京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

言葉は心の足音

2017年07月18日 | 講座・講演

「言葉は心の脈拍である」、と記したのは亀井勝一郎だったか。
柔軟な、静かなる知性に浸れる〈ひとこと、ふたこと…〉のブログの世界を今日も楽しみに訪問してから、午後からの『徒然草』講座出席のための準備を始めた。

テキストには岩波文庫の『徒然草』を紹介されているが、学生時代からの手垢がついた日本古典文学大系『方丈記徒然草』を持参して使っている。何ら不便もなく、今にして再びページを繰ることができるのが嬉しく、気持ちも入るから不思議。

今日のテーマは「『正気』という埒」。
195段、162段。こうした内容は教科書にも載らないので、『徒然草』の理解が一面でのとらえ方になってしまう。高校生にも読んでほしいもので、文章として美しいものだ、と見解を示された。144段の明恵上人の得難い特異な世界観と、236段の知識で世界を構成する聖海上人の話の対比は面白い。
熱い熱い筆致の134段。…だが、こうして人は何もしないで恥多き人生を終わっていくのだ…と肯定する。

人はいつ死ぬかわからない。それなのにどうして平気で暮らしているのだろう。こうした考えを「狂気」とみると、その反対が「正気」ということに。
人には誰もがこうなっていく可能性があるのだ、と老いを迎える人の心を見つめ、包み込むまなざしで冷静に書き留めている。兼好は人の心の姿への関心が強く、人の心を理解し寄り添おうとする人間だったようだ。

「声高にものを言う人の顔が美しくあろうはずがない。声静かに語るほうが美しいのである」とは、どなたが言われたのだったか…。

コメント (6)
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