Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ザンスカール再訪 20 ワンラ・ゴンパ

2018-09-25 16:02:31 | チベット文化圏
7月29日

朝の5時半に目を覚ますと、テントの中の気温は8℃。
ここは標高が3100mほどしかないのだが、3800mのプクタルより寒いのはテントのせいだけではないようだ。

 
たっぷりのオートミールの朝食をいただいたら8時にテント村を出発。

 
4100mのフォトゥ・ラを越えて、ラマユルのカフェでチャイ休憩。
ここで思いがけずWiFiがまともに繋がるもので、ついスマホでメールチェックなどしてしまう悪い習慣。
しかしおかげで帰路のエアインディアのスケジュール変更が判明したのはありがたい。

と、カフェの前の道路に人がたくさん集まってきた。どなたか尊敬されているリンポチェがお通りになるとのことで
 
ちらりと見えたのは女性のように穏やかなお顔の方。
聞けば我々がこれから向かおうとしているワンラ・ゴンパで説法会があるとのことで、我々も後を追う。

ワンラへはラマユルの少し先から南に折れて30分ほど。
2,3日前にこの辺りには大雨が降って土砂崩れがあったと聞いていたのだが、何事もなく通れたのは今日のリンポチェのために突貫工事が行われたらしい。
この地域での高僧の威光は斯くのごとし。


ワンラ村に到着してゴンパのある高台に上ると
 
路上には車がいっぱい。
  
参拝者たちの後に付いて行くと、説法会場は例によって善男善女であふれている。

しかし我々の今日の目的は説法会ではなく、スムツェクと呼ばれるお堂。
 
アルチ・スムツェクにそっくりな入口を入ると
  
正面に大きな十一面観音、周りの壁は赤を基調にしたサキャパ様式の壁画でぎっしり。

ここを訪れるのも11年ぶり。
前回は観音様の印象が強くて壁画はそれほど覚えていなかったのだが、再訪してみると一部の隙もなく壁を埋め尽くす仏画がすごい。
どうやら11年の間に少し修復の手が入り、堂内がちょっと明るくなったようだ。

 

大小さまざまな仏像や曼荼羅の間に少し様式の違う壁画があるのは時代が違うのだろうか。

 
三層になった天井の上の方まで壁画が見えるが
  

諸尊の下にたくさん描かれている王侯貴族や踊る人たちの姿がかわいくてたまらない。

またここに来られてよかった!


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ザンスカール再訪 19 パドゥム~シェルゴル

2018-09-21 18:32:49 | チベット文化圏
7月28日

5日間滞在したザンスカールともいよいよお別れ。
はるばるレーからやって来た道をまたはるばる戻らなければならない。

というわけで帰路も出発は朝の5時。
 山に朝日が当たりだしたのは出発して1時間も経った頃。

村の羊たちとすれ違いながら2時間。ザンスカールの村もここで最後と言う所でトイレ休憩。
  
すると相前後して走っていたベルギー人グループの車がパドゥムに引き返したと言う。
なんでもお客を一人ホテルに置いてきてしまったのにここでようやく気が付いたとのこと。
きっとこの事件は今日中にはラダック中の旅行関係者に知れ渡り、「あのガイドは一生このことを言われますよ」と山本氏。おそろしや~。

 ペンジ・ラへ上り始めたらザンスカールの風景ともいよいよさよなら。

上がりきった正面に見えるドゥルンドゥン氷河を見ながらやっと朝ご飯。
 
出発から4時間、おなかペコペコなので分厚いパンケーキもおいしい。

 この後は来た道をひたすら戻って
 またマーモットがたくさんいる辺りに来ると
 
子供たちが顔を出している姿なども見られてラッキー。

 
なぜか全力疾走する牛たちがいたり、同じように黒い羊たちの群れを見たり。

 
屋根の上に白いものを広げているのはヤク乳の乾燥チーズ作り。
ホームステイ先のチュタギに入っていたが、少しでも味が濃くてコクが出る。

 お昼はパルカチック氷河の麓で本日もマギー。

その先も順調に進んで、スル谷のムスリム・エリアに入ると道もやっと舗装路に変わり、一段とスピードアップ。
 往路にも寄ったサンク村到着は16時半。
 
早朝には静まり返っていた道沿いに八百屋やら肉屋やらが店開きし、こんなににぎやかな村だったのかとちょっと驚く。
 
薄暗い店内で最後のチャイ休憩をしたら、さあ、あと一息。

と、1時間で自分の乗った車はカルギルの町に到着したが、後続の車が来なくて運転手はさかんに携帯で何か話している。
聞けば2号車が故障して動けなくなったとのことで、我々は修理工場で必要な部品を入手して故障車の元へ引き返し、2号車の荷物と乗客を拾ってまたカルギルへ。

