森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「一度きりの大泉の話」

2021-11-15 16:02:38 | ユーモレスクを聴きながら(book)

4月の終わりにこの本を買ってから、ずっと読まずに飾ってきました。

ただ単に借りていた他の本を先に読まなくてはならなかっただけかもしれません。

だけどやっぱりなんか読むのが怖かったからと言うのも、ちょっとはあったような気がするのです。

この本を読む前に、先に竹宮惠子氏が書いた本を読みました。

その本の感想には、この本を読んだ感想とダブっている部分もありました。

もしよろしかったら、それらの感想もお読みくださると嬉しく思います。

 

「少年の名はジルベール」

・「楽しみだけど、少し待とう。」

「扉はひらく いくたびも」-時代の証言者ー

 

だけどやはり、そちらにも書いたことを、ここに転載しておきますね。

>『「24年組」「大泉サロン」、意外かもしれませんが、そんな言葉を私はつい最近知りました。

あの頃、私には全く関係がなかったし興味もありませんでした。

ただ彼女たちの描く素晴らしい漫画にのめりこみ、その世界観に浸れることが幸せだったのです。』

 

そうなんです。

私が高校生の頃、萩尾望都氏が連載中の雑誌の中で「マニアは嫌いだ。」と言ったのです。

彼女は私の前を歩く大事な人だったので、私はその言葉の本当の意味も分からずに、イイコで正座して(心の中で)、彼女たちの漫画を読み続ける一読者であり続けていたのです。

 

またこうも書きました。

>『イヤ、でも、「秘密は封印された壺の中」の方が良かったのになと、心のどこかでそう思います。伝記を書くにあたっては、そこを隠して通過できない時代だったのだと思います。だけど、言葉にして残したら、二人の過去にそういう時代、そういう出来事、そういう気持ちがあった事が人々の記憶の中に永遠に続くからです。』

今回の本でも、語るのは一度だけでも、読み手がいつ読むのかは分からない事ですし、人々の記憶の中でリフレインし他の者と語られつづけるかも知れない事は、予測も出来ない事だと思います。

 

だけど、これは二人の物語。

私には関係のない事だなと思います。

 

ただお二人にあった出来事を、過ぎた過去の物語として捉えると、それはもしかしたら誰にでもあった人間関係の躓きの物語であって、読み手の過去と重なる部分があると感じた人も、多いのではないかと思うのです。この私のようにー。

 

あの時は楽しかったね。

仲良しだったよね。

どうして、何で、別れて行ってしまったんだろう。

何がいけなかったのか分からない別れー。

そんな苦しみを感じてきた人は居ませんでしたか。

私自身も10年以上苦しんだ、友達だった人の別れを思い出しました。

 

だからその苦しみも分かるような気がするし、ひとつの物語として、心にとどめておこうと思います。

でもやっぱりその程度にしておきたいとも思うのです。

なぜならこの本を読んで、驚いたことに、私はとってもワクワクしたからです。

 

私は一読者。

「ああ、この人はきっとブラッドベリが好きだな。」

「ああ、この人はきっとヘルマン・ヘッセの『春の嵐』を読んだな。」

高校生だったあの頃、彼女の作品を読んで、そう感じてはどんどん好きになっていきました。

「ポーの一族」、メチャクチャ好きでした。

私のあの時と彼女のあの時が、この本を読んでリンクしていきました。

やっぱり、ヘッセの「春の嵐」が好きだったんだとか、そんなに読者アンケートって大事なものだったなら、毎回書いて出せば良かったとか思いました。

あの時感じた事への、アンサーがたくさん書いてありました。

ある時雑誌の近況欄に「目が~目が~」と書いてありました。

目があかないから、ファンレターも読めないとおっしゃっていました。

仕事をし過ぎて目を酷使したから、そうなったのかと思っていましたが、その背景には、竹宮氏との別れのストレスがあったのですね。

「マニアが嫌いだ。」と言う発言の意味もだいたいわかりました。

引っ越した背景とかも。

ちょっと田舎の家。

やはり高校生の頃、その見た事もない家の夢まで見てしまった私。

なんか熱いですか ?

そうなんです。

私、高校生の頃、アイドルとか全く興味がなくて、たぶん、私の今でいう「推し」の人ってエドガーとアランだったのですよね。

 

この本は、自分の青春時代を蘇えらせてワクワクさせてくれる素敵な一冊でした。

もちろんこの本が書かれた背景と趣旨は理解しています。

それでもそれだけではなかったと、私は思い感じたのでした。

 

あと一つだけ、書かせていただくとするならば、ちょっといろいろ過去の事を思い出していて、分かった事があったのですが、なにも漫画家さんたちの私生活を知らない一読者であったとしても、彼女たちには最初、密接な付き合いがあり、その後距離が空いてしまった事は、たぶん誰かに告白されなくても、すでにあの頃知っていたと思います。

もちろん、何でなのかの理由など分かるはずもありません。興味もありません。だけど漫画家さん、けっこう何処かでチラチラ近況を語りますが、お互いから気配が消えたからです。そしてそれを、私は寂しいなと思った事があったのでした。

.

それを思うと、何かを作り出す人たちは大変だなと、しみじみと思います。自分と原稿と関係者だけでは、世界は成り立たないわけですから。

見えない誰かが常に存在していて、時には作家は、見えない誰かの事なんかを考えない事もあるでしょう。だけどその見えない誰かは、じっとその作品をしみじみと隅々まで見ていて、その人の何かを感じていたりするのですから。

なんか、怖い・・・・・って、私もその見えない誰かなのですね。

何か話があらぬ方向に向かってしまったので終わりです。

 

 

何にせよ、この本を読むことが出来て、私は嬉しかったです。

 

 

 

・・・・


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