8月24日の宿泊地、チョッタ・ダーラは石の川原。
テントでの食事はおいしかったが、背中が痛くてよく寝られなかった。テント泊ではたいていよく寝られるのだが。
8月25日、出発してしばらくは川原をドライブ。道ではなく、本当に石の上をジープでずんずん進む。車の中はミキサー状態。
山道に入り、今度は勇壮な断崖を見ながら進む。
スケールが大きすぎて写真ではまったくわからない。
「日本にこんなところがあったら国立公園か世界遺産だよ」とはツアー同行者の弁。
午後、ようやくマナリからの舗装道路に出て、ラホール地方の中心地、キーロンへ。この道をずっと北上すればラダックのレーに行ける。
キーロンは結構町らしい町だが、やたらに美人が多い。チベット系にほどよくアーリア系の血が混ざった感じ。
皆えんじ色の学生服のような格好をしているが、これはおばちゃんたちも着ているこの地方の衣装だ。
女の子たちに比べて男の子はあまりぱっとしない。
美男と美女がなかなか共存しないのはなぜなんだろう?
8月26日、キーロン郊外で法事に遭遇。ラダックから来たリンポチェ(活仏)の説法だそうだ。
集まっているのは女性ばかり。お菓子の用意もあって、なんだか楽しそうだった。
午後は有名なロータン・パス(3980メートル)へ。
一番高いところにはタルチョがいっぱいはためいていたが、この峠を越えればチベット文化圏とはさよならだ。
緑も花も少ない北側に比べて、峠の南側は花でいっぱい。
たどり着いたマナリの町は久々の「インド」だった。
8月27日、マナリのヒンドゥー寺院、ハディンバ寺院へ。
木造の小さなお寺で、日本の農家のようにも見える。
その後は山をひたすら下ってチャンディガールへ。
緑の中にはでなヒンドゥー寺院。
8月28日、チャンディガールからまたシャダブディエクスプレスでデリーへ。
デリーではパンジャビ・ドレスを作ったり、アーユルベーダ・マッサージを受けたり。
8月29日、ラールキラー(レッドフォート)見学。
いきなりムガール、これはこれですてき。でも今回はチベット仏教圏の旅。
夜、デリーを発って東京へ。
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テントでの食事はおいしかったが、背中が痛くてよく寝られなかった。テント泊ではたいていよく寝られるのだが。
8月25日、出発してしばらくは川原をドライブ。道ではなく、本当に石の上をジープでずんずん進む。車の中はミキサー状態。
山道に入り、今度は勇壮な断崖を見ながら進む。
スケールが大きすぎて写真ではまったくわからない。
「日本にこんなところがあったら国立公園か世界遺産だよ」とはツアー同行者の弁。
午後、ようやくマナリからの舗装道路に出て、ラホール地方の中心地、キーロンへ。この道をずっと北上すればラダックのレーに行ける。
キーロンは結構町らしい町だが、やたらに美人が多い。チベット系にほどよくアーリア系の血が混ざった感じ。
皆えんじ色の学生服のような格好をしているが、これはおばちゃんたちも着ているこの地方の衣装だ。
女の子たちに比べて男の子はあまりぱっとしない。
美男と美女がなかなか共存しないのはなぜなんだろう?
8月26日、キーロン郊外で法事に遭遇。ラダックから来たリンポチェ(活仏)の説法だそうだ。
集まっているのは女性ばかり。お菓子の用意もあって、なんだか楽しそうだった。
午後は有名なロータン・パス(3980メートル)へ。
一番高いところにはタルチョがいっぱいはためいていたが、この峠を越えればチベット文化圏とはさよならだ。
緑も花も少ない北側に比べて、峠の南側は花でいっぱい。
たどり着いたマナリの町は久々の「インド」だった。
8月27日、マナリのヒンドゥー寺院、ハディンバ寺院へ。
木造の小さなお寺で、日本の農家のようにも見える。
その後は山をひたすら下ってチャンディガールへ。
緑の中にはでなヒンドゥー寺院。
8月28日、チャンディガールからまたシャダブディエクスプレスでデリーへ。
デリーではパンジャビ・ドレスを作ったり、アーユルベーダ・マッサージを受けたり。
8月29日、ラールキラー(レッドフォート)見学。
いきなりムガール、これはこれですてき。でも今回はチベット仏教圏の旅。
夜、デリーを発って東京へ。
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