京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

親しさの膝を寄せあう

2024年12月02日 | 日々の暮らしの中で
「小春の空の晴れつゞき。」
と書き出される荷風の「小春」という詩(『偏奇館吟草』収)のように、日曜日からぽかぽか陽気に恵まれて(おそらく明日も)、土・日と勤めた報恩講を無事終えました。

お参りのなかったご門徒宅へ、午前中に“おけそさん”(お華足さん - 積み重ねて供えた丸い小餅)をお届けにあがり、後日の会計報告を待つばかりに。
後片付けはボチボチと。

初日は昼から、二日目は朝から晩まで、当番組の方々と共に過ごし、お参りには本堂に寄り合い、法話も共にいただき、もうまさに
〈親しさの膝を寄せあう親鸞忌〉でした。
段取りを確認し合いつつ、何かを一緒にすることで親しさや信頼度が増すのは、老いも若きも変わりないことですね。


ただ、私は膝に特別な故障を抱えてはおらず平素から正座も可能なのですが、立ったり座ったりが響いたのか、今日は歩行中に関節の芯?に鋭い痛みが走りあわてました。




寛喜4年(1232)正月19日の朝、明恵上人が亡くなりました。
8歳のときから上人のおそばにいたイサが、日々を振り返る視点で物語は語られる。
華厳教学を説く師に、最後まで出家せず従者として仕えたイサ。
死に別れれば二度と師に巡り合えない。

死後の世界を思ってイサは、阿弥陀仏の慈悲を信じ、念仏を唱えさえすれば、誰もが阿弥陀仏の西方浄土に生まれ変われるという浄土教の教えを知りたいと、初めて思い始めるのです(ここ、興味深い)。
ここ高山寺にいて自分で学び、俗体のまま寺男のまま、命尽きるまで亡き師にお仕えするのだ、と。
末3行。
  あるべきようわ ー 。
  「おまえはおまえのあるべき様を考えて生きよ」
  明恵さまのお声が聴こえる。

と読み終わりました、『あかあかや明恵』(梓澤要)。
コメント
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