せっかく順調に来ていたのだが、これで1時間半のロス。
しかしこの行程では何もないことの方が珍しいので、これぐらいのトラブルですめば御の字。
ちなみに故障車は1時間ほどの遅れで無事宿泊場所に到着。こちらのドライバーたちの修理能力もすごい。

その宿泊場所はカルギルからさらに40分ほど行ったシェルゴルという所にあるツーリスト・キャンプで20時半に到着。
 これは翌朝撮ったキャンプ村だが
 
ベッドに水洗トイレまで完備。

 食事はこちらのテントで
  
 
スープにサラダ、デザート付き。

本日も18000歩分揺られた。


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ザンスカール再訪 18 チューチクザル&カルシャ・ゴンパ

2018-09-20 19:57:32 | チベット文化圏
7月27日 続き

サニを出て、次に向かったのはパドゥムの北にあるザンスカール最大のお寺、カルシャ・ゴンパ。

 右手の山の中腹に広がる白い建物群がカルシャ・ゴンパだが、まずは谷を挟んで左手にあるチューチクザル・ゴンパへ。
 正面にカルシャの横顔を見ながら山道を上がって行く。

 
いくつもの僧坊の間を抜け、2つ並んだチョルテンの奥に入ると、隠れるような扉があって、
 そこが古いドゥカン・ニンパと呼ばれる小さなお堂。
  
正面には頭が高く盛り上がった十一面観音、両脇に見える小さな彫刻がおもしろい。

 
周囲の壁は13世紀ごろの物と思われる古い壁画に覆われていて、状態はすごく良いとは言えないものの
  
 曼荼羅や忿怒尊が鮮やか。
 
洗練されているとは言えないが、墨の線がのびのびしていて、ここの壁画は楽しい。

 
ところでこのお堂の鍵を開けてくれたのはこのかわいい尼さんの卵。
チューチクザルは尼寺なのだが、お祭りのためか年配者の姿が全く見当たらない。
子供たちばかりが何人もいるのだが
 
我々一行が到着した途端、一番年配の女性と手をつないで離そうとしない子たちがいたり、愛想を振りまく子がいたり。
小学校低学年ぐらいの女の子たち、お母さんが恋しいのかとちょっと切ない。

チューチクザルからは一度山の下へ降り、次は隣のカルシャ・ゴンパへ。
12年前は下から歩いて登ったが、今は上のお堂まで車道ができて楽になった。

 
こちらも今度は小さな男の子たちがいっぱい。

 たどりついた本堂の右手、新しくきれいになったドゥカンでは法要が行われていて中には入れてもらえず。
 そこで左手のお堂を見学させていただくと 
 
ガラス棚の中に大小さまざまな仏像がいっぱい。
 ここでも小坊主たちが付いてきてやりたい放題。

ドゥカンの奥には古い即身仏を納めたチョルテンがあると山本氏が言うので法要が終わるのをしばらく待っていたが、なかなか終わる気配がないのであきらめて山を下りることにする。

 
帰りはたくさん立ち並ぶ僧坊の間を徒歩で下りて行ったが

雲の間から日が差す景色が素晴らしくて
 向かいの山の中腹には朝行ったストンデ・ゴンパも見える。

 下まで降りると、村の子供たちがマニ車を回して遊んでいる。
 見上げるカルシャ・ゴンパは一つの町のようだ。

宿に戻ってザンスカール最後の夕食。
 
同行者持参の梅ペーストで食べるきゅうりがおいしい。


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ザンスカール再訪 17 サニ・ナロ・ナスジャル

2018-09-17 20:26:28 | チベット文化圏
7月27日 続き

ドライバーの家からサニ・ゴンパの中庭へ戻ってみると
 昼前とは打って変わって大勢の見物客でにぎわい、舞踏がちょうど始まる所のよう。


人波をかき分け、かぶりつきとはいかないがなんとか祭の様子が見える席を確保。

右手にはえらいお坊さんたちのVIP席。
 
中央のお席には大きな写真が飾られているだけだが、これは先代のスタクナ・リンポチェ。
このサニ・ゴンパはブータン系ドゥクパの寺なのでラダックのスタクナ・ゴンパのリンポチェが座主となり、当代の座主は3年前にはキャンディクラッシュに夢中だった男の子。その小さな写真も見える。

