京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

春を召しませ

2025年02月28日 | 日々の暮らしの中で
1月は何かと新年の催しごとも多く、尼講の新年会は2月に入ってというのがこれまででした。それが今年は2度の寒波襲来、あわてるなとばかりに思いっきり予定を変更しての月末は、結局月始めの土曜日となりました。明日土曜日は3月の朔日です。
で、尼講さん寄り合って、ひな祭りと洒落込むことにいたしました。


娘の初節句には近所の女の子たちを招き、成長とともに学校友達が集まるようになって、もてなし好きの義母と一緒に、彼女たちの雛会を歓待したのでした。娘が小学校を卒業する春先、若い娘たちの集まりに尼講さんたちを加えてもらおうと義母が発案し、娘の許可もおり、仏さまを背に一堂に会して楽しんだことがありました。

喜々として赤飯を蒸し、ばら寿司を作り、もてなし好きをいかんなく発揮…したのは義母ですが、大きな鉄なべでお汁を炊いて、合間合間に義母の手伝いをするのが私でした。

今日昼から、お当番さんとおしゃべりしながらお汁の具材を切るなどして準備を終え、その間に私は会場も整えたしで、炊きだすのは明日のことです。
仕出し屋さんにお弁当を、洋菓子店にはケーキを届けていただくことにして、ちょっと贅沢な、女の祭り講を勤めます。
私に義母のようなカイショがないのを幸いに、バタバタと動き回らず、時には楽してゆっくり楽しもうのモットーです。


老いても華やぎを忘れたくありません。そうそう、生きている私たちの明るさがなけれなならないのです。雛も多くの人に愛でられて美しさを増すのでは。

夕暮れ時に灯したぼんぼりに雛のお顔はいよいよ白く、気高く映えています。

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春を知らせる

2025年02月26日 | 日々の暮らしの中で
昨日25日は天神さんで北野天満宮に市が立ちました。そして梅花祭。



「梅咲くや白くも濃くも大自在」とは程遠く、ちらほらとほころんではいるものの、まだまだこれから。


京の梅は開花が遅れていると報じています。このところの寒波の影響というよりも、昨夏の厳しい残暑と乾燥が影響しているようです。
天神さんの梅の見ごろも3月中旬ごろと耳にしました。



   白い自由画           丸山薫『北國』より    

「春」という題で
私は子供達に自由画を描かせる
子供達はてんでに絵具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる

ただ まっ白な山の幾重りと
ただ まっ白な野の起伏(おきふし)と
うっすらした墨色の陰翳(かげ)の所々に
突刺したような
疎林の枝先だけだ

私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして 誤って
まだ濡れている枝間に
ぽとり! と黄色を滲ませる

私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ
「あゝ まんさくの花が咲いた」と
子供達はよろこぶのだ


誤って落ちてしまった色に、春を予感する子供たちの喜びよう! 

むか~し昔、中学生と一緒に読んだことがありました。
詩はあまり(ほとんど、かな)読んでこなかった中で、春先にときどき思い出す、好きな詩の一つです。

冬がようやく終わる、と実感します。
我が家の梅もまだまだ小さな蕾のまま。ただ気持ち、色味を濃くしていると言った感じでしょうか。

 

お雛様が売られています

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夢とうつつの境に

2025年02月24日 | 日々の暮らしの中で
来年飾れるかな、という思いだけが雛段を飾る力となり得ている。
せめて一年に一度、この世の空気に触れさせたいと思うのだ。


          箱を出て初雛のまゝ照りたまふ       渡辺水巴

昨年、ハルノ宵子さんの「3.16のお雛様」と題した短いエッセイ(2015年3月9日付け)の切り抜きを偶然にも見つけ、読むことがあった。
宵子さんの父・吉本隆明氏は、この3年前の2012年に87歳で亡くなられている。

吉本家では3月いっぱいはお雛さまを飾っていたそうで、隆明氏が入院中も例年通り、氏が寝所としていた和室の客間に飾ったという。
隆明氏が旅立ったのは3月16日だった。
病院から連れ帰り、まだお雛様が飾ってある客間に布団を敷いて寝かせたそうだ。
葬儀社の人からは片づけを促されたが断って、「赤のお雛さまと白いお花に囲まれ、実に愛でたいお通夜となった」と書いてあった。
それを今年も思い出している。


