《風のように人生を通り過ぎていく、その4》
《その3「傍らの人」》の続きです。
母が何度も雨戸を開けようかと言ったのに、陽の光が寝ている父の顔に当たって眩しかったらイヤダなと思って、「イイよ、このままで。」と言っていた私。だけど父の死の連絡を受けて訪問看護の看護師さんがいち早く駆けつけると、父に向かってこう呼びかけました。
「今日は本当にいい天気だよ。良い日だねえ、☓☓さん!」
その言葉を聞いて、以前藤原紀香が主演した何かのドラマの中に出てくるインディアンの詩の言葉を、私は思い出しました。
―今日は死ぬのにとっても良い日だ。
そして、それだったら雨戸を開け窓も開けて風をサッと通したら良かったのだろうかと、ちょっと悔やんでもみたのです。
だけど
「さあ、起きて!」と 言う必要もなかったわけで、それはそれでもう良い事にしようと自分に言い聞かせたのでした。
どんなに心を砕いて気遣っても、見送る者がパーフェクトでというわけにはいかないのがお見送りだと思います。
川を渡っていく人が今生に未練を残さないで貰いたいのはもちろんですが、見送る人が悔いて逝く人の心を引き止めてはいけないのだと思ったのでした。
父との別れは悲しみではありますが、でも悲しみイコール悲劇ではありません。
以前、井上ひさし氏の特集の番組「ラストメッセージ」の感想「悲劇/喜劇は表裏一体なのか」の中にも書かせて頂きましたが、その文の一部をセルフ引用させて頂きます。
「だけどカメラをぐっと後ろにひいて撮影するように、引きの視点で父の人生を見るならば、それは悲劇なんかじゃちっともないのでした。悲劇じゃない物語の最後が死であるならば、その死は物語の結びであって悲劇ではないはずです。」
前回の朝ドラ「純と愛」の中のドラマ好きの登場人物が「ドラマちっくだねえ。」と言うシーンが多数ありましたが、映画好きの私にはこの死ぬには良かった日には「映画っぽいなあ。」と思わず呟きたくなる場面が多数ありました。そしてそれは井上氏が悲劇を描きながら笑いで舞台を引っ張っていくそれに近いものがあったようにも思えたのでした。
いっぱい笑っていっぱい泣いて人生は過ぎていく。そして一日はそれを凝縮したようなもの。
それが顕著だった「その日」であったと思います。
とは言っても、父の日から数日経ってしまったわけで、最初は事細かく全部書きそうな勢いでしたが、それは流石になくなり私も少々冷静になりました。
悲しみの中でクスリと笑えた出来事は、一年後二年後みんなで「そうそうあの時ね、こんなこともあったじゃない。」とニコニコと語り合いたいと思います。でも一番、「あの時さあ・・・」と語り合いたい人は、実は父だったりして・・・・
26日の朝、私が起きて行くと姉と母が父の座薬と格闘し終わった後でした。この二人の献身ぶりには本当に頭が下がります。いる時ぐらい役に立ちたいので、その後の父のそばにいる役は私が引き受けました。その間に姉は家族の朝食を作ったり洗濯したり、母もいつもやっている町内会館の仕事をしに行ったりしました。
23日には会話が出来た父。24日に私が一度帰る時には
「どうもわざわざ来て頂いて・・・」のような丁寧な言葉を言うので、私だって分かっているのだろうかと心がざわついたりもしたのですが、それでも言葉は聞き取れました。だけど26日の朝は、何かを言っていてもまるっきり聞き取れません。それはまるでうわ言のようでもありました。だけど耳を澄まし父の様子を観察していると、たしかに薬のせいで意識は朦朧とし言葉ははっきりとは喋れないにしても 、時にその朦朧とした意識から目覚め最後まで意識を失っていなかったように思えたのでした。
時には耳を澄まし、時には語り話しかけそして涙ぐみ、私はほんの数時間でクタクタの疲れてしまいました。それでもまだ私は「その時」がそんなに差し迫っているのだと自覚がなかったのでした。
そして交代で変わってもらったその時間に、書き始めるなら今だなと感じて姉のパソコンを借りてこのテーマの最初の記事「四季の家で」をアップさせたのでした。
要するに自分に出来る何かをせずにはいられなかったのかもしれません。
その日の朝に父をじっと観察していた私が気になってしまったことは、喉に痰が絡んでいるのではないかということでした。
数日前の父は自分で血痰を吐き出していました。このような状況になったら自力でというわけにはいかないのです。
私は妄想過多の人。
喉にそれが溜まっていきまた溜まっていき、そしてそれで「あああああ」と窒息してしまったら一体どうしたら良いのだろうか・・・。
家で最後を迎えさせようというのは、実はそういうことなのだと思います。
呼べば直ぐに対応はしてくれる医師と看護師との連携は成り立っているものの、時間で頻繁に状況把握をするプロの人はいないのです。自分たちで看護することに加えて、見守り判断し対応することが必至。
