京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「素晴らしき人生を得よ」

2024年03月10日 | 日々の暮らしの中で
中学生も高校生もみなそれぞれに進路を決めて、さっぱりとした軽やかな表情で集えた寺子屋エッセイサロンでした。
晴れやかな顔、顔、顔。若い盛りの美しさです。もちろん「老麗」を刻んだ人生の先輩もたくさん同席しています。


私には年子で弟が二人。その昔、親から言われるままにある女子大の付属高校を受験し合格しました。その先は短大へ、というのが父の思いだったみたいで…。けれど嫌でしたね、女子ばかりってのが。で都立を選択。そこで将来の道を決める恩師との出会いがあって、我が道を得ました。
感謝しつつも十分な恩返しをできぬまま両親を見送りました。
でもいいんですってね。そのぶんを誰かに返していけば。

どんな将来を思い描くのか。「素晴らしき人生を得よ」。
そう祈りたくなる良い一日でした。


我が家には紫木蓮があるのですが、白木蓮が欲しかった。挿し木をしてみないかという人がいて、さあて、私にできるのかどうか(挿しておけばいいん違う?)。お彼岸前後から八十八夜までの間にしたらよいとかで、一つ、楽しみをもってみようかと思い始めているところです。
〈挿し木せしゆゑ日に一度ここに来る〉(山口波津子) きっとこうなりそうです。

ところで、鶴見俊輔さんは俳句を「言葉の挿し木」だと呼んだそうで、
「子供の心に挿した五七五音の短い言葉は、やがて根をおろし言葉にかかわるセンスなどを育てる」といわれていた。
…ということを坪内稔典氏の「季語集」の中で教えられたのでした。

俳句に限らない。
思いを言葉に託して、どう人の心に届けるか。まだまだ若い人と一緒に学ばなければならない。
コメント (6)
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