もともと夢とうつつの境界が曖昧なところがあった、と父親を語っている。
12分の11カ月ほどを暗闇に閉ざされて過ごすお雛様には「現世こそが夢」。
隆明氏の帰りを待っていたお雛様は「いいんじゃないの。私たちはどちら側にいたって夢の中なんだから」と、微笑んでいたらしい。
人が奇異に感じても、そうした日常だった中で最期の時を過ごすのも案外いいのかもしれない。

宵子さんは書いている(『隆明だもの』)。
「お寺には悪いが、どんなに催促されても、四十九日以降、一周忌の法要すらしていない」
「気の済むようにやってくれや」という父の声に従っているのであって、「父への最高の供養だと思っている」と。



娘が家を離れてからは、さすがに3月いっぱいは憚ったが、3日を過ぎてもさらに4日5日と飾ったままなのが例年のことになっていった。吉本家に倣って「思う存分〈現世〉にいていただこう」。
今や我が家の住人二人だって、〈夢とうつつの境界〉をさすらっているも同然かもよ。


午後も3時近くなると雪雲はすっかり遠のき、春の明るさで日差しが差し込んできた。

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人にはそれぞれの事実がある

2025年02月22日 | 映画・観劇
午後2時からという上映開始の20分前にチケット売り場に並ぶということになってしまった。
10分前には入場開始の案内があるので、すでに周辺には人も多く、それもやけに男性が多く詰めている。混んでいるのだ。実際残りの座席は7、8席ほどで、選ぶ余地もなく後方の空きを指定した。


海外の映画祭で13冠と評価された「事実無根」。
冤罪で大学を追われてホームレスになった元教授・大林明彦(村田雄浩さん)が、生き別れた娘・沙耶に会いに来る。
娘のアルバイト先「そのうちcafe」のマスター星孝史(近藤芳正さん)も、映画監督への夢が破れ、過去にDVがあったと妻から一方的に証言されて離婚、3歳で別れたまま15年間も娘と会えないでいる。
マスターの優しさは二人の間に奇妙なつながりを生み、やがて大きくドラマは展開する。

ウソか本当か。事実の捉え方は人によって異なる。
「事実無根というのは、どこにでも存在するのではないか」、
と語る監督の言葉が映画を紹介する記事にあった。
「生活するというのは、他人とともに生き、何かを共有すること。自分も京都で暮らすようになって救われた」と。
人にはそれぞれの事実がある。


人への批判力よりも自分を反省する、顧みる心がほしい。
「責任を自分に痛感する心が失われている」
いつだったか、高田好胤さんの言葉に触れたことが思い起こされる。

過去にとらわれながら生きる男たち、でも生きるには未来を見なくてはならない。それには今を大事に生きることが求められる。
「現実とどう折り合いをつけて人は生きていくのかを描きたいと思いました」と監督は語られている。

クラウドファンディングで集めた資金をもとに京都から全国展開を見据えているという。
近藤芳正さんのおかしみあるひと言がクスッとした笑いを何度も誘う。公園にやってくる子供たちとマスターとの親しみもいい。
「そのうちcafe」は下京区の六条院公園に隣接した実在する店だそうな。
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江戸の戯作 出版事情

2025年02月20日 | 日々の暮らしの中で

毎日寒いこの頃です。寒さで総毛だっているわけではなく、トロール人形というらしいです。
はだかんぼうでは寒そうです。



「一茶さん、ご紹介しますよ、鈴木牧之(ぼくし)さんです。越後塩沢のかたでね、俳人ですよ」
三七、八というところか、屈強の男で、律儀そうな眉だった。縮みの仲買人です、と自己紹介する声音と言葉は、一茶の耳にしたしい越後訛りである。名字帯刀を許された家柄だというが、絵も描き、詩作もし、俳諧にも親しむ。


