利用され、特に、古日本語については、古事記の言葉が重宝された。
ただ、古事記がクローズアップされるのは、やはり本居宣長からで、彼がいなければ、今の古事記はなく、つまらない?日本書記のみが、歴史書として残ったかもしれない。

古代から、日本の歴史書として読み継がれた日本書紀。
しかし、その解釈のされ方が、大きくぶれ続けた様子が、歴史の面白さと言えるかもしれない。
ますまず、神社めぐりも楽しくなりそう?

コメント
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