京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

満月、満天の星

2024年03月12日 | 日々の暮らしの中で
東日本大震災から13年という日を迎えた3月11日。昨夜拝読したブログにあった〈満月〉という言葉に促され、佐伯一麦氏の『月を見あげて』をたどり返していた。
2010年10月から河北新聞の毎週金曜日の夕刊に連載されてきたエッセイが本にまとめられている。


連載を始めて22回目が3月11日だったそうで、夕刊紙面を目にした人は少なかっただろうから、「柊鰯」と題したその日の原稿は半ば幻。それがこの本に再掲されている。

「震災からひと月が過ぎた」4月15日のエッセイでは、「震災からの数日間、街中のあかりが消えた空には、半月から満月に至る月と、満天の星が眺められた」と振り返っている。

仙台の自宅は8人が寝起きする避難所の様相を呈していたこと。80歳の母親を新潟経由で横浜に住む兄に預けに向かう途中、高速バスが休憩で立ち寄った国見峠のサービスエリアで、一緒に満月を望んだことなど記されている。
この集の「あとがき」によれば、「震災から5日間、停電していた中で見た月は本当にきれいだった。……日中は雪が舞っていたが、深夜になって空が晴れ渡り、満天の星が輝き、七夜の月も出た。それから満月になっていくまでをずっと見て暮らしていた」そうだ。

「津波に遭った夜、地上は地獄みたいなのに、見あげると天には星がまたたいていて、星だけは変わらないのかと思った」。氏の友人の言葉が、しみじみと深く心に沈む。

  

当時、宮城県の古川と仙台に叔母や従姉妹の家族が住み、福島県のいわき市には高齢の叔父夫婦が住んでいた。安否の確認ができず気をもんだことはブログにも残しておいた。
PCで情報を探っていると、安否情報を繰り返すラジオ局があった。こちらの名前と住所、電話番号を伝え、連絡を請うことにすがってみた。
14日午後8時前、電話が鳴った。「ラジオで聞いたのですが…」、面識のない人だったが、いわき市の叔父をよく知る小名浜の神社の娘さんだった。先方に多少の勘違いはあったが、急展開で無事の確認が取れたのだった。

叔父や叔母や従姉妹たちは、あの晩の月を見あげたのだろうか。聞くことはなかった。

私自身のあの日からの数日を振り返り、記憶をとり戻しているうちに、いつしか外が明るくなっていた。朝からの雨は上がったみたいだ。
うーん、深呼吸! 浮上しよう。



そうそう、あの年に生まれたTylerが9月には13歳になる。時間はゆるりと流れているのだろうか…。

コメント (4)
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