「実はもうここ七、八年ばかり著述を続けております」
「京伝先生、一九先生、馬琴先生にもお願いしているのですが、皆さんそれぞれにお忙しくて…」
いつかは世に出したい。しかし江戸の出版業界は動いてくれない。

『北越雪譜』を世に出した鈴木牧之と一茶との接点があったのかと、『ひねくれ一茶』(田辺聖子)を読んで記憶に残った(史実を確認してはいない)。

一茶の故郷の信濃では、十一月の初めから白いものがちらちらする、人々は悪いものが降る、寒いものが降る、と口々に言い罵るのだ。やがて、三、四尺も積もれば牛馬のゆき来は、はたと止まり、長い冬が来る。だから初雪を村人はどんなににくむか、〈初雪をいまいましいとゆふべかな〉
などと田辺さんは描いたが、江戸と遠く離れた越後の様子も江戸に知られてはいなかったのだ。
豪雪地帯で人間の生活がどういうふうに宿命を受けているのか。興味深い民俗習俗行事にも触れて綴られた『北越雪譜』は岩波文庫で読める。

「もう7、8年」とあるが、10年をかけて綴ったようだ。
原稿は山東京伝に渡った。知らなかった雪国の風俗に興味をもち、出入りの版元に出版を頼むが無名の作者で利益が出るどうかかわからないと渋られる。(1年間そのままだったので一旦返してもらった、と牧之と一茶の会話にあった)。


どのような過程を経て刊行に至ったのだろう。
ひたすら書いて、刊行までには40年がかかったという。
40年かけて、著書を江戸でベスタセラーにした。
木内昇さんの『雪夢往来』でそれが読めるようだ。
「江戸の出版界に翻弄され続けた」「世に出るまでの風雪」と帯に読める。江戸の戯作者たちのライバル心、出版事情が描かれるようだ。


江戸後期の出版人・蔦屋重三郎を主人公にしたNHKの大河ドラマが始まっているが、この物語は初代蔦屋の没後に始まっているというから大河の関連本とは異なる。


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人をそしらず自慢せず… ちょっと孫話

2025年02月18日 | HALL家の話
        
1/31学校帰りに親友のJ君と魚釣り。クリークで釣り上げました(左) 
一昨日、釣竿を買ってもらったのだとか(右)
昨日は帰宅後に家から近い場所で、大きな魚を釣り上げました。このサイズの違いは竿のせい?


釣ったのは孫のタイラーですが、この魚の名はテイラー(Tailor)と呼ばれ、オーストラリアやニュージーランドではよく知られているようですが日本ではあまり見かけない魚だそうです。

友人やその家族に連れられ、魚釣りの楽しさを覚えはじめたのか。
“肩たたき 激励し合える人がある おお我こそ この世の幸運児~!!”
などと孫Tなら口にしそう…、だけどちょっと古めかしいや。



過日ゴールドコーストで開催された試合で、偶然にも主催者側のカメラマンがこのわずかな瞬間を追ってくれていたようです。

   

シュートを決めたのはチームメイトです。この孫Lのパスを受けて、みごとゴ~~~~ル。
所属するクラブのページにもアップロードされて、親はにっこにこ。応援団もにこにこ。
巧みなボールコントロール。“”華麗なるゴールアシスト”、なんて言って賞賛。もちろん私がです。


なんと言っても、パンパースでお尻を膨らませていた頃からボールを追い、その相手をしたのが私ですからね。

人をそしらず自慢せず…。って自慢してるじゃないの。いえー、自慢じゃないのよ。
思うに、彼らの生き生きした姿が嬉しいのだな。笑ふてくらそ ふふふふふ。
Tylerの、Lukasの、味のある一言が聞きたいなあ。


   そしる風ほめる風をもそのままに 柳になりて南無阿弥陀仏  
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梅が、満開ですよ

