《風のように人生を通り過ぎていく、その1》
5月23日、父の買ったお墓が出来上がり引渡しが終わったので日にちを選んで一族が集まりました。一族と言っても、平日でしたので四人姉妹と妹の子供、今までちょっと仕事の都合で来ることの出来なかったその妹の夫、姉の夫と昼間は預かっている又姪の8人で行きました。
その日は天気も良くて、爽やかな5月の風が襟元を撫ぜつけていきました。
お墓には普通の「何々家の墓」と言う言葉はなく「永久に」と言う言葉が選ばれ刻まれています。それは嫁いでみな名前の変わってしまった私たちのためなのです。お墓の問題は「そんなの、どうでもいいや」とは思いながらやっぱりどうでも良くはならない大切な重要事項だと思います。父と母のことばかりではなく、将来の自分の件でも同様です。
だから父が作ったこの一族の誰が入ってもいいお墓は、これからのお墓の新しい形として画期的だと思っています。
本当ならそこに父と母も来て、空っぽの出来たばかりのお墓を囲んで記念写真を撮ろうというのが、今回のイベントの趣旨でもあったのです。
その為に姉の夫は以前から「休み」を取っていたのだと思います。
ただこの23日と言う日は、完成と引渡し、父が会長をやっていた老人会の総会の都合などを考慮して、1ヶ月前に決めたのです。
果たしてこの日を迎えることは出来るのか、それは私たち姉妹の心の中の密かな目標になってしまいました。
父は徐々にその体力を失ってはいきましたが、つい最近まで家の中の寝室と自分の部屋とを往復し、総会資料を作ったりカラオケ同好会の歌集などを作ったりしていました。だけど総会を無事に終わらせた事で、緊張感が解けたのか一気に病状が進んでしまいました。
23日の二日前からベッドから起き上がることは、とうとう出来なくなってしまったのです。
それで私たちだけでそのイベントを終わらせたのでした。
私たち姉妹の長女の名前には長女らしい一文字が入っていて、2月生まれの私には春の音が入ってる。そして3月生まれの妹には逆に名残の冬を思わせるような、これもまた音が入っていて7月生まれの妹にはその季節の言葉が入っている。私たちの家は四季の家-
その家で大きな変化がやってこようとしているのです。
23日は大きな山場になると、ある意味予想して27日に入っていた習い事の予定をキャンセルさせていただきましたが、その予想は当たってしまいました。
その日、病状の進んだ父のために緩和の薬が一歩先のものに変わった日でもありました。
看護士さんが言いました。
「最後まで意識がはっきりとして、そして苦しみと戦いながら死んでいくか、意識はどんどんと朦朧としてしまうけれど、眠るように死んでいくか二者選択です。」
もちろん父の意思は後者の選択です。私たちの願いは父の選択を叶えることです。
薬が変わったばかりなので、父は呂律が少し回らなくなりましたが、結構しゃべっていました。父はおしゃべりな人なのです。
「俺、危なかったなあ。。。」と妹の夫が言いました。
「そうよ。今日がラストチャンスだったのよね。それで今日、来てなかったら『あなたは来なかったわね』って目で言っちゃったかも。」
「やばし、葬式の時針のムシロだったな。ああ、セーフで良かった。」
と、彼は言い父と談笑をして帰りました。
その日は兄弟のように仲の良かった母の弟も大きなスイカを丸ごと持ってやって来てくれました。
この人には先日来ることになっていたのに都合が悪くなって、その後も来てないことを知ったのでお電話をしたのです。
この電話をした時は、まだ薬が変わるなどと思っては見なかった時なのです。
叔父は言いました。
「先日、ひとしきりお話して別れは済ましてある。今週はちょっと用事が立て込んでいるので近い内に顔を出します」
それならそれでも良いかなと、私はちょっと残念に思いながら電話を切ったのでした。
だけどそんな事を言いながら、叔父は居ても立ってもいられない気持になって翌日以降の用を考えて、行くなら今日しかないと思い立ってやって来たのでした。
言うなればこれもセーフ。
叔父も父と歓談して帰って行きました。
数週間前の父との会話で、父は
「思い起こしてみると、僕の人生は全てうまくいった。」と言っていました。
私は、心の中でその言葉を思い出して
「お父さん、また全てうまく行ったね。」と言っていたのでした。
※ ※ ※
四季の家は今は死期近づく人の家。
父との対話、思ったことなどをようやく書こうと思えてきました。親との別れは必ずやって来る道。その道は悲劇の道ではありません。
しばらくこのテーマで続きます。きっと誰かの心に届くと思うから。
(姉の家で書き込んでいるので、後に画像を追記します。)