 
小さな男の子の支える太鼓を叩くお坊さんの並び、我々の近くでにこやかな顔を向けて下さっているのは朝一に行ったストンデ・ゴンパの僧院長。
広島のチベット僧院にも何年かいらっしゃったので日本語が堪能だそうで、山本氏と懇意なので我々に声をかけてくださった。
ストンデ・ゴンパはゲルク派だが、ここでは宗派が違っても仲良くお祭りに参加するらしい。

さて、そのお祭り。ここ、サニ・ゴンパではナロ・ナスジャルと呼ばれてナローパの事跡を祝うための物。
 中央には紅帽のお坊さんが一人立ち、その周りで僧侶の踊りが繰り広げられる。

 
骸骨の踊りとか
  
 
様々な仮面をつけての踊りは他のチベット仏教圏のお祭りでもおなじみ。

これもおなじみ、道化のアツァラはブータンとまったく同じ姿。
 
ここでは子供が演じていたが、えらいお坊さんにご挨拶した後はやりたい放題で見物人からお布施をせびっていく。
 これはまた別の姿のアツァラ。外国人は当然最高のターゲット。

お坊さんによる踊りの合間には村人の踊りもあって
 
これは村でこの一年に結婚した新郎が参加する踊りとか。
 
布で顔を隠しているが、その下はなかなか男前とみた。

 見物人は屋根の上まで鈴なりで
 
この地方独特の帽子をかぶったおじいちゃん、おばあちゃんたちも楽しそう。

 
やがて子供たちに続いて傘を差し掛けられたグル・リンポチェが登場して
 
この「グル・リンポチェ八変化」が祭のクライマックス。

というわりにはこの演目はあっさり終了してしまったので
 我々は早めに撤収。

サニ・ゴンパは小さな村のお祭りらしく、昨年のキー・ゴンパに比べてもかなり素朴なお祭りだった。 


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ザンスカール再訪 16 ストンデ&サニ 

2018-09-12 23:52:59 | チベット文化圏
7月27日
 
 今朝の朝ご飯はパンケーキ。

8時に宿を出発して、まずはザンスカール川に沿って北東へ向かう。
するとパドゥムを出て橋を一つ渡ったあたりからきれいな舗装道路になってびっくり。
 
目的地のすぐ近くで舗装は終わってしまったけれど、この道をまっすぐ行けばザンラ、レーからの道がつながる所で、道路工事は確かに進展している。
それにしてもまだほとんど通る人のないここをこんなにきれいにするなら、パドゥムのメインストリートをまずきれいにすればいいのに。

 本日最初の訪問先はストンデ・ゴンパ。
村を見下ろす山の上にあるが、幸いにしてちゃんと自動車道路が通じている。

僧院の門前から下を見ると村の畑がきれいなパッチワーク模様を作っている。

ただし今年は積雪が少なくて水不足、そのためところどころ土のままの畑があるんだそうだ。

 
ストンデ・ゴンパは11世紀にマルパが開いたとされているが15世紀にゲルク派になってから発展、ザンスカールではカルシャ・ゴンパの次に大きな僧院なので僧坊もいっぱい、あちらこちらで改修工事をしている。