2025年02月16日 | こんな本も読んでみた

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」

諦めていた診療所の医師・堂前が戻って来た。
歓声をあげたいような村長・村瀬の心の内は、夫人から分けてもらった梅の木が今満開を迎えているという歓びの声掛けとなって表われ、しみじみとするラストだった。
この梅の木は、三陸海岸に近い漁村の診療所に家族で赴任してきた堂前医師の妻が宅配便で苗木を取り寄せ、多くの村の人たちに贈ったものだった。
子どもは学校に馴染み、夫人は村人たちと山野を歩き回り、生活にも十分満足して暮らしていた。けれど夫人は白血病だった。

葬儀は湘南にある妻の実家で営まれた。
葬儀には岩手ナンバーのマイクロバス6台に分乗した200人を超える村人たちが駆けつけた。夜を徹してやって来たのだ。
わずか2年の日々に築かれた縁の深さに、思わず熱い気持ちがこみあげる感動の場面だった。


ブログを通じご紹介いただいた「梅の蕾」は、『遠い幻影』(吉村昭)に収められた12の短編の一つだった。
さほど多くは読んでいないが、そのなかでも短編集は初めてだった。

一篇一篇違うテーマで様々な人生を見せながら、それでいて描かれた世界は人間への慈しみが通底している。
短編だからこそだろう、どの作品もラストの切り上げ方がなんとも巧みだ。いいなあ!と思えて余韻に浸る。氏の優しさに触れるせいでもあろう。
文章も滑らかで、どことなく品?があるのをここであらためて感じていた。

表題作の「遠い幻影」では、印象深い記述に多く触れた。
「死はいつ訪れるかわからないが、漠とした記憶を記憶のままにしておきたくない気持ちがある。この世に生きていた間の事柄は、出来得るかぎりはっきりとさせ、死を迎えたい」


母親の壮絶な死を題材にした著者の私小説「夜の道」が収録されていると知って、同時に買い求めておいた『見えない橋』。今夜はこれを…。

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
早くこう言いたいものだが老木の蕾はまだまだ小さくてかたい。

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3人6つの手をかざして

2025年02月14日 | 日々の暮らしの中で
何か寄り合うことがあれば炭をおこして二人に一つの火鉢を用意したものだったが、出番はぐっと減った昨今。
二人の間の火鉢自体が熱を放ち、手をかざし合いながら暖をとる光景もまた部屋を暖めるぬくもりがある。


薬缶がシュンシュン音を立てる大火鉢のぐるりで、3人6つの手をかざしおしゃべりにいとまがない。

もっとも、二人はそれぞれに一方通行で、気のすむまで自分のことをしゃべり続けるから話は膨らまない。いるんだよなあ、こういう人。わかっているので必然、一歩下がって聞いている。まあ、ようけようけ喋って気を晴らす。噛み合わない話も、そのこと自体をおかしく聞かせてもらうのだ。
ただ…。

昔から少しも変わらないまま歳だけは80歳になられた感じのTちゃん。
「keiさん、おとうちゃんがな死にそうなんよ」と言いだす。
自分の連れ合いを他人に「おとうちゃん」というのも若いときからだ。けど、今はそんなことより「死にそう」だというTさんの様態が気になる。

入院しているのだが、昨日も今日もTちゃんは孫のピンクの傘を杖代わりにして、どこへ行くのか家のぐるりを歩いている。
「わたしは今年なんと80になるんやわ、keiさん」 会うたびに口にするTちゃん。

どうやらさほど“おとうちゃん”に緊急性はなさそうなのかな。話し半分に聞いてはいるものの、ぞんざいに聞き流せないことだってある。
ぼーっとしていて疲れたような、なんとなく安らいだような…。気を遣うことの要らない心やすさがあるせいかもしれない。

五目豆を炊いた。うまく煮立てて食す楽しみ。
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あなたのものになりますように

2025年02月12日 | 日々の暮らしの中で

明日はお客さんごとがあるからと思い、境内の落ち葉を熊手でジャリジャリ、ジャリジャリ、敷き詰めた小砂利を撫でるようにしてかき集めた。小一時間もするころ、左側の背脇から腰に重だる~い疲れを感じて、はいそこまで。
雨もしょぼしょぼしてきた。今夜は本格的な雨になるとかだ。意外と寒い。

今日は初めてカワセミを見た記念日。
賀茂川べりを歩いていて、気づけば葉を落とした小さな木に止まっているではないの。カメラを!と取り出す前に飛び去ってしまった。
塑像のようにじっとたたずんでいるのはこれ。






あなたが生まれた日、
あなたがはじめて小さな息をした瞬間、
世界中がよろこびでいっぱいにみたされました。


絵本の表紙を開いて、もう1枚開くと扉があります。そこから中に入りますと、最初の1文にこうあります。
この1文を読んで、あなたはこの本を読んでみようと思いますか?


