京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

8歳に

2024年11月29日 | 日々の暮らしの中で
娘家族が大阪の地に住まいを移したのが2016年5月でした。孫娘は小学校5年生に編入。弟は幼稚園年少組に。
その年の11月29日、第3子Lukasが誕生しました。
日本を離れることになった2021年6月まで、生まれておよそ4年半を暮らしたというのに、今では日本語がおぼつかない。なんてさびしいこと。
コロナ禍で閑散とした関空から、「オートスラリア」なんて言いながら父と姉の待つAUSへと飛行機に乗り込んだのでした。


1歳過ぎた冬の朝。
カラスが「カー、カー」と鳴く声を耳にしたとき、空を見上げて「あー、あー」とLukas.
「るーちゃん、あーちがうよ。かーだよ」
するとまた「あー、あー」とLukas。
(よけいなことを言ったものです)

まもなく3歳になろうという秋の夕暮れどき。
「みて! くも!」
夕飯の支度に精出していたときLukasが驚いたように窓際に私を誘います。
建物と建物の間の空が真っ赤に染まっていました。
「かじ、かじ」

「夕焼け」という言葉を教えたときでした。

家を出て少しのところに西を遠望できる場所があります。山並みの向こうに太陽が沈んでいくのが見える場所。
どうして真っ赤な空を見あげに外へ連れ出さなかったのか。
ボクシングジムに通っていた兄のTylerがお腹を空かしてもうすぐ帰ってくるだろう時刻で、夕飯の支度を優先してしまったのです。
あとになって悔いを感じたのでした。

たくさんの想い出をしまっています。

今日8歳の誕生日を迎えました。幸いなことに前日にカードは届きました。今朝は、母親に作ってもらったクラスメートぶんのカップケーキを持って登校でした。

 

2か月にわたるトーナメントの決勝戦が先日の日曜日に行われ、惜しくもの2位。


市のアカデミーのクラブに属していて、サッカー漬けですが、楽しそうです。
(ベンキョー〈も〉ちゃんとしてるかな? 言いたいけど言わずにおこう)

一日一日を全力で過ごしているのです。親に叱られたり、きょうだい喧嘩をしたりしながらも、誰かに見守られていることをしっかり感じられることで、安らぎも自信も持てるようになるようです。
「家族ってそういうあたたかいものなんです」
ある日突然Tylerの口から飛び出した言葉が思い出されます。

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一枚の写真の奥に…

2024年11月27日 | 日々の暮らしの中で
11月30日から12月29日まで、京都新聞ビル地下1階の印刷工場跡で「世界報道写真展」が開かれるそうです。
世界各国のフォトジャーナリストの作品を展示し、紛争や気候変動などの問題を伝える写真展。


記事によると・・・、
世界報道写真財団が主催する世界最大規模の報道写真コンテストで、今年は130の国と地域から約6万点の応募があり、「今年の写真」にはイスラエルによるガザ攻撃を取材するモハメド・サレム氏の「めいの遺体を抱きしめるパレスチナ女性」が選ばれた。

横2m、縦1.3mのパネルに印刷された入選作品32点を6地域ごとに並べ、日本語と英語の説明文が添えられるそうです。

入賞作は80都市以上を巡回しているそうですが、日本では2021年を最後に途絶え、3年ぶりの復活です。
会場は15年まで毎日ニュースを印刷していた場所。
ムリョー、無料です。
が、作品の輸入や会場制作に費用が必要でクラウドファンディングへの協力を求めています。
(市営地下鉄の今出川駅⑦番出口から南へ、近いですよ。)


「写真には時間的、空間的な距離を飛び越えて、見る側を想像の世界へと強く誘う力があるのだ」と竹内万里子さんが昔、むかし書いておられた。
異なる状況に置かれた人々に対して想像力を働かす。
「一枚の写真の前で、遠く離れた他者への想像を膨らませることを学ぶ意義は大いにあるだろう」。自然環境についても同様でしょうか。