 本堂に入れていただき、まずは左手のツォカンと呼ばれるお堂へ。
 
まわりはカラフルな壁画で覆われていて、それほど古いものではないが100年は経っているだろうか。
 
よく見るとかわいい飛天など飛んでいてなかなかおもしろい。

 
その奥には黒い壁のゴンカン(護法堂)。

 バターランプが灯されているのは正面のドゥカン。
 
ダライラマのお写真の奥にこの寺の本尊であるマハカリ・パルデン・ラモの像がある。

ドゥカンの脇には経典を納めた小さな部屋があって
 
ここにはお祭りに使うお面がいっぱい。このお寺のグストールと呼ばれるお祭りは毎年7月だそうだ。

ストンデの見学を終えたら次は今日お祭りをやっているサニ・ゴンパへ向かう。
パドゥムから今度は北西へ向かってサニの集落に入ると車がいっぱい。
 
ぞくぞくとやってくる人波の後に付いて我々も境内へ。

屋台や物売りも出ている中を歩いてこじんまりとした本堂の前へ出るが
 祭会場である広場の周りには外国人が座っているだけで、ジモティーはまだあまり集まっていない。
ということはお祭りはまだまだ始まらないだろう、ということで
 
本堂の裏、古いインド式のカニカ・チョルテンのある中庭に通じる入口を入るが
 
中庭の周りの回廊も中庭も参拝客でぎっしり。

この中庭にはナローパが瞑想をしたと言われる場所に小さな祠があって、中に収められたナローパ像はこのお祭りの時だけ開帳されると言うもの。それでみなさん並んでいるので、我々も列に加わりつつ
  
素敵なアクセサリーを撮らせてもらったり
  
子供たちとじゃれてみたり。
サングラスの男性は一人でプクタル・ゴンパに行った時にも会った人。ガイドの親戚家族も来ていたし、ザンスカールは本当に狭い。

30分以上も並んだだろうか
 この祠の中の小さなナローパ像にカタをささげて、あっという間に参拝終了。

 広場に戻ってもまだたいしてジモティーは集まっていないので、先に昼食を摂ることになった。

本日のお昼はゴンパから原っぱの中を歩いて10分ほど、この村出身のドライバーさんの家。
 
2階を増築中の家の中に入れてもらうと、居間にきれいなテーブルが並べられている。

こちらでいただいたのはティモという万頭と野菜のシチューにダル。
 
いかにも家庭の味でほっとする優しさ。

  
奥さんが台所にこもり、だんなさんが料理を運んでくれている間、息子はドアから顔を覗かせるものの呼んでも部屋には入ろうとせず、それでもこちらが気になってチョロチョロ。かわいい。

これからここでゲストハウスをやりたいというドライバーさん一家においしいお昼のお礼を言って、それではサニの祭に行こう。


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ザンスカール再訪 15 再びパドゥム

2018-09-10 20:08:16 | チベット文化圏
7月26日 続き

 パドゥムに戻り、同じホテルの同じ部屋に再度チェックイン。

 
町に散歩に出て見ると先日の説法会の後とは大違いで通りは閑散としているが、これがおそらく通常の姿。
スクールバスを待つ子供たちの制服は男の子も女の子もズボンにネクタイでかわいい。

 
12年前の写真を見ていたら同じマニ車が見つかった。
まわりに商店が増えていて、ここいら辺にコリアン・カフェがあったとツアー同行者の一人が言っていたので見ると
 
確かにガラス扉にコリアン・カフェとあり、中には韓国人の姉妹とおぼしき女性が2人いる。
聞けばお姉さんがインド人と結婚していて、マナリから来て夏の間ここで営業しているとのこと。
 
できます韓国料理はビビンバにポックンパブ、キムチジョンだそうだが、ホテルで夕食なのでキャロットケーキを頼んだらすごく大きな一切れが来てしまった。
アメリカのケーキミックスのような味だがニンジンがいっぱい入って、コーヒーもちゃんとレギュラーコーヒー。
ザンスカールでこんなものが食べられるとは、欧米人のたまり場になるはずだ。

 この店の前に伸びるマニ壁に沿って歩いて行くと
 
ヘリの残骸が残るヘリポートがある。ダライラマはいつもヘリで移動されるとか。

ホテル前の商店街はすぐに終わってしまって、その先は畑の中に住宅がポツポツ。
 
ここいらへんはムスリムが多いらしく、モスクもいくつか見える。
さらにしばらく行けばオールドパドゥムと呼ばれる集落があるらしいが、見る物もなさそうなので散歩を終了。

お湯でさっぱりして、今夜の夕食はなぜかポップコーンからスタート。
  
 
菜食の粉ものが続いていたのでフライドチキンがうれしく、地元の女の子たちがナポリタンのような赤いスパゲティを食べていたのでそれをお願いしたらなぜかペンネになってしまったけれど、久しぶりのケチャップ味がやけにおいしく感じられた。


