8月18日、姉を誘って横浜美術館にて「モネそれからの100年」展に行ってまいりました。
「こういう美術展が見たかった。」と言ったら、それは微妙に言いすぎ。だけど「こんな美術展も見たかった。」と言えば、まさにと言う所だと思います。
この企画展は、面白かったです。
こういうのって誰が考えるのでしょう。
なんか、偉そうに「凄いですね。」と褒めたくなってしまいました。
あっ、いや、最近の美術展は、みなその企画力が凄いなといつも感心しています。
2015年の東京都美術館にての「モネ展」の「最晩年の部屋」にあった、白内障を患った後の、薔薇のアーチの絵。
その時のブログ記事に
>この展覧会の解説に
「白内障の手術後も破棄されず、モネが生涯手放さずに残した作品です。」と言う文が載っています。
― 破棄なんかするわけないじゃないの。これは期間限定の、その時にしか描けなかった絵であり、人生からのギフトだったのではないかとそう思ったのでした。
だけれど、そのあと解説は
「手術後モネは、それ以前の数年間に描いた多くの作品を破棄しました。今日に伝わるこの頃の作品は、衰えた視力で描いていたとしても、画家自身が認めた作品といえるでしょう。」と続きます。
「画家自身の認めた作品といえる」などと言う言葉は、むしろ生易しく感じます。
その記事は→「モネ展」に行ってまいりました。です。
多くの人が、モネの絵から多大な影響を受けているー。
それがビシビシと伝わってきました。
この作品展は、モネ25作品と、後世代26作家における絵画・版画・写真・映像66作品からなっています。この展覧会のために制作された新作もあります。
HPのスペシャルコンテンツから飛んで読める「東京新聞連載「出品作家の視点」」は、なかなか面白い記事だと思います。
私は他の作家さんでは、松本陽子さんの「振動する風景的画面Ⅲ」のピンクの柔らかさが良いなと思いました。
また魅せられたのは、ゲルハルト・リヒターのアブストラクト・ペインティング。
ある人にとっては、これは布であり、ある人にとっては波であり、またある人にとっては過去の時間かもしれない。ただ色が重ね合わっているだけ。だけどそこには存在するモノが確かにある。
美しいなと思いました。
私は何も知らない人。
ゲルハルト・リヒターって誰 ?
と、検索したら、「現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家のひとりであり、若者にも人気があり、『ドイツ最高峰の画家』と呼ばれている。」なんですって。
まあ、見る目はあるのね、私、ホホホって、ちょっとだけなった^^;
それはともかく、この重ねられた色の圧倒的迫力の数々の作品を見ていると、私たちは何て美しい世界に生きているのだろうかと思えてくるのでした。
そう言いましても、買ってきた絵葉書は初期の作品が多かったです。
姉が買ってきたものもパチリ
ちょうどメモ帳が乏しくなって来たので、一筆箋もゲットです。
二階から撮ったので曲がってしまいましたが、大きな写真スポットがありました。なんで皆睡蓮の花を持っているのかと思ったら、自分が睡蓮になって、絵の中に映り込むと言う構図になっているのですね。
入場した時、この前には誰もいなかったのに、帰るときには長蛇の列で、まったく撮る気もなかったのでした。でも今、「なんだ、睡蓮になれたのか。」と思ったら、ちょっと悔しいような気持ちになってきました。何事もみなさん、チャレンジですよ。
チャレンジ。
こういうのは、すぐに手を出します。
横浜美術館内のカフェスペース「Café小倉山」の「睡蓮フロート」。
あっ、なんかイメージが・・・・・。写真はもっと透明な・・・・・。
まっ、良いか。「睡蓮」の絵もたくさんあるって事で。
ついでにここで頂いたおやつ。
姉とシェアしたのですが、みんな美味しかったです。
みなとみらいはお洒落な街で、横浜美術館まで行くのも楽しいなと思います。
この展覧会のHP→こちらです。
9月24日までです。