一枚の写真の奥に、自分は何を見るか。

私も行ってみるつもりでいます。誰か誘おうかな…、いや、ひとりがいいかも。

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辻々で別れ別れて

2024年11月25日 | 日々の暮らしの中で

畑の土をつけたままの
今日は母の祥月命日。
お内仏の花を立て替えるのに松を真にして、この日ばかりは母を偲んで、母も好きだったダリアの花で色味を添えた。

「人は生涯がだんだんに詰まるにつれて、何かの折に、境遇によっては自分がたどることになったかもしれない別の生涯を想って、ほんのつかのま、それに惹かれることがあるらしい。」と古井由吉さん(『楽天の日々』)。
必ずしも後悔の念からではない。別に現に歩んできた人生より華々しいとは限らない。
「生涯の郷愁のごとき情」、と言われる。

「人はどこかの辻で自分と左右に分かれた、もう一人の自分がいる。高年に至れば、あちこちの辻やら角やらで別れた自分の分身の、数もふえる」
身に覚えのある事がさまざまでてくる。

御茶ノ水駅に近い病院に入院していた。この界隈は好きな場所の一つだったし、母亡きあと何度か病院の近くを訪れては、母が最期を迎えた部屋はあのあたりと上階の窓を見あげたことがあった。
64歳で亡くなった。恩は返せるものではない。ただ謝するのみ…とはまさに!


先ごろなぜか書棚から取り出した『京都うた紀行』(永田和宏 河野裕子)は、地元紙に連載されたものがまとめられている。
2008年7月から2年間の連載を終えてほどなく、河野さんは64歳で亡くなられた。
初回の連載が紙上に載るのと前後して乳癌の転移・再発が告げられたというから、時を経ての読み返しは時に涙が誘われる。

放火とみられる出火で焼けた本堂も、黒く焼け焦げた本尊も復元された寂光院に出かけたとき。
人々の何百年の祈りを御身に吸いとってきた存在である古仏に、手を合わせ深く頭を垂れた。
そして添えられた歌が
   〈みほとけよ祈らせ給へあまりにも短かきこの世を過ぎゆくわれに〉 
だった。

あちこちに分かれた似たような顔を増やしながら、
「あまりにも短かきこの世を過ぎゆく」われら、でもあるのだろうな。
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生きる甲斐になっている

2024年11月22日 | こんな本も読んでみた

「喫茶シトロン」を会場にして、高齢者6人が月に一度集う読書会〈坂の途中で本を読む会〉は、課題図書を決めて、順番に朗読し、その読み方についても語り合い、物語の解釈に独自の感想を披露する。
それは〈感想という名の想い出語り〉で、わが身に重ねての記憶なのだが不思議と作中人物の眼差しと結びついていて、共感が生まれる。

前店長の叔母のあとを引き継いだ28歳の店長・安田松生。彼は小説で新人賞を受賞したが、送られてきた手紙が心の奥でうずき、書けなくなって久しい。
 
  ほんとうに、あなただけのお話ですか?
  あなたひとりでつくりましたか?
  モン

何かと引きずりがちな安田の、想い出の中の記憶が浮き上がる。
読書会の活動を軸に、周辺の物語がふくらむ。実はそこに仕掛けがあった。それが明かされるのは物語の終わり近くだった。
手紙の差出人も明らかになった。
物語の佳境はどこだった?? まったく伏線に気づかぬまま読み終え、ページをめくりかえした。

「死んでいくには生きがいがほしい」。それは「ここでみんなで本を読むこと」だった。
それぞれに過去を屈託を抱えながら、孤立せずに仲間を見つけ、どの人も自分の人生を生きていることの尊さを思った。生きる喜びは、生き抜く力になる。


そして物語の終りに、谷川俊太郎さんと出会うという驚きが潜んでいた。
訃報を知ったのが読了の二日前。
「この若者は意外に遠くからやってきた、してその遠いどこやらから彼は昨日発ってきた、十年よりさらにながい、一日を彼は旅をしてきた・・・」
会長が谷川俊太郎の第一詩集『二十億年の孤独』の序を誦んじる場面が描かれていたのだった。

ちょっと疲れる読書だったけれど、「生きる甲斐になっている」という93歳のまちゃえさんの言葉は、いつか私も思い返す日がくるかもしれないと思って胸にしまっておこう。
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条件付きより街の文化を変えよう