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ザンスカール再訪 14 プクタル~バルダン・ゴンパ

2018-09-09 18:51:12 | チベット文化圏
7月26日

 朝の6時にプーリの朝食をいただいて
 7時10分にはプクタル・ゴンパにさよなら。
昨晩は中庭にいっぱい張られていたトレッカーたちのテントも次々に撤収して行く。

 帰り道は長い登りが続いて、この高度ではほんのちょっとの登り勾配がきついのだが、今日も幸いにして曇り空。歩きのない日だけちゃんと青空になってくれるとは、注文通りとはこういうことを言う。

  
途中すれ違う年配のお坊様方には「ゆっくり、ゆっくりね」と励まされ
 大きな板を背負った村人たちとすれ違ったかと思うと
 
ほんのわずかの草を食べて行く羊の群れに出会ったり。

「何か動いてる」という同行者の指差す石ころだらけの斜面に目を凝らすと
 これはたぶんブルーシープ。
しかしまわりとまったく同化したような色で距離も遠く、デジカメで拡大してようやく認識できる程度。
よく発見した、と感心してしまった。

 
最高所の峠を越えたら坂を一気に下って、チャ―村に帰って来たのが9時20分。

 
往路とは別のゲストハウスの前でゆっくりチャイをいただいて、まだ早いけれどお昼のマギーも。
 
このゲストハウスにはお店もあって、看板娘は愛想がいい。
 連れだって僧院に向かう人たちはリンポチェの説法会に行くのだろう。

11時にチャ―村を出てしばらく行くと道路工事のブルドーザーが見えてきて、さらに道を下って
  
 
お迎えの車発見!待っていてくれたドライバーたちと合流したのが11時45分で、休憩を除くと帰りは2時間55分で戻ってきた。ポーターさんたちもご苦労様。

早速車に乗り込んでパドゥムに向かうが、途中バルダン・ゴンパを見学。
  
左は12年前に撮ったものだが、川べりの崖の上に建つ姿がなんとも印象的。
 
1618年に建立されたというお寺で
 
ドゥカンに入ると正面に仏像の納められたガラス戸と、きれいに納められたカンギュールが目に入る。

ここはまわりの壁画も見事で
 
特に入って右手に並ぶ曼荼羅が素晴らしい。
  
 
曼荼羅の中はもちろん
  
 
まわりの細かい絵まで面白くて 
 
顔の表情の繊細さがとてもいい。

パドゥムの宿には15時に帰り着いた。


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ザンスカール再訪 13 プクタル・ゴンパ

2018-09-07 18:56:51 | チベット文化圏
7月25日

とても健康的な毎日なので今朝も5時に目を覚ます。
室内の温度は19℃、標高3800mの場所だが外もそれほど寒くない。

チャパティの朝ご飯をいただいたら外を眺めてのんびり。
 
それと言うのも本来であれば早朝にあるはずの勤行、ダライラマの説法会のためにえらいお坊さんたちはパドゥムに行ってしまって今日はなし。小坊主たちもゲストハウスに遊びに来ているぐらいなのだ。

 今日は昨日とは打って変わって素晴らしい青空。
 
山の端の影になっていたゴンパにもやがて日が差してきた。

8時を過ぎた所でお寺見学に出発。
 
距離は短いが急な登りをぜえぜえと上ると
 扉には英語の注意書き。
こんな山奥ではあるが、ここはラホールのダルチャからパドゥムへのトレッキングルートにあり、ヨーロッパ人が結構訪れているようだ。