ではもう少し。あと2文でこのページは終わります

あなたの誕生をいわって、生きとし生けるすべてのものが、
あなたに12の贈り物をさずけました。
あなたがその贈り物を必要とする日のために。


ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
12の贈り物って? そのうちの一つは…。ページをめくってみます。

1番目の贈り物は

あなたには、けっしてかれることのない力の泉があります。
つかれはてこれ以上一歩も前に進めないと思ったときも、
あきらめないでください。


(……後略)
漢字にはすべてルビがふってあります。
『12の贈り物 The Twelve Gifts of Birth』 シャーリーン・コスタンゾ作



『ある日、小林書店で。』由美子さんは親しくなった保険代理店の女性にこの本を薦めてみました。何か響くものがあったのか、彼女は会社の社長にも薦め、…
といったエピソードが語られていたのです。

私はしばらく前に、童話を書く友人から紹介され購入していたのです。以来、孫娘が20歳になったら、あるいは社会人となるときのプレゼントにしたいなと思い続けているのです。
一度だけ、お孫さんが生まれる友人に手渡したことがあります。彼女は娘さんに手渡しました。
人から人へと読み継がれてきた一冊のようです。



「すべてを生かし、生かされ、よろこび、感謝する人生が
 あなたのものになりますように。」
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豆粒みたいな本屋でも

2025年02月10日 | こんな本も読んでみた
風は冷たいが、久しぶりの青空が嬉しい。


若い人が読んでいて、「よかった!」と言った。どうよかったのかな。読んでみることにした『あの日、小林書店で。』。

主人公は、出版社と書店の間をつなぐ「出版取次会社」の新人営業ウーマン・大森里香。
東京生まれの東京育ちが大阪支社に配属が決まり、戸惑う日々に小林書店の由美子さんと出会うことで成長していく物語といえようか。小説とノンフィクション(由美子さんのエピソード)を融合させた作品になっている。

店の前を誰も歩いてないような場所でも、商売は立地だけではないと思って頑張ってきた由美子さん。しかし、そうでないとわかっても移転するわけにはいかない。店の大きさ、売り上げの実績などで入荷する本や冊数には差別があり、個人商店の経営は難しい。
小さな町の本屋を続けるために、どうやって本を売るか、どう伝えたら欲しいと思ってもらえるか。お客さんの顔を思い浮かべながら行動してきた由美子さんの様々な挑戦は里香の心に届き、支えとなっていく。


本をほとんど読んでこなかった里香は、由美子さんに薦められて『百年文庫』(ポプラ社 全100巻)を読み始めていた。
読んだ本が圧倒的に少ない。そういう自分みたいな人には、誰が薦めてくれたらその本を読みたいと思うだろう。
お客さんからお客さんに薦めてもらう。お客さん100人に選者になってもらって、それぞれに1冊の推薦文を書いてもらおう。
里香が初めて立てた企画「百人文庫」は、書店でのフェアとして採用された。
どうやって100人を確保するか。店の売り上げにもつなげたい。準備は進んでいく。

私にはどちらの体験もないが、楽しそうなフェアがかつて実際にあったのを知った。
ほんのまくらフェア」が紀伊国屋書店で、「帯Ⅰグランプリ」がさわや書店フェザン店で開催されている。
本の中身を隠したカバーに「書き出し=まくら」の一文を載せて、それだけを手掛かりに本を選んでもらう。同様に中身を隠し、本のタイトルもだが、帯のキャッチコピーだけを頼りに選んでもらう、という試みだった。