2024年11月20日 | 映画・観劇
人中に出て行きたくてうずうずし始めているとき、まことによきタイミングで映画への誘いを受けた。今日限りというし、二つ返事で乗っかった。
「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」


途中10分の休憩をはさんで205分という長い上映時間だったが、退屈することもなく見入った。ナレーションは一切ないドキュメンタリーで、字幕を追わなくてはならないが、図書館でこれだけの活動をしているのかとまあまあ敬意を表したくなるものだった。

この本館は19世紀初頭の建築で、ボザール様式というのだそうで、分館が92もあるらしい。
なるほど憧れの世界最大の〈知の殿堂〉。


ニューヨークの文化人は一度はここを訪れているという。
就職活動の支援がなされ、何よりも市民の生活に密着している。利用におけるさまざまな分析が行われ、電子書籍と紙の本の割合、予約待ちの日数がかかる問題、市からの予算、その使用配分の問題などでは、ベストセラーや人気本を多くすれば将来必要になる本が手にはいらなくなると議論し、図書館の役目にも強い思いを向ける。


コンサートが開かれる。司書やボランティアを交えた意見交換、関係者の会議も頻繁で真剣そのもの。
市民向け講座があり、文化人を招いての公開ライブがある。参加者の聞き入る横顔が映し出されるがみな素敵だ。目がいい。
10代の子供をどう呼び込もうかと思案するスタッフたち。


ホームレスにも何かの方法で図書館を開きたい。居眠り禁止云々の規制を設ける案が出されると、ホームレスに距離を置きたくなる市民もいるが、条件を付けるより「わが街の文化を変えようではないか」と提案される。ぐっと感じ入る発言だった。
点字図書の触読法を丁寧に指導していた。「中指で読んでいますね、人差し指が敏感だから2本の指で、みなさんこうして…まっすぐ…」と手を添える。

民主主義の国らしく誰もが等しく恩恵にあずかれるよう、あれこれ方法を模索する姿は印象的だった。「目的を忘れてはいけない」と何度か耳にした。
公共性、啓蒙、そんな言葉が思い浮かぶが、人間の叡智を学び、役目を果たそうとする強い信念が頼もしい。

一個人としての図書館の利用度は高くないが、日々催しごと等には注意を払って情報収集している。
身近な図書館をいくつか思い起こしても、これほどの活気は伝わってこない。(知らないだけだろうか…)
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どことのう おもしろく

2024年11月18日 | 日々の暮らしの中で

日曜日は少年野球の試合があって声援やら歓声やらで賑やかなグランドでした。
立ち止まって応援に必要な?わが子(孫)がいるでもなければ見知る子もいない。無心に見て楽しめるというほどの関心もなく横目にみながら通り抜け、周辺を小一時間ほど歩いたのでした。


先日、ブログを通じて吉川英治記念館があることを知った。
50歳になっての頃、唯一、吉川英治 歴史時代文庫で『親鸞』(1~3)を読んでいるに過ぎなくて、氏のことも作品についてもほとんど知らずにいる。
少しその先をネット上で探っていて、吉川英治氏の〈至言〉とやらに出会った。

「小説というのは、自分を読むんですね。読者はめいめい自分を読んできたんです」

 規制から解放された自由な連想での「感想という名の読書会」のやりとりが重なってくる。メンバーは超高齢者。混乱の記憶など、そのまま認めている。
自分勝手な発言のようで、課題本の作中人物の視点とずれてもおらず、寄り添いつつ、まさに我が事として意識されていく。

なかなか読み進まないのは、言葉(描写)の過剰な文章がまだるっこくて、呼吸が合わないせいだろう。ページをのべつめくり返している。
でもそうした過剰さによって、かえって高齢者集団のやりとりの様相がうまく表されているとも感じる。

ひとこと言うたびに中断され、能天気に無駄話。何か言うたびにおこるどよめき。「いま、なんて?」と聞き返しては、確認し合う。
「たとえ聞こえなくても、いちいち、みんなで確認しないこと!聞こえなくても聞こえてるフリしましょう」と会長がいら立つ。
そうかとおもえば、彼らの耳がよく聞こえるようになったりする。
こうした「読む会」の進行がこってり描写されるのだ。

