たまにお出掛けすると、ささやかな事ではあるのですが心に残るシーンなどと出会うことがあります。しかしながら最近の私はあまり心に余裕がなくて、それらを記事にしたりすることが出来ない毎日です。
そんな事を言葉を変えて、近頃グダグダ言い続けているのは自分でも分かっているのですが、何かを間違えているような気がしているのに、それを修正できないジレンマのようなものを抱えつつ毎日を過ごしているので、しばらくグダグダと端々で言っていても許していただきたいものだと思っています。
ところで「ナイスミドル」と言う言葉は、今でも使われているのでしょうか。近頃では何が死語で何が生きている言葉なのかも、微妙に分かりません。
「ナイスミドル」と検索したら、なんと女性は「ナイスミディ」と言うのですってね。
もしも「ナイスミドル」が死語になっていたとしたら、「ナイスミディ」は私の中では生まれたことも知らされずに死んでいった悲しい言葉になってしまいますね。
因みにそれらの意味は
「《(和)nice+middle》かっこよさと思慮深さとを兼ね備えた中年男性。同様の中年女性をナイスミディ(nice midi)ともいう。」
だけれど、「ミドルエージ」と言うと
「中年。40歳から60歳ぐらいまでをさす。」と言うのに
「ナイスミディ」は
「《(和)nice+midi》30代からのすてきな中年女性。」ですってよ!!!
30代からの中年女性!!!
今時は、30代を中年ってないよなって、私は思いますよ。
しかし「かっこよさと思慮深さを兼ね備えた中年」になる事は、かなり難しい事だと思います。
だいたい私の場合・・・・
汗疹なのか日に当たり過ぎの乾燥肌になってしまったのか、常にあちらこちらが痒くて、無意識にポリポリと掻いてると言う段階で、あまりカッコいいとはいいがたい…って・・・えっ、なあに?
それ以前に体系的にアウトだろって。
まあ、その点を中心に考えちゃうと、80%のおばちゃんやおじちゃんは論外な人になってしまうので、その点は今回は風呂敷に包んで棚の上にあげておく事にします。だけれど、あえて言っちゃうと「ミスト」と言う映画の中に出てくる、小太り禿おじさんは、チョーカッコいいよ。見かけは確かに大事よ。だけれどカッコ良さはそれだけじゃないのだよ、諸君。←共鳴者多数と思われる、たぶん。
ところで昨日電車に乗っていましたら、乗り込んできた女性が反対のドアの所に行って激しく手を振り始めました。もちろん電車なので、頭の上まで手を伸ばして大きく振る事はないのですが、それでも胸の前で半端なく激しく振っているのです。
ちょっと吃驚しましたし変にも感じたのです。だけれどこんなに周りの人の事を意識することなく手を振り続けるなんて、いったい相手はどんな人なんだろうかと思ってしまったのでした。電車が走り出すと、垣間見えたのは、線路から手を振り続けていた同じような歳の女性でした。
過ぎてしまうと、女性は我に返ったように、澄まして空いている席に座りました。
彼女はとってもお洒落な服を着ていました。
線路脇の女性は、普通の服を着ていました。
きっと彼女がその女性に会いにこの街にやって来たのでしょう。それは初めてだったのか、数年ぶりだったのか、二人の間には幸せな時間の共有があったに違いありません。
なんだかちょっとだけ、心の中が温かくなったのでした。
この行動を若い人がやっていても、私は見向きもしなかったと思います。
そのアクションが最初から凄く似合うからです。
中年になると、同じ行動でも目立つこともあり、だけれど人知れず人の心を温めている場合もあるって事ですね。
歳を重ねると損な事もあり得な事もあると言うことですが、これが、タイトルとどう結びつくのかと言うのが、ちと難しい所です。
実はナイスミディな人はこうだと言うのは、難しいんじゃないかと思うんですよ。
