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今日は、冷たい雨。
お墓参りに行く予定だったが、明日に延期して、身の回りのことに集中。
夜は、高山博さんのオンライン講座。
前期、中期ときて、今回は、後期。
この時期もまさに怒涛の時期なのだが、解散に向かってまっしぐらと思うと、ちょっと寂しい時期でもある。
当時の社会現象や、ビートルズの動向については、かなり知っていることが多いのだが、回りの音楽の流行の状況と、ビートルズとの楽曲との関係については、初めての話も多く、本講座のポイントだと思う。
この時期、アルバム4枚と映画2本を作っているが、契約をこなすために追われながら作った感が強い。
その中で、これだけの名作を立て続けに出したビートルズは、やはり奇跡。
その第一弾が、アップル社設立後初のシングルで、大ヒットとなったHey Jude。
ジョンの息子のジュリアンを慰めた歌だが、もっと普遍的な意味を持つようになり、チェコのビロード革命でもテーマになったことは、NHKの番組でも取り上げられた。
面白いのは、ビートルズの歌は、結論を出さないのが特徴というコメント。
Hey Judeも最後スキャットで終わり、結論を出さない。
それが、楽曲が普遍的な価値を持つ一つの手法になっている。
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そのB面が、Revolution。
これも、時代を反映する名曲だが、ジョンは、B面となったことをひじょうに不満に思っていたはずという。
それまで、節目節目のシングルのA面はジョンの歌だった。
しかもRevolutionの場合、シングルにするためにテンポを早めたり、後半をカットしたりしたのに、Hey Jude は、その逆を行ったにもかかわらず、A面となり、ジョンの苦労はなんだったのか?
そんなこんなで、ジョンの関心は、ビートルス以外のことに向き始める。
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ちなみに、アップル社の最初のシングルは、ジャッキー・ロマックス、学生ブラスバンドによるイエローサブマリン、メアリー・ホプキンの悲しき天使だった。
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そこにインドが現れる。
サイケデリックの次はインド!
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そして、ヨーコ。
ヨーコの個展で、この”YES”でジョンは、参ってしまった。
ジョンはその後、アートシーンに近づこうとするが、ポールはずっと先を行っていた。
その結果の一つが、ホワイトアルバムの真っ白のジャケットだった。
そこには、ナンバリングがされたが、ポップアートは、大量生産されることが特徴だが、このナンバリングには、同じものは2つないという意味があった。
ちなみに、その桁数は、その後もアルバムは売れ続けたため、ナンバリングを続けていたら桁数が足りなくなっていた。
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その1曲目が、Back In The USSR。
インドでも一緒だった(マイク・ラブ)ビーチボーイズのサーフィンUSAをもじった歌だが、こちらの方が、ハードロック色が強い。
ビートルズは、当時、回りの音楽との差別化を図るため、ヘビー化する傾向にあったと高山さんは言う。
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ちなみにサーフィンUSAは、チャックベリーのSweet Littele 16とメロディが全く一緒。
ビーチボーイズは訴えられている。
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チャックベリーの歌も流されたが、確かに全く一緒。
当時は、パクリの基準があいまいで、特にロックはメロディがシンプルなため、似た楽曲が多数存在した。
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ビートルズはポップ過ぎるという批判を気にして、どんどんヘビーなものになっていった。
その時、最もハードと言われたThe Whoだが、ポールは、ヘルター・スケルターで、The Whoを上回る騒々しさを求めた。
クリームのブルースをベースにしたロックにも影響を受け、While My Guitar Gently Weepsなどの名曲も生まれた。
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一方で、Black Birdのような楽曲も生まれた。
この辺は、方向感が定まらず、コントロールが失われた様子を反映している。