一方では、「何かひとつ意見が出ると、それにみんながわあっと飛びつき、全乗っかり」で「他人とピッタリ歩調をあわせ」てくる。

(ある、ある。こういうこと何度も見ている、聞いている)と私自身、過ごしてきた体験を根っこに読んでいるのだ。
自分自身のこととしても、(ああ、おっしゃる通りです)と至言にうなづく。


今日、報恩講を前にして世話方さんたちと当番の組から数名とが寄ってくださった。
本を見せて、ここまでの荒筋を紹介して、笑いあって、オススメしてみた。
本に関心を示した一人、二人。
わが身を重ねれば、いずれは記憶の混乱だってひと事じゃなくなるだろうし、どことなくおかしくて、どことのう切ないような。


93歳のまちゃえさんの発言に88歳の会長がキレた!
「ちょっとアンタね」
「よくまあ言ったシリからポンポンポンポン出まかせが言えるもんですネぇ!ええ?…」
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己の分を

2024年11月15日 | 日々の暮らしの中で
公園の銀杏の葉が黄色い。
巨木だが樹形が悪いせいか、今日は時おりの小雨にみすぼらしく濡れていた。

昨年は孫娘の来訪を心待ちにするこの時期だったが、今年は寂しいかな、それもない。
それでも秋はくる。
そして冬支度を思うころ、今年もまた報恩講の時節となった。

親鸞聖人のご命日法要として真宗門徒には一年で最も大切な仏事としてお勤めされてきた
(東本願寺にては11月21日~28日)。
そして月末には私どものところでも勤行させていただく。
当番組の女性陣の手を借りて、仏具は磨き上げられた。組の方々に当日の裏方としての段取りはお任せだ。
私はまずは本堂内陣の荘厳(しょうごん)、その他諸々の準備を担うことになる。


とは言え実際は、関わってくださるすべての方々と縁がむすばれ、力が添えられ、声を掛け合ってお勤めは無事に終えられる。
「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずることは、今までお育て頂いたことへの報恩行です」

自分がいただいてきたものを根っこに、この言葉に込められた願いを味わうと、それぞれにどう読めるでしょうか。

賜った場所に坐し
いつわりなき光に照らされつつ
すべてと共に実りゆくいのち…

それぞれに己の分を尽くさせてもらって生きましょうか。
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年輪

2024年11月13日 | 日々の暮らしの中で
あらっ、この子はひらがなで書けば簡単な文章なら読めるのだったかしら!?
小学校入学前の一年間(プレップ)、その延長で、小学校生活はAUSで始まった。日本語の読み書きを習っていない。
口は達者で、巻き舌早口の英語で連射してくるが、…確かめておくべきだったかな。

今月末に8歳の誕生日を迎える孫のLukas宛にメッセージカードを出した。


姉か兄か母親に読んでもらえばいいと漢字まじりで書くことにした。
“おもしろ孫録”と名付けたノートを取り出してエピソードを探す。
どっさり書き込んで、手元のものをペタペタ貼って、裏にも「しんちゃん」の口を借りてお祝いの言葉を連ね、さらには寿司まで贈った。


2週間の余裕は持って出した(早くついて欲しいわ)。



こちら超高齢老人集団の読書会は、喫茶シトロンの若い店長(28歳)を巻き込んで、彼の視点から描かれていく。


朗読の本が決まると、会長(88歳)によって担当箇所の割り振りがなされる。
一人の朗読が終わると、その都度〈感想という名の想い出語り〉が実に真剣に交わされるのだ。

長年懸命に人生を歩んできた先にたどり着いた、それぞれの今。
超高齢で、枯れているように見えながら内には熱い思いを秘めている。
〈感想という名の想い出語り〉は、幼児みたいに感情の起伏も大きく、気ままも見えるけれど、老人と幼児は違って未熟なのではない。
今後、個々をどう浮き彫りにしてくれるのか…。

