《風のように人生を通り過ぎていく、番外編》
書き終わってもいないのに、早くも番外編・・・
まあ、いいか。
《その5「今日はいい日だね、その2」》の続きです。
※ ※ ※
ずっとずっと昔、まだ私に子供もいなかった頃、山梨の祖母が亡くなりました。その祖母とは子供の頃にも1年に一度会うか否かで大きくなってからは殆ど会わず、祖母も孫の名前をちゃんと覚えていないそんな関係でした。
だけどどうも私は血の繋がりを大事に思うタイプなので、「祖母」という名の人がそんな遠い関係の人であることを寂しく思っていたのです。それで結婚してから夫を連れて私の両親と一緒に祖母が住んでいる叔父の家を訪問したのです。その日は特別な思い出深い日になりました。その後祖母の口から私の名前が出るようになったと風の便りに聞いて嬉しく思い、せっせと密かに暖かい下着を集めていました。纏まったら贈ろうと思っていたのです。
だけどそれを送る日も待たずに祖母は逝ってしまいました。
その葬儀に参列して、初めて気がついたことですが、私は本当の通夜というものに経験がなかったのでした。通夜といっても、通夜の式に参列し精進落としの料理を食べて帰るという段階のことではなく、その後のことです。
父が亡くなってから通夜の日までは5日間の間が空いていたので、私は普通に仕事をしていたのですが、
「今週の土曜日にはお通夜に行かなくちゃ。」と言うと、そこに居た子供たちは
「良いな、ご馳走を食べるんだよね。」とみな言うのです。
実は私も昔はその程度の発想しかありませんでした。精進落としの客たちが帰っても、残った家族や親族は酒を飲み交わし賑やかに故人の思い出話に華を咲かせるのかと思っていたのです。
だけど家族と親族だけが残ると、
「シーン」という音が部屋中に満ち溢れました。何かを話したくても、歳の若い私が、しかも日頃からお付き合いのない親戚に対して話を振るなんてあり得ないことでした。
―静かだなあ・・・
と思ったその時、妹がツンツンと腕を突き小声でコソコソと以下のことを言ったのです。
「お姉ちゃん、あのさ。あまりに静かなんで、『凄いな、この静けさは。まるでお通夜みたい』って思っちゃった途端に」
オチを待たず、私の顔はニマァっとにやけてしまいました。
「『あっ、本当のお通夜だった。』って気がついたの。だから静かで良いのかって。」
箸が転がっても可笑しく感じた若き日、ちょっと笑いを堪えるのが大変でした。
しかし「お通夜のようだ。」という言葉があるくらいなのだから、通夜の夜にしんみり、またはシーンと静かなのは正しきあり方なのかもしれません。
でもそれって、我が家流お通夜の夜には当てはまらないような、そんな気がしてました。
あっ、今気がついたのですが、「お通夜の夜」っていうのは「頭痛が痛い」と同じ感じでしょうか。
って、それもまあ、いいや。
父は町会であれやこれやとやっていた人で、町内会館には思い入れのある人だったと思います。なので葬儀はそこでやることにずっと昔から決めていたようです。
今は葬儀場などを借りてやると、通夜の寝ずの番なども夜通しはやらないのだそうですね。
20年以上前に自宅で葬儀を行った義父の時も、夫たちは皆そこに泊まったというのに、明日のことを考えてある程度の時間が来たら皆寝たのだそうです。
町内会館の二階には、その寝ずの番の為に泊まれるようにもなっているのですが、なにせ葬儀にも頻繁に利用される会館ゆえに、なにやら「出る」という噂もあるのです。明かりを消して寝ていたらドア付近に知らない人が立っていた・・・なんて噂ではないのですが、もしもそんな人を目撃しちゃったら怖いので、そこに泊まるのはナシにしました。理由はそれだけではなく、家のほうがリラックスして寝られるからというのもそうだったのですが。家も近いし、家から順番を決めて通うことにしたのです。
この順番は予め姉と二人で決めておいたのですが、その時義兄に注意されました。こういうのは気持ちでやるもので、何の権限があってそれを決めるのだと。それはもちろん私が言われたことではありませんが、至極もっともなご意見だったので、引き下がりました。だけどその決めた一覧表のメモは破棄せずに、バッグの取り出しやすい所に入れて行きました。なぜなら予感があったのです。
もしも気持ちを優先して「寝ずの番」を行うと、誰かがめちゃくちゃ頑張るかまたは誰もがちゃんと寝ることが出来ないか、もしくは義父の時のように、「まあ、この辺で。」と言うことになると思うのです。儀式にどれだけ拘るかでやり方が変わってくるのだと思えたのです。
お葬式というものに「慣れる」ということはありません。おおまかな流れは葬儀屋さんが教えてくれるものかもしれませんが、その他の小さなことは、自分たちの考えが生きてくる儀式なのだと思いました。
実際にその日の夜が来ると、他の姉妹とその連れあいから担当の時間を決めてと言われました。
「みなさ~ん、聞いてください。担当する時間はおおまかに決めておきました。異議がなければこのようにお願いしま~す。」
とバッグに入れておいたメモを取り出し言いました。なんたって4人姉妹にそれぞれの連れあいと子供たちなもので、決して「お通夜みたい」という夜にはならない我一族だったのです。
しかも我が家流は、若き日に抱いたイメージの賑やかに思い出話を死者の傍らで語り合うという寝ずの番であって欲しかったのでした。
だから早い時間は孫達全員、つまりいとこ同盟が担当することになりました。いつから同盟などというものになったのかはわかりませんが、親たちは勝手に呼んでいました。
だから、 時間になって戻ってきたラッタくんに私は聞いたのです。
「お通夜なので「楽しい」と言う言葉はないけどね、それなりに良かったですか。」と。
「うん、それなりに意義のある時間ではあったよ。」と彼は言いました。
ところでこのお話が、なぜ《番外編》としたかなのですが、それはこれからのお話を読めばわかります。
みんながそれなりにちゃんと眠れるように予定を立てたのに、私、全く眠ることが出来なかったのです。目を瞑れば5分どころかカウント5で眠ることが出来る私。だけど、まーったくお目目冴え冴え・・・
だけど、長くなったのでまた明日。