文庫本に挟まれていた栞には、こんな言葉が書かれていた。
「なすべきことをなす
 という勇気と、人の声に私心なく
 耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
 知恵はこんこんとわき出て
 くるのである。」            (松下幸之助『大切なこと』)

自分は何を大切にして生きているのか。
泣いて笑ってを積み重ねる日々にも、考え続けて取り組めばきっと道は開けるだろうし、自分ならではの価値あるものを生み出していける。そんなことを考えさせてくれた一冊だった。


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年寄りの合い言葉は

2025年02月07日 | 日々の暮らしの中で
昨日あたりから冷え込みの厳しさをしんしんと体感。今夕から舞い出した雪がうっすらと積もり始めています。

昨年が少し遅かったという声があがって、今年は明日8日に尼講さんたちの新年会を予定したのでしたが、この寒さ。延期したいと申し入れがあって…。
「わかりました」と応じただけですが、本来予定していた別の集いを一週間ずらしているので、ちょっと複雑。
そうは言っても、お汁を炊くための下準備から始まって場所づくり諸々、考えるだけで震え上がる寒さですから、やっぱり延期でよかったのかも。やはり昨年並みに月末辺りが良いのです。


義母だったら…。「そやなあ、寒い中でせんならんこともない」と、こんなところだろう。
永代経や報恩講などでは、お参りの方々と一緒に義母も私も法話を聞いて過ごしてきた。
お話が終わると、皆さん口々に「よいお話やったなあ」と言った。ああ言った、こうも言ったと振り返る。そこにはいつも半身を揺らすほどに大きくうなずきながら、何度も「ほんまやなあ、ほんまやなあ」と相槌を打つ義母の姿があった。
言葉少なにいて、互いの心を近づけ合うものが生み出されていた。

こんなことを思い返したのは、村田喜代子さんの『飛族』の中にあった「年寄りの合い言葉」として描かれた箇所に誘われたのだ。

五島列島のどこかの島らしい養生島に、3人の女年寄りが住んでいた。そのうちナオさん97歳が亡くなって、イオさん92歳とソメ子さん88歳の二人だけになった。イオさんの娘が母親を本土に連れて行きたい思いで島を訪ねている・・・。


近くの貝殻島で年寄り一人が亡くなったとき、いつまでもしきりに鳴くカラスに「なにがせつのうてそんなに鳴くか」と問いかけたというソメ子さんの話を受けてイオさんが言う。
「おお、思い出したぞ。そうかもしれん、そうかもしれん。わしも…」に、

〈年寄りの話のやりとりは食い違うことがない。およそ彼女らの言い分に争いはなくて、双方の話は相合して溶け合い一つの話としてつながる〉とし、
〈年寄りの合い言葉はいつも「おお、そうじゃ、そうじゃ」か、または「そうかもしれん、そうかもしれん」というものだ〉とあったのだ。

こんなとき、「そやけどな」と一言添えるのは案外男年寄りが多いのかしら?? それは偏見かしら。
もっとも、話がかみ合っていないのにほころびは縫い合わされて、わかり合っている場面もあるのだから面白い。

「寒いから延期にしましょう」 「そやな、おおきに」電話連絡は間違いなく届いたのでした。
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口下手で排他的で寂しがり屋で

2025年02月05日 | 日々の暮らしの中で

今朝なんのひょうしにだったか「2月5日」という日付けを目にして、今日が西村賢太さんの祥月命日であったことに気づきました。
氏の芥川受賞作品『苦役列車』を読んだとき、その内容はともかく「この文体好きだ」と感じた思いは、後に読んだ『誰もいない文学館』でも同じように感じたものです。

肉声を聞いてこなかった私は、時折人生に、文学をのなかで語る氏の言葉に耳を傾けることがあり、こちらのNHK ETV特集「魂を継ぐもの〜破滅の無頼派・西村賢太〜」からも、氏の心象に想像を巡らせていたのです。

