森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

今日まではちょっと自慢して、明日からは謙虚になる

2023-09-17 19:24:54 | 梢は歌う(日記)

・「8月の暮らし☆2023」と言うおまとめ日記を読み直してみたら、とっても大事なことが抜けていました。

時々やってしまいます。それがあまりにも当たり前になっていて。

 

Kiriyの優雅な夏時間《7月の暮らし☆2023》」を読み直しても、7月の半分掛けて「大阪旅行記」を書いたのに、そういう事に全く触れていないのは、やっぱり駄目だと思うんです。だって、これは私の備忘録なのですから。

 

私のように子供のお勉強のお手伝いをしている者の夏休みは、一番忙しい時でもあります。この時の「子供」の中に受験生がいるといないとでは、その忙しさが全く違います。

2022年は、バイトの方でも全く関わってなかったのかもしれません。

もちろん今の私の「お仕事」と言うのは、時間や熱量にしたら、手のひらに雨粒が落ちた程度のものですが、それでも気持ち的にはやはりその差は存在するようです。

ゆえに東京散歩を断りたくなるような疲れを感じていたのです。

 

はっきり言って疲れた甲斐がありました。

8月が終わって、それぞれの模試の担当教科の成績が上がったと報告を受けました。

「流石です。」などと褒めていただきましたが、でもそれは雇い主様が褒め上手なだけです。

ほんのちょっとだけやる気を出す事にお手伝いをすることが出来たかもしれませんが、成績が上がったのは子供たちの努力のたまものです。

でも褒められて嫌な気分になる人はいないと思います。

信用だって付くと言うものですし。

だけど本当は何が一番嬉しかったかと言うと、今まで接したことがない子供たちに、この夏に会って、その子たちが

「あの人、面白かった。また会いたいな。」と言ってもらえたことであり、また知っている子供たちにも、次回にはこんなことをやると予告を出しておいたら

「楽しみにしていた。」と言われたことなんです。

 

8月が終わって、私は思いました。

嬉しかったことを、しばしの間素直に「ふふふ」と喜んでも良いし、「私、やったね。」くらい自慢しても良いのではないかと。

で、この記事はそんな自慢の記事です。

 

だけどそれは今日まで。

 

だってそれは夏の仕事の評価だからです。

明日からはまた新しくお仕事をすれば、その仕事に対して評価が生まれると言うものです。

 

ついでながら言ってしまうと、俗に「もう何にも凄くないのに」自分は凄いと語りたがる人に会うと、どんなに見かけは若くても、私は心の中で吉田拓郎氏の「それが青春」の自身の替え歌「ああ、それが老人~♪」と歌いたくなります。

いつか私も、仕事も何もしなくなり新しいチャレンジもしなくなり、もう過去しか語ることがなくなったら、いきなり過去の栄光にすがりだし、他のだれかに「あ~、それが老人♪」と歌われてしまう日が来るかもしれません。

でもきっとその時の私は、

「良いじゃない !

老人なんだから。自分語りをし、盛大に自分を褒めていい気分になってニコニコと毎日を生きて、何が悪いって言うのよ。」とか言いそうです。

いや、本当に、それはそれでいいと思っているんです。(意外と面白いし、為になるよ。おばあさんの昔の自慢。だけど話の長いおじいさんの話は、遠慮したい。)

 

ただ、やっぱり今の私はまだ何も手放していないので、「ふふふ」の自慢は今日までで、明日からは謙虚に知恵を絞りながら学びながら、お仕事とは向き合っていきたいと思います。

 

 


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