そして、現在、進行しているのが第三のシフトである。既に、米国による一極支配体制は、綻(ほころ)びをみせてきている。ただし、変わって王座に就く力のある国は、存在しない。中国、インドは、成長途上の段階であり、世界を率いるような意欲も余裕も無い。わが国やドイツは、米国の庇護下で成長を遂げた国で、米国発の経済金融危機の影響をその震源地以上に受けている。欧州連合は、行動主体となるほどのまとまりがない。絶対王者の座は滑り落ちたが、相対的ランキングで、米国が王座である構図は、当面揺るがないだろう。「米国の凋落」ではなく、「その他すべての国の台頭」により、世界は、第三のシフトに入った。アメリカでも、脱アメリカでもなく、ポスト・アメリカの流れが始まったのである。
第三のシフトにおいては、500年の間に広く行き渡った西洋的(キリスト教的)価値観も、近代化イコール西洋化という図式も、もはや絶対ではなく、すべての国々に、多軸思考に耐えうる柔軟な知と受容力が求められるようになった。
現ニューズウィーク国際版編集長ファリード・ザカリア氏は、米国がとるべき道を6つ提案している。①統治とは選択であり、核拡散とテロ対策に有効な選択をすべきである。②自らの特殊権益を追求するのではなく、世界の結束に繋がるルールや慣例や価値の創出を目指すべきである。③ビスマルクが目指したように、主要国との最善の二国間関係を築き上げるべきである。④多種多様な組織と手法を通じて問題に取り組める有機的な国際システムを作り、和解と融通と順応の姿勢で臨むべきである。⑤軍事力増強のみではなく、創造的に、外交使節団、国家建設の知識集団、技術支援チームなど様々な手段でテロや脅威に臨むべきである。⑥米国は力だけでなく、理念によって世界を変革してきたことに立ち返り、正当性をもって国際社会の支持を得るべきである。
今の米国にふりかかる問題や危機や抵抗は、かつてのナチス・ドイツやスターリンの拡張政策や核戦争といった巨大な脅威から比べ物にならない程度であり、しかも、世界は米国と足並みをそろえつつある。
しかし、米国は、テロを100%防げることはできないが故に、恐怖や不安に呑み込まれている。テロ事件にどう対処するか。残念ながら今の雰囲気では、テロ攻撃を受けると、米国政府は逆上して、正統性のない報復攻撃と、移動やプライバシー、市民的自由に対する規制強化をかけ、膨大な経済的、政治的、道徳的コストを負うことになるであろう。復元力に目標をおいて備えるべきなのである。
米大統領に黒人のオバマ氏が就任するという歴史的な出来事が起こった今だからこそ、内向きになるのではなく、米国が繁栄を成し遂げられてきたその「開放性」という原点に帰るべきであろう。「開放性」こそが、新しい経済時代への迅速かつ柔軟な対応を行うこと、変化と多様性をいとも簡単に制御すること、個人の自由と自律の範囲を大きく広げることを可能にし、ついには、米国をして人類初の世界国家にならしめることを可能にしたのである。
では、私達日本はどうあるべきか。米国の庇護の時代から、まさに今、自立した国を歩む時が来たのだと思う。現在、米国よりも不況のどん底にあるが、米国依存の輸出中心の産業構造から抜け出し、環境分野、ナノ技術、勤勉性など日本の強みを活かしつつ、力強く立ち直って行きたい。航空分野、医療・薬品分野などの欧米頼みであった技術開発も率先して参入し、国力をつけねばならないだろう。利益至上・効率第一の「管理システム」から、和を尊ぶ「思いやりシステム」を産業・労働分野に取り入れ世界に発信することもできるのではなかろうか。そして、国連の常任理事国になれようがなれまいが、キリスト教的文化圏とイスラム教的文化圏の間に位置して両者の交流や親善を橋渡しする役割を担い、平和憲法を有する国として、世界平和に貢献するのである。
日本が、このように真に自立した国となるためには、教育立国となることがまず大切である。教育への投資は惜しむことなく行うべきであり、地域・学校・家庭が一体となって、障がいのありなしに係らず、親の就労形態に係らず、異世代交流・異文化交流の下で、全ての子どもが共に学べる環境をまず作って行きたいものである。日本の再生は時間がかかるであろうが、十分可能であり、第三のシフト下において、日本の世界貢献の場は必ず来る。
参考文献:『アメリカ後の世界』 ファリード・ザカリア 著、楡井浩一 訳、徳間書店
(『THE POST-AMERICAN WORLD』 by Fareed Zakaria)