実のところ今はまだ描写のこってり感にまいっていて、3分の1ほどしか読み進んでいない。
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価値は万華鏡のような多様さ

2024年11月11日 | 催しごと
昨日、大阪の万博記念公園内にある国立民族学博物館を訪れた。

 

かつて5年ほど娘家族が大阪の地に住まいを移していたころ、家から近いこともあって何度か孫たちとも訪れて周辺の施設でも過ごしていた。
彼らがAUSへ戻る前年の’20年10月26日に孫のLukasと訪れたのが最後で、4歳になるひと月ほど前だった。
孫Tのラグビー練習グランドが公園の西側方面だったので、車で送る際には途中「民博→」の案内を示す標識を目にしていた。
昨日は四条烏丸から電車やモノレールを乗り継いで万博公園駅まで、日曜日の人出の多さを想像済みの中ようやくの到着だった。
途中、通過したかつての宝塚線最寄り駅、モノレールから見る街の風景も、自動車道も、すべてがやけに懐かしい。


各地を移動して詩歌を歌い語る「吟遊詩人」と社会のかかわりを探る ―
民博創設50周年記念企画 特別展「吟遊詩人の世界」が開催中で、行ける機会をうかがっていたのだった。

現代に生きるアジア・アフリカの吟遊詩人の映像や音源が流れ、素朴な楽器の数々、衣装、写真、口承から文字になった本等々が紹介された各コーナーを見て回った。


詩人・フォキル・ラロン(1890年没)
宗教対立やカーストによる差別を否定し人間愛を貫いた社会変革者でもあったという。
唄は現代のベンガル人に愛され、バングラデシュ西部には彼の教えを継ぐ弟子たちが多く暮らしているそうだ。
後ろの写真の下に、メッセージが訳されていた。
「こんな人間社会が、いつ生まれるのだろう。ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も仏教徒も、キリスト教徒も生まれや身分の違いもないという日が」


エチオピア高原の吟遊詩人、ラリベラは早朝に家々の軒先で歌い、乞い、家のものから金や食べ物、衣服などを受け取ると、その見返りとして祝詞を与え、次の家に去っていく。

ベンガルには「バウル」という、生まれや宗教を問わず、地位や財産を捨て、自分の意思でその道に入った遊行者・修行者がいるという。
托鉢も修行の一つで、師匠や先達のバウルから受け継いだ詩を唱え、一軒一軒巡って人びとを祝福する。近隣社会は米や金銭を捧げてバウルを敬う。近年は歌唱のみを生業とする芸能者としてのバウルの歌手も増えているのだそうな。

日本の盲人の旅芸人「瞽女(ごぜ)」のコーナーもある。


一年のうち300日以上は歩いていた記録がある。近世の瞽女は、説経節や浄瑠璃などの原材料を再編成して多様な瞽女唄を練り上げた。三味線の伴奏に合わせて長い物語を暗唱する口承文芸であり、音源も流されていた。
生活道具を風呂敷に包んだ大きな荷物。「どんな人にどこで見られているかわからんでしょ。だから、とにかく身形(みなり)には十分気を付けていたんだよ」「人さんの家に泊めていただいてさ、人のもん汚したくないから」 ちり紙まで展示されていた。


険しい山道を歩いてやってくる彼女たちを村人は米を用意して到着を歓迎した。
3人の瞽女が1回の門付けで6軒の家を訪ねる。茶碗や湯呑みに入れた米を1合ずつ貰うとすると18合(2700g)の米が集まることになる。
集った善意の結晶は、「瞽女の百人米」と呼ばれた。


2009年に「都の祝福芸能者たち」と題したお話を伺う機会があり、民俗芸能などへの細々としたものながら続く関心が今回も気持を向かわせたようだ。
また時には、ブログを通して出会った言葉などに促されるように記憶がたどり返されることもあって、いっとき掘り起こしてみたりする。
とすれば、微々たる好奇心とはいえ今回見聞きしてきたことも、また次の何かに役立つことはあるだろう…ってことね。
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坂の途中で本を読む会