姉が対応の相談に訪問看護の事務所に連絡して、たんの除去の仕方を聞きました。だけど上手くいくものではありません。しっかり除去しようと思ったら、唇を濡らすための綿の付いた棒をかなり喉の奥に入れなくてはならず、それは苦痛に思われたからです。
口の中が少しでもさっぱりしたから良かったかもしれない、という僅かな自己満足でいいことにしました。
昼食の時間になり、甥がみんなの分のお弁当を買ってきてくれました。
みんな、なんとなく疲れていたのです。そんな時に油断というものが生まれるのだと思います。なぜなら、私たちは全員で父とは別室で揃って食事を取りました。それというのも、前日の医師によるアドバイスもその行動の底辺にはあったかもしれません。医師は
「家で看取るということは、何かを見逃すかもしれないし何かをしていてその最後を看取れない場合もある。だけどそれもありなんです。」という言葉。直接は聞いていないので、ニュアンスは違うかもしれませんがいろいろなことがあっても、自分を責めることはナシだと言ってくださったのかもしれません。自分のすべてを犠牲にすることはないということなのだと思います。
だけど食事を撮り終わると、なんとなく疲れも取れて冷静になりました。
「ねえ、なんかみんなここにいるねえ。」と私は言いました。
「ちょっとどうする。この時間に何か変化が起きていたら・・・。お姉ちゃん、ちょっと覗いて来てくれない?」って、私は小心者の卑怯者。
父の様子を見てきた姉は
「大丈夫だったよ~。だけど、相変わらず喉が辛そうなの。どうしようかな、どうしようかな、どうしようかな。」と姉は悩んだ末、もう一度電話をかけて看護師さんに来てもらうことにしました。
今こうやって書いてみると、なんでそんなに迷ったのかも不思議です。分からないのだから電話をかけて相談するのは当然だし、いかに日曜日で担当の人と違うといっても、出来ないのだから来てやってもらうのも普通の事だと思います。でも「やたら」というのは悪いような気がして遠慮してしまうと言うのは、日本人だからでしょうか。いや、思い出しました。私は何かのドラマを見て、その痰吸引が非常に辛そうに感じていたのでした。そんな事を今の父にヤッてもらうことに躊躇いがあったのも事実です。でもそれはあくまでもドラマで仕入れた感覚、実際には違うかもしれないので看護師さんに診てもらうことにしたのです。
でもこのタイミングが結果的には物凄く良かったのです。
日曜日は訪問看護の人たちは、時間で担当者が変わる交代制なのです。
姉が電話した時、いつも父の面倒を見てくれているよく分かっている看護師さんに交代になったばかりの時間だったのです。
直ぐ来てくれた看護師さんが、別室に姉と私を呼びました。
この別室で話すのは、話の内容を父に聞かれないためです。
亡くなった後も普通に話しかけ、意識の無いように見える父の前でも気を配るこの人達のプロぶりが私は大好きです。
看護師さんは言いました。
―痰除去をすればショックで、今息が止まるかもしれません。大丈夫かもしれないし、だけどその可能性があります。でもご家族が苦しそうだからヤッてという意向であるならばやります。
その機械を使ったら苦しいとか辛いと言う段階ではなかったのでした。良かれと思っても何かをヤッて命を縮めるわけには行きません。なので私は、自分の妄想イメージのことを聞いてみました。痰で喉が詰まる可能性についてです。
―その可能性もあります。
「そうなってしまったらどうするのですか。」
―何も。
そんなことはないですよとか言って欲しかったけれど、その可能性もあると言われて、私は少々のショックを受けました。もうやることは見守ることだけなのです。看護師さんの「何も」には強い意思のようなものを感じ、私も思わずうなずきました。なにか心の中でぎゅっと結ばれたような気がしたのです。
―とにかくみんなで傍に居てあげてください。もう傍で静かにしていなくて良いですよ。皆さんの声できっとホッとしますよ。次のクスリは何時ですか?
「次は、5時です。」と姉が答えると、看護師さんは言いました。
―そのクスリは、もう要らないかもしれません。
私と姉はびっくりして顔を見合わせました。続けて彼女は
―この後、無呼吸状態が何度か起きるかもしれませんから、それが起きたら時間を測っておいてね。
そのようなことも初めて聞きました。まるでそれは最後の打ち合わせのようでした。彼女が帰ると、もう私達の最後の戦いだと、そんな感じがしました。
姉は仕事が終わり次第駆けつけることになっていた二人の妹にメールを送り、私は近くの自販機にジュースを買いに行きました。
そしてその時家に居た者、つまり姉と私、甥と姪、そして母とで父の部屋でジュースパーティを開くことにしたのです。
自販機にチャリンチャリンとお金が落ちていく音を聞きながら、「見てろ―」とか「いざ」みたいな感覚が湧き上がって来ました。
今思うと、私は何と戦おうとしていたのだろうか―
長くなったので次に続きます。