決して熱心なファンではないし、読んだ作品は2作のみ。それでも何か引かれてきた。どうしてこう引かれるのか。稀有な方だ。
ことばの使い方、作家としての姿勢、文学観、他人との関わり方…、にこだわりの強さを感じ、ときにはその言葉の激しさ、汚さには偏見さえ感じたが、同時に同じ思いをそこに見いだす自分がいたりもする。


1月上旬に三条駅ビル内のブックオフで目にして即買いした『雨滴は続く』。
2016年から「文學界」に連載してきたものが、連載最終回の執筆途中に著者が急逝、未完の遺作となった。2022年2月5日、54歳で亡くなり、3回忌を前に早くも文庫化されている。

【2004年の暮れ、北町貫多は同人雑誌「煉炭」に発表した小説が〈同人雑誌優秀作〉に選出され、純文学雑誌「文豪界」に転載された。これは誰からも
認められることがなかった37年の貫多の人生において、味わったことのない昂揚だった。
次いで、購談社の編集者から30枚の小説を依頼される。貫多にとって純文学雑誌に小説を発表することは、29歳のときから私淑してきた不遇の私小説作家・藤澤清造の“歿後弟子”たる資格を得るために必要なことであった。
しかし、年が明けても小説に手を付ける気にはなれなかった。貫多に沸き起こった、恋人を得たいとの欲求が、それどころではない気持ちにさせるのだ。
1月29日、恒例の「清造忌」を挙行すべく能登を訪れた貫多は、取材に来た若い新聞記者・葛山久子の、余りにも好みの容姿に一目ぼれをしてしまう。・・・】
小説は、貫多の作品が芥川賞候補になるところで終わっている(らしい)。

巻末にヒロイン葛山久子さんによる特別原稿が収められている。
葛山さんが書かれていた。
「・・・取材のお礼として、後日いただいたお手紙が、あまりにも繊細で、きれいな文体だったため、『この文章にもっと触れたい』と思い、お返事を書きました。それから細々と続けた文通は、もう17年になります」
「自分に自信のないところ、それを必死に隠そうとしているところ、口下手なところ、排他的なくせに寂しがり屋なところは、私ととても良く似ているような気がします。出会うべくして出会ったような気もします」

投げ出そうかという気持ちも半分生じかけていたが、読み切ろうと改めて思った。
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吉祥の花

2025年02月04日 | 日々の暮らしの中で
立春を迎えた新しき春の日に手を伸ばしたのは、澤田ふじ子さんの『花暦 花にかかわる十二の短編』だった。
冒頭の「寒椿」のヒロインは、大垣藩の家中では微禄に属する武家の娘で24歳のふき。
17歳のときに母を亡くし、天守閣修理工事中に怪我を負った父の世話をしながら幼い弟を母親代わりに育てていた。

ふきは賃縫いに精を出し、呉服商からは上物をまかせられるほどの信頼を得るまでになった。
母からの秘伝の草木染めで染めあげた、深い青磁色の布を男物の胴裏に用いることがあった。そしてその染め色に心ひかれる女性がいた。

ふきは、圓通寺の道端で落ち椿を拾い集めた。
律宗の寺院では仏前供花に椿の花を用いていて、長寿、結縁をあらわす吉祥の花として喜ばれている。


「これ彦十郎、椿の木をゆすり、もっと花を落としなされ…」
ふきの人生にも花どきが訪れるだろうと余韻もあたたかい。しっとりとしたふじ子ワールドから好きな1編を読み返したのだった。

ふきは、婚期を逃すも自分の今後に深い覚悟をつけた。
それは、私に残された短いような長い時間を何を支えに、どう生きようとしているのかを問いかけても来る。

  寒椿力を入れて赤を咲く 
花粉の運び役が少ない寒中、鳥を甘いみつで誘う。そのためにも、遠くからでも目立つ赤い花を咲かせる。ー自らを知る者の強さ。
と子規の句に添え、コラムが綴られていたことがあった。


♪ “愛が一つ芽生えそうな・・・”、 椿の花 ぽとりぽとり。

雪でも呼ぶのかな、風が窓ガラスをたたく音がする。
陽気に温かさを増すころが待ち遠しいと身を縮めている。
                            ー椿の写真は過去のもの
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ぎょうさんの齢いただく