2024年11月07日 | こんな本も読んでみた
中古書店(ブ)を探し回って買い集めたぶんの『屋烏』まで、乙川勇三郎作品(時代小説)を読み終えたので、現代ものの『立秋』へ。これも読了。
これほど一人の作家に傾いて読み続けたのはいつ以来のことか。数冊ならあるが、これだけの数となるのは初めてかもしれない。

 

ブで見つけて、手に取ってみて、の作品だけではあるけれど、文庫本で買うと読後に読む「解説」が視野を広げてくれることもある。
ただ、知らなくてもよかったなと思う作家のプロフィールを細々と記されるのは、いいような迷惑のような…。

(ああ、終わるな)と思い始めると、どんな文章で最後が綴られるのだろうか、どう終わるのだろうかと期待が先走ってしまう。余韻がまた深い。
次から次と、結果、タイトルから作品の内容がすぐには思い出せない状態でいるけど、氏の文章を味わい、心に残った言葉も数多くある

ちょっと一服、のつもりで買ってしまった『よむよむかたる』(朝倉かすみ)


帯に
【小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。月に一度の読書会〈坂の途中で本を読む会〉のためだった。
この会は最年長92歳、最年少78歳の超高齢読書会サークル。それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡が一度だけで伝わることもない。この会は発足20年を迎え、記念誌を作ろうとするが、すんなりと事が進むはずもなく…】
とある。

実は先週末に地元紙で読んだ書評がきっかけになった。

コロナ禍で休止していた活動が3年ぶりに再開することになり、メンバーの6人が奇跡の全員集合を果たす場面から幕を開ける。
読書会の在り方がとても素敵に思えた。
課題図書を決めて本を読む読書会ではあるものの、本の感想だけでなく、順番に朗読し、読み方についても語り合う。声色を褒め、抑揚を讃え、物語から受けた印象を話し、独自の解釈も披露する、のだという。

20周年記念誌に86歳の会員女性がこう記したらしいわ。
「誘われるうれしさが、独り者の生活を、いきいきさせます」

どんな物語が待っていてくれるのか、楽しみ楽しみ。さっそく今夜からページを開きたい。

 
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かかわったが故に起こる幸や不幸を

2024年11月05日 | 日々の暮らしの中で
昼から点訳の会合に参加した。
その折、よく一冊を分担して仕上げる3人ほどの気心が知れた仲間がいるのだが、「どうかな?」と名前を出された塔和子さんのことを私は深く知らずにいた。

名前はそう遠くない日に何かで触れている、という記憶だけを頼りに帰宅後、切り貼りしてあるノートのページをめくって目当ての記事を探し出した。

幸・不幸の積み重ねが醍醐味 〈人とかかわったことで起こる幸せや不幸を積み重ねて人は磨かれる。それこそが生きる醍醐味、豊かさなのだ。
塔和子さんの詩、「胸の泉に」はそう教えてくれる。〉

ジャーナリスト川名紀美さんが地元紙の連載コラム「ひとりで生きる みんなで生きる」の中で紹介されていたこの詩を、知ろうともせず後回しにしてしまっていたのだ。


塔和子さんは1929年に愛媛県で生まれ、11歳(と思われる)でハンセン病を発病し、13歳のとき国立療養所大島青松園に入所。1952年ごろに特効薬で病気は完治したという。それでも亡くなる2013年まで、70年にも及ぶ隔離生活を余儀なくされた。その間に多くの詩を書いた。

   胸の泉に

かかわらなければ
  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
  枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

 〈人とかかわったことで起こる幸せや不幸を積み重ねて人は磨かれる。
    それこそが生きる醍醐味、豊かさなのだ〉


軽い言葉ははばかれるけれど、
ふと、中村久子さんの生涯が胸に浮かんできた。久子さんは歎異抄に救いを見いだされていた。

塔和子さんの詩集の点訳をしてみない?という誘い、ぜひ参加させてもらおう。
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荷風さんに倣いたい

2024年11月03日 | 催しごと
「京都の民族芸能継承団体一堂に」という記事を地元紙で目に留めていたので、京都駅前の広場へと出向いた文化の日。
大雨に籠められた一日は一変して、雲一つない青空が広がった。


