ちょっとだけ仕事をしてるから毎日が日曜日というわけではないけれど、まあ、「毎日が土曜日、但し昔の」という生活を送っている私にとって、G・Wはさほど関係のないお休みなんです〈だって家事は休みじゃないし〉。それでも家族が全員仕事に出払うと、「あーあ、お休みも終わったなあ」という気分になってくるというものですね。
G・Wのラストの日、少々頭を使ってタイトルのような内容でブログの記事を書こうとしました。
書いて脳みそが疲れるのは分かるけれど、書こうと思った途端に疲れ果てやたら寝まくった一日になってしまいました。、多分脳内では珍しくお仕事依頼が来たものだから、思考&組立などであっという間に、書く前に疲れてしまったのですね。
この状態、なんだか懐かしかったです。なぜ懐かしいと思ったのかというと、学生時代のレポートを書く準備をしている時、こんな状態がよくありました。
グーグーと寝た後に、パチリと目が醒めると一気に文章が書けた経験はありませんか。これって寝ている間に脳がそれに向けて集中して働いているらしいですよ。お仕事などで報告書や企画書などが行き詰まったらそのことを考えながら〈ココがポイント〉寝てみるというのも良いと思います。
で、私ですが、グーグーと寝た後に一気に書けたかというと、残念ながら時間切れ。一日が終ってしまったというわけなのです。その辺が24時間自分の時間だった学生時代とは違うのですよね。
加えてなんか最近時間の使い方がすごく下手。
時間を制するものが世界を制する・・・・なんて書くとSFだよね。
まあ、自分の世界を制するって言う点においてはまさに正解かも知れませんが。
そしてG・W開けの今週も早くも週末になってしまいました。
ところでタイトルを見て、
「ああ、きっとあのことについての感想だな。」って思った方もいらっしゃるかもしれませんね。
先日のNHKでやった「ラストメッセージ」を見ました。
「木の上の軍隊」に込められた井上先生の想いに胸が熱くなりました。
最初は「ラストメッセージ」というタイトルでカテゴリーもテレビに入れたのですが、ちょっと他のこともあってつらつらと感じたまま書くことにしたのです。
その「ラストメッセージ」ですが、今はこまつ座の代表である井上氏の三女の視点から、番組は構成されていました。今の私にはそれだけで切なかったのでした。娘が父の想いを語る。そして父の想いを継承する。
「木の上の軍隊」の台本をお墓に手向けるシーンでは胸がいっぱいになりました。
23年もの昔に、氏は早くも「木の上の軍隊」の事を構想していたのですね。いつかは向き合って書き上げたいと思っていた沖縄。だけどずっと書けないでいたのでした。
氏の作品はどんな悲劇でも笑いがいっぱいです。例えば「日の浦姫物語」にしても、あのようにドロドロとした悲劇でありながら舞台の進行を引っ張っていくのは「笑い」。悲劇さえその向こう側のある喜劇を引き出していく井上シナリオ。
だけどそんな氏でさえ、沖縄で起こったことは、その裏をどんなにひっくり返しても喜劇にはならなかったのでした。
そして氏がこのシナリオに着手したのは肺がん宣告を受けてから。
多分最後にこのやり残した仕事を、ずっと思っていた事をやり遂げようと思ったのかもしれません。
だけど力尽きて、幻の作品となってしまったのでした。
しかしながら私は思いました。
世の中で起きていることは、見ようによってはあるべき道を上手い具合に回っていく車輪のようなものかも知れないと思う時があります。
力尽きて思い続けたまま未完に終わった作品。氏はどんなにか無念であったかも知れません。だけどそれは運命の歯車の計算ゆえの未完だっかも。
多くの人がその想いを引き継いで行くことが出来たのですから。
私は「木の上の軍隊」の感想の中では、少々拡大解釈してしまいました。沖縄のと言うより、今の日本全体の比喩の物語のような気になってしまいました。
それは以前書いたことですが、戦争がないのに今の日本は終戦直後の瓦礫の街をみんなが歩いているような、そんなイメージでこの数年を生きていたからです。それと共に、私の中で沖縄への意識が薄かったからなのだと気が付きました。
「木の上の軍隊」は拡大解釈はo.kだと思います。でも沖縄の物語なのですね。
沖縄の悲劇・・・・そうポイントを絞ってみると、その悲しみは更に増すのでした。本土に帰った上官、島が生活の拠点である新兵。
「上官は悲しくないのだ。」と自分との違いを指して新兵は言うのです。
このセリフを脳内で再現させると、思わず(家にいるので)声を上げて泣きたくなるのです。
誰かに叱られた子供のように・・・・。
私には最後のオスプレイの轟音が、果たして新兵と同じ音に聞こえているのかと問われたら、それは・・・・思わず首を傾げてみたりして・・・
※ ※ ※
近頃ワタクシ、長年やってきた夜の部のお仕事が辛く感じてきてしまいました。これこそ悲しいけれど加齢によるものにほかなりません。それで今年の3月いっぱいで止めようと思いました。でもそれだと途中で投げ出すような形。その所が少々気になっていたら、結局来年までやることになってしまって、今もふうふう言いながらやっています。
仕事自体は大好きなので、やっている時はニコニコ。だけど時々、その前後の時間には疲れてしまって「早く来年が来ないかな。」と思いそうになることもあるのです。いつもなら何も感じず、「早く来年が・・・」と思うだけだと思います。だけど今の私は直ぐにその考えを打ち消さずにはいられないのです。
来年になったら・・・・
その時、父は居ないかもしれないからです。
電話をかけても居ない。訪ねて行っても何処にも居ない。そんな日は必ず、しかも近いうちにやって来るのです。
みんなに愛された父が死ぬことは悲劇―悲しみ以外のなにものではないと思います。
だけどカメラをぐっと後ろにひいて撮影するように、引きの視点で父の人生を見るならば、それは悲劇なんかじゃちっともないのでした。悲劇じゃない物語の最後が死であるならば、その死は物語の結びであって悲劇ではないはずです。
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沖縄の悲劇は継続中・・・
ゆえにどんなに引きの視点で見つめてもそこに見えてくるのはやっぱり悲劇なのかもしれないと思っても見たのでした。
沖縄に行ってラストの部分を書き加えた蓬莱さん。
終わっていない悲劇の物語を、二人の魂を木の上に残す事によって表現したのは見事だと改めて思ったのでした。