かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

悠久のエジプトその12 王家の谷 ツタンカーメンの墓

2024年03月13日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、好天になったが、風は冷たい。
関西に日帰り出張中。



毎日ハイライトが続くエジプトだが、いよいよ王家の谷へ。
発掘の際、ハワード・カーターが拠点にした家が、今も残されている。
王家の谷から、車を使えば、そう遠くない。
当時は、ロバだったらしいが。



近くに、2代目のスポンサーだったカーナヴォン卿の家も残されている。
ツタンカーメンの墓発見後急逝したため、ファラオの呪いと言われている。
ミイラを見る前に亡くなった。



王家の谷のエントランスにある模型。
正面の山がピラミッドのような形をしており、その麓に、Vの字に谷が広がる。



その谷の地中に、多くの墓が発見された。
この地中まで見える模型は、面白い。
墓の形状も深さも様々だ。
当時の王朝は、カイロにあったが、墓は、盗掘を免れるため、遠いルクソールの山の中に作った。
しかし、その墓のほとんどは、無惨な盗掘に遭っている。

ただし、壁画や、レリーフは、多く残されており、規模、デザイン、色とも素晴らしい。
そして、同じく残されたヒエログリフが、当時のエジプトの様子を伝えてくれる。



いよいよ入場。
エントランスから、ちょっと距離があり、暑いので、ほとんどの人が、シャトルバスを使う。



お墓の入り口が見えてきた。
正面が、シンボルの山。



いよいよツタンカーメンの墓。
ここだけ、別料金。
小学生の時連れてってもらったツタンカーメン展から、60年近く経って、現地を訪れることができた。



そんなに深くないところに玄室があった。
発見された時は、副葬品が溢れていて、なかなか石棺まで辿り付かなかったが、今お宝群は、博物館にあるので、いきなり素晴らしい壁画類。
どれだけ修復されたのかは、わからないが、まさに昨日描かれたのではないかと思うぐらいの鮮やかさだ。
感激!

白い帽子がミイラの姿をしているツタンカーメン。
右が、ツタンカーメンの後継者であるアイ。
口開けの儀式を行おうとしている。

中央左、かつらと鉢巻、白いキルトの着物を付けた王が左手にアンク(生命の象徴)と王杖を持っている。
その左はヌト神。

左は、王の左手に立っているカーに伴われ、王が冥界の最高神オシリスに冥界に迎え入れられている。



石棺がそのまま残されている。



これは、葬列。
右が、オシリス神をかたどったミイラを納めた王棺。
厨子の上には、コブラの模様。



12匹の聖なるヒヒ。
冥界への門を開くのだという。
左上には、復活を象徴するスカラベを乗せた聖船。
右上は、神々の行列だ。



ミイラがそのまま安置されている。



世界の宝だ。



感動を胸に、墓を後にした。

PS
帰りに、久しぶりにE席に座れたので、写真を2枚(朝の富士山も綺麗だったが)。



伊吹山には、まだ雪が残ってる。



ソーラーアークは、まだ取り壊されていなかった。
SDG'Sのシンボルとして、何とか再生できないものだろうか。

コメント (3)
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