白き霊廟とは対比的な、こちらは赤い城塞アグラ城。または「アーグラ城」。でも私は「アグラ城」で押し通します。
こちらも世界遺産。
インドは中国に次いで世界遺産が世界で二番目に多いのだそうです。現地ガイドさんが自慢をしてました。そっりゃ、歴史が違うものね。
だけど私、タージマハルの美しさに圧倒されて、この城では意識の手抜きが起きてしまいました。
別の言い方で言うと、疲れ始めていてあまり熱心尚且つどん欲に見ると言う事をしていなかったかも知れません。
今になって「アグラ城」の画像検索をしてみると、最初に撮るべき場所で撮ってなかったようにも思いました。
象が人を運んだ強固な道は入口のアクバル門に通じ、その背後にはまさに要塞のような赤い壁がそそり立っているのです。
ただけだるい思いで入場を待っていた私は、ツアーで知り合った人や友達とおしゃべりをして待っていました。
今思うと、ここでの画像がないのが悔しい・・・・・
これを「後の祭り」と言うのですよね。
まあ、ネットの画像検索で見ればいいや・・・・って、それは違うか 💦
そそり立つ赤き城塞
アマル・シング門から。
ここからまたセキュリティチェックされてようやく入場します。
そしてトップ画像の所に行くのですが、この城の前でガイドさんから長い説明を受けました。
周りをぐるりと囲む城壁の上の道は馬で走る事が出来るとか…すごいね。
お城の中に入って行くと中庭に出ます。
すべての所に名前がちゃんとあるのだけれど、日本の観光地のように親切丁寧な地図とか無いのでよくわかりません。
でもここは、今でも軍の管轄になっている場所が多数あって見学不可の場所もあるため、
きっと親切丁寧でなくても地図なんか出ないかもしれませんね。
この場所は、中庭の所でイベントなんかも行われたようです。踊りとか。
貴賓の方々は、上の窓からそれらを見学したのですって。
ここでもガイドさんの熱き語りがありました。この旅行記は朝からの時系列で書いていないので、ここで彼の話の内容を書いてもピンと来ないと思うので、今は省きますが、すこぶる心に残る内容で、私的この旅の醍醐味はここにあったなと感じたのです。
今はお気楽に写真日記をご覧くださいませ。
と言っても、帰って来てから見ると、このアグラ城での写真は、なんか不思議な画像ばっかし。
なんでこれをこの角度で撮った ?
みたいな・・・・・^^
どうも細工に心惹かれていたみたい・・・
自分の心の事にこの言い方はないかな。
下の画像なんかもっと変。これ、何で撮った?
みたいな。
たぶんハ⁻ス・マハル(寝殿)とアングリー庭園じゃないかと思いますが・・・・?
普通は下から写す場所だと思います。だけれど、この時イイコで団体さんツアーの群れの中でいたから、たぶん立ち位置の関係で「来たよ」画像を撮っていたのだと思います。(もう1週間前は遠い過去なのか?)
上のは左側で、下のはその右側。手前に見えるのは空っぽの池。水が張ってあって噴水が出ていたら、それなりに絵になったと思います。
王はここから(下)、愛する妻が眠るタージ・マハルを毎日眺めていたのでしょう。下からの画像も囲みの衝立の近くから撮ったので全体が写ってはいないのですが、離れて全体を映そうと思ったら、人間ばっかり写ってしまうので仕方がありません。なんたって日曜日なので一応混んでいたのです。(でも混んでいると言う基準が日本の比ではないなあとは思いました。休日の観光地の混雑ぶりは日本の方が人が多いような。もちろん私的感覚です。)
この部屋には上がる事が出来ないので、その窓からの風景を拡大してみました。
でもちょっと横に歩みを進めると、(下)こんな風に撮れる場所がありました。
王は手すりに手を書けて亡き王妃を思っていたのに違いありません。
どんなところから撮ったかと言うと・・・
あみあみの手すりが壊されていました。
これ・・・
誰が壊したんだろう。
絶好のカメラポイントなんだけれど・・・?!
更に歩みを進めると、ちゃんと全体を見渡せる展望出来る場所もあります。
最後は謁見の間です。
写りこんだ人の頭の部分を切ってしまったので、高さを感じる事が出来ませんが、かなり高い所から謁見するようになっています。
下の画像は、その謁見に来た人たちの広場です。
日がかなり落ちています。
アグラ城塞はアクバルとジャハンギール・そしてシャー・ジャハーンの三代の居城になりました。
タージ・マハルを作ったシャー・ジャハーンは自分の息子であるアウラングゼーブに、
このアグラ城に幽閉され最後の時をこの場所で終えました。
現地ガイドは
「王様はタージマハルを作るのに20年の歳月と膨大な費用をかけ、民は苦しんだ。これではいけないと息子の一人が思い・・・」と、まるで正義のための反乱を起こしたみたいに言いました。
でもそれは鵜呑みには出来ません。
本当は行く前にしたかったけれど、ちょっと時間が無くてできなかった事を帰って来てからやってます。
ガイド、なめちょるな、日本のおばさんの事を。
アウラングゼーブは三男坊。政権争いに勝った彼は長男を殺し、その首を幽閉されているシャー・ジャハーンに送り付けたのです。
またアグラ城にあった父の宝石などを奪い続け、最後はサンダルの買い替え・バイオリンの修理代にも困窮したらしいです。
彼、アウラングゼーブが父にそんな仕打ちをし続けたのは、愛されなかった復讐。
父王は長男を溺愛していたらしい。
なんか被るなあ・・・
近所の国のあの一族と・・・・。
「私の子供たちを愛して、そして守って。」と言って王妃は死んでいったのに、
シャー・ジャハーンは毎日タージ・マハルを眺めながら亡き王妃と何を語り合っていたのでしょう。