  
門をくぐると崖にへばりつくように建てられた僧坊が上へ上へと延びていて、本堂は頭上の崖の中。

  
小坊主の落書きのある扉など眺めながら階段を上がって行く。

途中には昔ながらの厨房があって
  
 岩壁の中は天然の保冷庫なのだろう、バターを入れてあるのが面白い。

さらに上がると岩のドームの中に出て
 右手には最近建て直されたらしくきれいな本堂。
  
左手にはチョルテンと、さらに奥にも石造りの部屋が見えるがそちらへは入れない。

 この洞窟から左手にさらに上がった所にあるのがゴンカンとカンギュール。

鍵を待つ間下を眺めると
 
お坊さんたちはお掃除をしたり、飾り物を付け替えたりと忙しそう。
なんでも明日はどこかの偉いリンポチェがいらっしゃるので、その準備だとのこと。

やがて鍵を持ったお坊さんが来てくれて、3階のゴンカン、2階のカンギュールの中を見せていただく。
 
残念ながら内部は撮影禁止なので入口の写真しかないが、特にカンギュールの内部は真っ暗だが新グゲ様式の壁画に覆われていて、懐中電灯で照らすと魅力的な菩薩像が次々と浮かび上がる。
しかし脳内HD容量が少ないので細かい所は覚えていられず、素晴らしかったという印象だけが残る。それでいいのかもしれないけれど。

タンカのたくさん掛かる本堂の中も見せていただいたら
  
岩をくりぬいた通路を通ってゴンパの反対側に出て、山本氏おすすめのビューポイントを目指してゴンパの上に回る。

 ゴンパの真上には杉の木が一本ポツンと立っていて、この木はもちろん聖木、この下の洞窟には聖なる水が滴り落ちているとか。

さらに回り込むと
 
眼下にプクタル・ゴンパの全景。これはやはり苦労して登って来た甲斐があった。

 崖の上にはチョルテンが並び

対岸の集落もいい眺めだ。

 崖から降りて一休みしたら昼ごはん。

午後は自由でほかのみんなは山本氏と対岸の集落に出かけて行ったが、自分はもう一度プクタル・ゴンパに行ってカンギュールの壁画を一人でゆっくり見せていただく。
付き合ってくれた鍵番のお坊さん、時々照らしだす菩薩の名前を教えてくれたり、中のチョルテンの裏にも絵があることを教えてくれたり。本当にここまで来てよかった。

午後のゴンパでは小坊主たちが掃除に駆り出されていて、厨房では供え物の揚げ菓子作りもしている。
 
と思うとピストルのおもちゃで遊んでいる子もいたりして、小坊主でも子供はやっぱり子供。

宿に帰って昼寝などして、さて夕食は、と厨房を覗くとポーター兼コックたちがチュタギの用意をしている。
  
この作り方は教わったので早速お手伝いで大量のチュタギを作って
 
今夜は庭にテントを張った他のお客さんたちもみんなチュタギの夕食になった。


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ザンスカール再訪 12 パドゥム~プクタル

2018-09-06 17:59:52 | チベット文化圏
7月24日

本日は今回の旅のハイライト、プクタル・ゴンパへのトレッキング。

 フレンチトーストの朝食をいただいて、7時には車で宿を出発。

 パドゥムから南東へ、ルンナク川に沿って未舗装の道が続き
 
川べりの岩の上に建つ僧院を過ぎても小さな集落がぽつぽつと現れるが、「あの村は家が5軒、こっちは2軒、1軒」などとドライバーが面白がって教えてくれる。

出発から2時間半でアンムーと言う村に到着。
案内ではここから歩きと言う話だったが、今年は道路がまだ先まで伸びた、ということでさらに30分。 
 この先は工事中の停止標識の所が終点。5キロぐらいは助かった感じ。

すぐ脇に小さなお寺の茶店があったのでそこでチャイをいただいて
 10時半にトレッキング開始。
空は雲に覆われているが、影の全くないこんな山道を歩くには絶好のコンディション。

出発地の標高は3700m。
 
1時間歩くとツァラブ川とカルギャク川の合流点があって、眼下にはたくさんの馬が見える。

ツァラブ川の方へ入って行くと
  
 
すぐにチャ―村に到着。ここまではわりと平坦な道なので楽勝。

村にはゲストハウスが2軒あるので、そのうちの一軒でお茶をいただき
  
 
この家の子供の物だろうか、教科書を眺めながら持参のお弁当でランチ。
教科書は英語が主で国語はヒンディー。地元の言葉はチベット系のラダッキだからここいら辺の子供は3ヶ国語をしゃべる。