でも、あなたたちは絶対に違うと言う人は、分かりやすいと思います。
次の駅ではとんでもない事が起こりました。
いわゆる駆け込み乗車と言うやつですが、それがかなり悪質だったのです。
一人目のおばさんが無理矢理乗り込むのにリュックが既に扉が閉まるのにぶつかって、安全のために再び扉が開いたんです。そのおばさんはもう席に着き、二人目のおばさんが閉まる扉を手で押さえたんです。
「ちょっと~、何を!」ってこちとらもおばさんなので声に出ましたよ。
でも3人目が
「ごめーん、ありがとー。」とか言って乗り込んできて、ついでにもうダメだと諦めていた青年もスルッと乗って扉が閉まりました。
なんだかその青年の顔が印象的。
― ラッキーなんだが、ラッキーな気分がしない・・・・
と、言う顔。
その後おばさんたち、席で盛り上がっていました。
なんかくだらない達成感とか感じていたんでしょう、きっと。
「ありがとうね、助かったわ。」
「だって一人だけ置いていくわけにはいかないじゃん。」と口ぶりが恩義背がましい。
和気藹々としているのは良いんだけれどね
でも最初に一人だけ飛び乗った段階で、もうそのお仲間は崩壊の序章なのよって、私思ったわ。
そう言う時は、最後の一人が間に合うのを確認してから、最後に3人で乗り込むのよって。
なーに言ってんだかって思っていたけれど、もちろん立ち上がってかなり席の離れた所に座っていたその人たちに
「あなたたち、あんな危なくて電車が遅れてみんなが迷惑するような事をしちゃだめよ。」なんて事は言いにいきませんよ。
情けないけれど、ワタクシめは〈急に卑屈な態度〉小市民的な臆病者だし・・・・
だけど何よりも凄いなと思ったのは、おばさんたちがキャピキャピと盛り上がっていた間に、車内の雰囲気が
―シャーないな、おばちゃんは。
と許されるムードになってしまったことなんです。
おばちゃんたち、天下無敵・・・!?
中年パワー、損か得か・・・。
とにかく「凄い」と思うばかりです・・・・・
と、この記事は上の文で終わる予定でいたのですが、ふと、気が付いてしまいました。
私は絶対に扉を押さえるような危ない事なんかしないと思います。でももし階段を下りて行って、おばさんが押さえていて扉が開いていたら、普通の顔をして
「あれっ?」と思いながら、普通に乗り込むんじゃないかしら。
そしてあの青年のように
― ラッキーなんだが、ラッキーな気分がしない。
と言うのではなく、単純に
― なんだか今日はラッキーだったな。
なんて思ったんじゃないかしら。
ああ、微妙です。
とりあえずの教訓は、何でもギリギリの行動は、ゼェゼィハァハァとかっこ悪いことが多いので、何でも余裕を持って行動しましょうって事で良いのかな。
〈って、これ、私には最大の課題です。〉
あと、駆け込み乗車は、やっぱりみんなの迷惑であり運が悪いと死も招く事故にも繋がるので絶対に止めましょう。
「ナイスミドル」を変換したら「ナイスミディ」と誤変換 ・・・ ではなくて、新しい表現でしたか。
ミディは、ミッキーマウスのお相手のミニーのようでもあります。
「鳥引き裂きに行ってきます」と携帯電話にメールが届くと、なんじゃいと思ったら 【取引先に行ってきます】が誤変換されたものでした。(^^ゞ
いろんなまちがえた例をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7ce571a9ebdbb0dc7cca394afdd820b2
>「鳥引き裂きに行ってきます」と携帯電話にメールが届くと、なんじゃいと思ったら 【取引先に行ってきます】が誤変換されたものでした。(^^ゞ
おもしろーい !
で、さっそくリンクしてくださった所に富んでみました。
あっ、「飛んでみました」が誤変換だ~!!
>狂犬化した君のことばかり考えてしまう
が、結構ツボでした♪