2025年02月02日 | こんなところ訪ねて
【「鬼の目にも涙や流す節分の 窓の柊に行きあたりつつ」
浅井了意の「出来斎京土産(できさいきょうみやげ)」が狂歌に詠んだ五条天神社の節分祭。
平安遷都に際し大和から勧請した古社。五条大路にあり、五条天神宮とも称した。

祭神少彦名命(すくなひこなのみこと)は医薬の祖神。近世、節分に朮(おけら)を受け家でくすべ悪鬼を払う習いがあった。日本最古という宝船図の授与は今も有名で、神朮(しんじゅつ)の風習を訪ね求める参詣者もある。】


と記された坂井輝久氏の『京近江 名所句巡り』に導かれ、初めて五条天神社を訪ねてみた。
烏丸四条から西へ、西洞院通を南に松原通まで下がると右手に鳥居が目に入る。




近隣の氏子さん?か、顔見知りらしい人が多かった。


宝船と聞いてうかぶ七福神のイメージとは大きく異なって、船には一束の稲穂が乗っているだけ。
日本最古という宝船図には関心もあったが、こうして見本が貼り出されていて、それをこともあろうか?写真に収めてすます。
そんな人間でも、この一年の息災の祈りは医薬の祖神にとどくものかしら…。


※「出来斎京土産」というのはネットで検索してみたところ、出来斎という主人公が洛中洛外の名所を遍歴して狂歌を詠む趣向の名所案内記と説明されたものがあった。作者の浅井了意は、江戸前期の仮名草紙作者で、浄土真宗の僧となったという。


  
  ぎょうさんの齢いただく年の豆  桂信子

ああ、豆ばらに…。

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親バカばんざ~い

2025年02月01日 | HALL家の話
つい先日1月28日から新年度を迎えた孫T&L。兄のTは8年生(中2)、Lは小学校3年生です。それとともに、クラブでのスポーツも始まりました。


一昨日、母親からこの写真が送られてきたあと間もなくすると、父親からも同じ写真が送られてきました。その心中を思いながら、親バカばんざ~い。

ちょっと“入団会見”ふう?…。
ブリスベン市のアカデミーのサッカークラブに属している孫のLulasです。昨年度末、このクラブで1年間無料で指導を受けられる(別枠での)チャンスを得るためのトライアルがなされました。
Lは前もってオファーをいただいていたのですが、合格者向けに初めてのプレゼンテーションがあったのだとか。
そして入会のサインをするのに、今年度はこの晴れがましいようなセッティング付き。

両脇に、アカデミーのオーナーとコーチ。このコーチへの信頼が厚いようです。
マスコミの関係者がいるわけではありませんが、カメラマンは大勢いるのです。娘もその一人です。心憎い場面設定です。
そうしたことがとても上手い指導者たち。この国での教育場面で気づかされることの一つに、一人ひとりを引き立てる子供への賛辞の多さがあります。
父親もI'm proud of you.なんて言いながら息子を抱きしめているのかもしれない。

そして、親バカばんざ~い!の話。
江戸時代、京都二条の高倉に住んでいた町人・脇坂義堂が家庭教育書『撫育草』を記した。それを小児科医の故松田道雄さんが、『おやじ対こども』と題して読み解いた。
その文中に〈親バカというのは子供の将来についての徹底した楽観論で、…親バカ精神は教育の基本だ〉といった記述があるというのです。

いつだったか一度書いた覚えがありますので、またまた親バカばんざ~~~いです。
じじバカも、ばばバカもばんざ~いです。
褒めて褒めて育てるのがいい。父親のコーチングも子供たちはちゃんと受け止めてそれぞれのスポーツで練習に励んでいる。素直な心にもばんざ~い、を。


   

兄はといえば、金曜日学校帰りに親友のJ君と魚釣り。
小さなバッタすらキャーキャー言っていた子が手づかみにしています。J君のお父さんに連れられた何度かの釣り体験が彼を育てたのです、きっと。
やっぱりばんざ~いです。

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