 我々の荷物を運んでくれるポーターさんたちにもゆっくり休んでもらい、1時間したら出発。

 
村を出るとすぐに小さな池があって、プクタルから降りてきたのか、小坊主たちが遊んでいるが
 
この先が急坂になっていて、この登りがきつい。
坂を上りきった所には石の見張り台のようなものがあって、ここが本日の最高所、標高4200mほど。

 
ところどころに咲く野バラなど見ながらダラダラと続く下り道を行くと、やがて前方に真っ赤な崖、その向こうには緑がかった岩山が見えてくる。

坂を下りきると川を対岸に渡る心もとないつり橋があるが
 
我々が渡るのはこの小さな石の橋だけ。

 
そして最後の坂を上ると建設中の門があって、これをくぐると
 終点!
到着したのは15時10分。距離は8キロぐらいだろうが、休憩を除いて3時間40分かかった。

 チョルテンの向こうに見えるのが目的のプクタル・ゴンパ。
 
今夜の宿泊はお寺のゲストハウスで、入るとすぐに食堂、奥には個室が5つ。
 
シンプルそのものの部屋だけれど、ちゃんと電気がつくし、水の流せるバスルームもあって予想よりずっといい。
 
管理人もお坊さん、ジュースやお菓子も売っているので寺の小僧たちがおこづかいを持ってやってくる。

今日はもうお寺を遠望するだけ。
 
ザンスカールに崖の上に建つ僧院は多いけれど、こんな風に崖にめり込んでいる所はそうはない。

さて、ゲストハウスでの夕食、山本氏によると去年はかなり寂しいものだったらしいが
 
今年の我々のポーターさんはコックも兼ねていて、作ってくれたテントゥクは野菜一杯でおいしい。

 
夜になっても最近電気が点くようになったと言うプクタル・ゴンパには明かりが灯り、我々の宿の上には月が出た。


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ザンスカール再訪 11 パドゥム

2018-09-04 18:17:51 | チベット文化圏
7月23日 続き

ダライラマのお説法はまだ続いていたが、我々は一足先に失礼をしてパドゥム中心街にあるホテルにチェックイン。

 
Chamling Kailash Hotel はカルシャ・ゴンパの経営だそうで、中庭を囲んで部屋が並んでいる。

 
もらった部屋は中庭側にしか窓がないので暗いが、部屋は十分に広く、熱いお湯もちゃんと出る。

 
ジモティーにも人気という2階のレストランでべジ・モモをいただいて、午後は山本氏と隣のピピティン村まで散歩に出ることに。

ホテルに入った時には町は閑散として、店のシャッターもほとんど閉まっていたのだが
 
説法が終わってみんな街に繰り出してきたらしく、通りは山本氏も見たことがないと言うほど人でいっぱい。
 
シャッターを開けた店も買い物客でにぎわっている。

メインストリートを離れて目指すのは丘の上に見える白いゴンパ。
 
説法帰りの人々も歩いているが、それ以上に車が砂塵を巻き上げながらどんどん通るし、日陰もないので結構大変。

 
途中にはチョルテンがあって、中を覗くと天井にちゃんと曼荼羅が描かれている。

30分ほどかかってピピティン村に到着、丘の上のゴンパに上がる。
 
ここは屋根の上にチョルテンが乗ったおもしろいお寺だが、お堂の扉には鍵が掛かっていて、やはりお参りに来たらしいお坊さんたちも誰か来てくれないかと待っている。

するとどこからか見ていたのか、この村出身の我々のドライバーの一人がやってきて鍵を取って来てくれると言う。
そこで鍵を待つ間、チョルテンの立つ屋根に上ると
  
遠くに先ほどまでいたダライラマの説法会場が見える。

丘のふもとに広がるのはピピティン村。
 
右の写真は12年前に同じところから撮ったものだが、この村も少し家が増えているのがわかる。
前回はこの村のどこかに泊まった、とこの写真を見て思い出した。

やがてドライバーが鍵を持って来てくれて
 
小さなお堂の中の十一面千手観音様にお参り。

またテクテクとパドゥムの中心まで戻ると
 
メインストリートは一層の人出。

ちなみに12年前はこんな様子。
 
店は明らかに増えたが、道路の状況は変わらない。

シャワーを浴びてさっぱりしたら、夕食もホテルのレストランで。
 
フライドポテトが大人気で
 
野菜たっぷりのおかずはヘルシー。

 壁にダライラマと、左はサキャ派の大僧正、右はカルマパだろうか、3人のサイン入り写真を見つけて、もしや本物?と思ったらコピーだって。なあんだ。


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