今年も3月11日がやってきました。
「3.11」と聞くと、
「あれからもう3年経ったのか。」と誰もがしみじみ思うのかもしれません。
またはたった3年しか経っていないと思う方もいらっしゃるかもしれません。
人の感覚は千差万別で、共通体験を経ても同じ感覚ではないということが多々あるように思います。
「共通体験」などと四文字にまとめてしまうと、被害甚大であった被災地の皆様に首を傾げられてしまうかもしれません。
だけどあの震災は、日本の根底の部分を大きく変えてしまったと言わざるを得ないところがあると思います。
被災地の人たちと支援する側みたいな二分の感覚でいたら、風化は速度をましていってしまうと思います。
そう。
たった3年だから、テレビ等でもこの取り上げ方なんだと思います。
5年後ではどうですか。10年後ではどうですか。
昨日3月10日は69年目の東京大空襲の日だったんです。忘れてはいけない大切な日だと思います。だけれどその事は朝のニュースでちょっとだけしか目に触れることはありませんでした。
テレビ的企画ではそれどころではなかったのだと思います。
ある年東京大空襲をテーマにしたドラマは、二つの放送局で続けて作られ放送されました。リサーチすればわかるのかもしれませんが、もしかしたら65年の節目の年だったのかもしれません。でもそんなドラマの再放送をやってもよかったのではと思うのです。来年は70年なのでやるかもしれませんが、なんだかその朝のニュースを見て、すっきりしないものを感じたのです。
私が「3.11」に出来ること。
それは忘れないことだと思っています。
そしてそれは何かに扇動されて思い出すものでは決してあってはならないことだと思っています。
想いは昨年と同じです。
昨年の記事は 「それから」
そして、実はこちらにも書きました。ピグの画像が出てくるので、驚かれるかもしれませんが、「花は咲く」
「花は咲く」のカラオケバージョンが載っているので、歌ってみてくださいね。
忘れない事が私に出来ることだと思うのですが、それ以外でも心が動いてやってみたことが少しあるんです。
※ ※ ※
・・・・・海は、私たちに命の糧を与えてくれたり、生きる手段を与えてくれたり、太古には命自身を与えてくれたり
いつだって母のようなものだった。
だから心にぽっかり穴が開いた時など、静かに海を眺めているだけで、心は穏やかになりまた元気を取り戻したり出来た。
波の音は単調で、まるで体内で聞いた母の鼓動や血の流れる音に近かったからかもしれない。
ある時は、愛する者たちとその海の前で
ーある者は子供たちと、ある者は恋人と
「いつまでも一緒だよ。」と約束したかもしれない。
父が幼い娘にそう言うと、そばにいた母は目を細め、心の中で
「いつまでも一緒ってわけにはいかないわ。いつかこの子が愛する人に出会うまでよ。」などと思う。
または「ママが大好き。」と甘える少年に、独り立ちする未来を思ってほほ笑む両親がいたかもしれない。
どんなに離れていても愛する心は変わらないよと思う青年たちがいたのかもしれない。
やさしい海の前で穏やかな時間を過ごしながら。
だけど恋人は、父は、そして母は心の中でまたは口に出して、愛する者たちともう一つ約束したのだ。
「どんな時でも強く生きていってね。」
それは自然の摂理ならば先に逝くだろうわが身が去っての後を思っての約束だった。
「いいね。どんなことがあっても強く生きていくんだよ。」
そして今・・・・
その約束を、受け取って頑張っている子供たちもいるだろう。
同じように頑張って生きている恋人たちもいるだろう。
だけどあの時愛する者のためにした約束を、必死で守っている父と母もいると思うー
あの時ね、約束したよね
いつだって一緒だよって
あの時に、共に見た海は
穏やかな春の海だった
空の青さも
風の音も
変わらないのに
私はひとり
この悲しみを
忘れたくない
この悲しみを
忘れはしない
あの時ね、約束したよね
いつだって
強く生き抜くと
2013年4月18日にアップした詩の再掲です。
実はメロディ付きなので、ピアノの先生に楽譜に直していただく予定です。