ジョージ・マーティンも、ビートルズをコントロールできなくなっていた。
ジョージ・マーティンは、ホワイト・アルバムを1枚のアルバムにしたら大名盤になったろうと後に語っている。
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ちなみに、ポールはこのギタリストの影響を受けた曲だと言っているが、全然似ていない。
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当時、人気急上昇中のS&Gを意識していたこともあったろう。
アップル社の経営もおかしくなっていく。
GET BACKセッションは、そんな中でスタートした。
大作ホワイトアルバム発表後まもなく、在庫もすっからかんになったところで、かなり無理があったが、映画製作の契約履行、アルバム制作の契約履行、久しぶりのライブという1石3鳥のプロジェクトということで、スタートした。
その前後、周辺に加わったメンバーには、今度来日するジェイムス・テイラー、バッド・フィンガーなどまともなミュージシャンもいたが、マジック・アレックスという虚言癖のある変人や、アレンクラインのような金の亡者もいた。
一方、ポールの新しい恋人になったリンダの父のイーストマンは、アレン・クラインと対立し、解散の一因となっていく。
ヨーコも含めて、NYとの関わりの強い人物が、ビートルズの回りに集まって来て、引っ掻き回された感が強い。
ロネッツなどを育てたフィル・スぺクターもその一人。
リバーブ(残響)効果を強調したサウンドで、一世を風靡した。
音の壁とも評される。
そのフィル・スぺクターの仕事振りをジョンが気に入り、Let It Beの編集を任せてしまったのが、解散の決定的な引き金になった。
ポールがR&B的な曲を志向していたThe Long and Winding Roadに、荘厳なオーケストレーションを加え、かつ最後のコードまで変えてしまった。
ポールは、マイナーコードだったのに、フィルは、メジャーコードに変えてしまった。
かつポールのソロアルバムの発売日が被ってしまった。
ジョンは、フィルの仕事の質と速さにほれ込み、その後しばらくフィルにべったりになる。
GET BACK(初心に戻れ)のプロジェクトが、 LET IT BE(なるようになれ)のプロジェクトになってしまったとの評だが、言い得て妙。
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For you Blueは、フリートウッド・マックのブルースの影響を受けている。
時代に取り残されないように、回りの流行に敏感だった。
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Somethingは、誰しもが認める名曲だが、それまで、ジョンやポールしかサポートしてこなかったジョージ・マーチンが、ジョージにも目を向けた結果と高山さんは言う。
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Oh Darlingは、ポールの名曲だが、スワンプ・ロックの影響を受けたものという。
確かに全体の雰囲気がそっくりだ。
Come Togetherは、よく言われるように、チャックベリーのYou Can’t Catch Meにそっくりで、Get Backの映画の中でも、ポールが指摘している。
そこで、テンポをスローにして、印象的なベースとドラムを入れたが、やはり訴えられて、ジョンは、チャックベリーに印税が落ちるように彼の曲をカバーした。
その中で、You Can’t Catch Meを入れたのは、ジョンの皮肉だろうという。
アビーロードのB面は、有名なメドレーだが、まさに在庫一掃セール。
ただ、アレン・クラインのことを歌ったYou Never Give Me Your Moneyは、最初と最後を締めており、その後大団円となるThe Endにつながる。
Carry That Weightは、自分達に向けた曲のようにも、聞こえる。
ただ、そこはビートルズで、Her Majestyというパロディ曲を最後に入れ、茶化してしまう。
偶然の消し忘れを面白がって残したのだが。
あくまでも権威になることを拒んだラストだった。
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最後は、ビートルズ最後の新曲であるNow And Then。
ジョンがビートルズの曲として発表されると予想していたとは思えないが。
元のジョンのテープを始めて聞いたが、AメロとBメロは使い、混乱している中間部は、全てカットしている。
高山氏は、ポールだったら、ここも使えてたはずだが、新たな歌(声)を加えることを制限されていたのではないかと想像している。
それもありうるかもしれない。
ということで、とても書ききれないが、大充実の1時間半だった。
次は、坂本龍一シリーズを計画中とのこと。