本来ならそれぞれの拠点でしか見られない芸能や踊り - 嵯峨大念佛狂言、千本ゑんま堂大念佛狂言、嵯峨野六斎念仏、玄武やすらい踊りが披露される。

始まりを平安時代にさかのぼれる千本ゑんま堂大念佛狂言は、室町時代に隆盛をきわめ、その様子は狩野永徳の上杉本洛中洛外図屏風(国宝)に描かれているという。壬生狂言との違いはセリフがあること。



「いろは」の途中からと「雷」とをみたあと、嵯峨野六斎念仏の「四ツ太鼓」「神楽獅子」を見る。

嵯峨野六斎念仏は平安時代に空也上人が鉦や太鼓を打ち鳴らし、念佛をとなえて踊ったことに始まる。


斎戒謹慎して念仏を唱えた六斎日(毎月8,14,15,23,29,30日)が、京都では、江戸時代に能や歌舞伎に獅子舞などの雑芸を取り入れ、念佛の要素を含みつつ、芸能的な六斎念仏となっていった。京都には14の保存会があるという。
「四ツ太鼓」では小学生を含めた若者のパフォーマンスが目を引いた。相当な練習を積んでいるはず。晴れの舞台の一つになるのだろうか。

鞍馬火祭り・太秦牛祭りとともに京の三奇祭の一つとして知られる「玄武やすらい踊り」を一番の楽しみにしていたのだった。
風流物の一つとしてユネスコ無形文化財に登録されている。映像では知るが、一度も目にしたことがないのだ。
太鼓、花傘、シャグマをつけた鬼、拝見したかった。
周囲を大きく囲った中に椅子席はちょい。入れ替わりがあるだろうと思って出かけたので、ずっとの立ち見は辛くって、諦めた。

   
   秋晴れの日記も簡を極めけり     相生垣瓜人

日記と言えば永井荷風。荷風さんが何もせず、家にこもるのは病気の時くらい。還暦、古希、そして喜寿を迎えて、体力の衰えなどもあるだろうに信じられないほど好奇心旺盛に街々を歩いたようだ。奔放な生活は『断腸亭日乗』を垣間見てもうかがえる。

好奇心こそが楽しみを拡大するのだな…。
また別の楽しみを待つとしよう。




※4日付朝刊

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自分にとって大切なものが

2024年11月01日 | 日々の暮らしの中で
興膳宏氏の『漢語日暦』11月1日の項には、「古典」の言葉が挙げられている。
古典の「典」は、人が生きてゆくために則(のっと)るべき規範を指していたこと。今では古典と言えば、「長く読み継がれる、価値ある書物」の意に拡張して用いられるようになったことなどが解かれている。

「自分にとって大切なもの、心に残ることが、ほかの人には何の感動も呼ばないということは珍しくない」
石垣りんさんのこの言葉に触れたとき、軽いショックを覚えたものだ。
そうだ、珍しくない。立場を変えてみたってわかることだ。でもこうズバッと言われてしまうとかわしようがなく、クスッとさせられもした。


人は誰もが、それぞれに、自分だけの興味や関心の世界をもって生きている。必然、それによって情報の選別だってなされる。

その人の独特なフィルターを通して心の揺らぎや感覚、思念が言葉にされる。表現されたものを理解しようと、わずかな言葉にも探りをかける。
要は、「違う価値観の中にも『わかる』と思う部分」を探したりしているのか。自分の経験を重ねて考える。と、他者との違いを知る。
それは、自分が見えてくるってことなのでしょうか…。

「古い物語の魅力は、人々の間に伝えられ、読み直され、語り直されてきた魅力だ。古い物語は、人々がそこに、自分の経験を読み込む場所なのだ」(長田弘)
古典に限らず、秋の夜長に一冊の本を読んで、自分の人生に引き寄せて考え、会話して、胸に残った一節を切り取って、言葉にして、それを楽しみたい。

いいね集めより、ずっと豊かな時間です。と、どなたかが言われていたっけ。今日は本の日でもあるらしい。


12年に一度の御開帳ですって。
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