2010年8月8日から8月15日 南北キプロス島を極める旅
8月8日
ようやく成田に就航したエミレーツ航空。
出発が21時40分と遅いので空港が空いていて助かる。
東京からドバイまでは10時間ちょっと。
ご飯食べて、寝て、
またご飯を食べると早朝3時半のドバイ空港に到着する。
8月9日
ラルナカ行きの出発までは5時間もあるので、いつもの空港ホテルのサウナにしけこむ。
こんな時間なので誰もいなくて貸切状態。
長いトランジットはサウナに限る。
8時半に出発したキプロス行きの機内では3時間半の飛行時間の間にまた朝ごはん。
いつもながらドバイ発の朝ごはんはボリューム満点。空港でもシナボン食べちゃったし、3連続朝ごはん。
やがて眼下に海岸線が見えてきた。これはシリアかレバノンか。
この海岸線を過ぎる頃には飛行機はすでに降下体制。30分ほどでキプロスのラルナカ空港に着いてしまう。
この島が十字軍の出撃拠点になった理由を実感。
到着したラルナカの飛行場は昨年の秋に新築されたばかりだそうでピカピカ。
待っていたバスも大きくてピカピカ。今回はいつものS社ではなく、ライバルE社のツアーだが、たった14人の客にこの大型バスとはなんとも贅沢。
空港を出るとバスは早速北キプロスへの越境地点の一つ、アギオス・ニコラオスへ向かう。
ボーダーは写真撮影厳禁とのことだが、プレハブの箱の並ぶ「関所」に緊張感はほとんどなく、ガイドが書類を見せに行っただけで我々はパスポートを渡すこともない。
ただボーダーを超えたとたんにギリシャ国旗がトルコ国旗に代わり、ギリシャ語表記がトルコ語表記になる。
キプロス上陸最初の観光地はサラミス遺跡。いきなりのローマ遺跡は
お約束の円形劇場に体育場、浴室などなど。
ちょっときれいな床面や
ほんのわずかなフレスコ画も残るが、リビアやアルジェリアのローマ遺跡を見た後では規模も保存状態もかなり劣ると言わざるを得ない。
なにより日陰がまったくないのがつらい!
日本も暑いがキプロスも負けず劣らず暑いことを確認して、次はファマグスタの旧市街へ。
初めに案内されたのは「オセロの塔」
と言ってももちろんオセロが実在したはずがない。
12世紀のルジニャーノ家が建てた海港を守る塔を14世紀にベネチア人が増築したとのことで門の上にはベネチアのライオンが見える。
が全体に拍子抜けするほど小さな「城」。
中にも何もなく、ただ上に登るとファマグスタの旧市街を囲む城壁と、目の前の桟橋にはイスタンブール行きのフェリーが停泊しているのが見える。
塔を降りたらすぐ近くのムスタファ・パシャ・モスクへ。
ここは14世紀に建てられた典型的ゴシック様式の教会だが、16世紀のオスマントルコの占領によりイスラムのモスクに転用された。そのため正面向かって左手には唐突にミナレットが突き出ているし
いかにもゴシックな内部にはむりやりミヒラーブや説教壇があり、さらにトルコと北キプロスの旗まで下がっている。
複雑なこの島の歴史を体現しているようなモスクだが、それにしてもオスマントルコがこういう教会を壊さずにそのまま使ってしまうのが面白い。堅牢な建物ならそのまま使えばいいじゃないか、という合理性なのだろうか。
これが逆だったらキリスト教徒はモスクなど徹底的に破壊して自分達のスタイルの教会を建てるのではないかと思うのだがどうだろう。
このモスクの周りには土産物屋やカフェ、レストランがちらほら。
しかし暑い昼下がりには歩いているのはほとんど我々だけ。そもそもファマグスタの旧市街にはもうほとんど一般の人は住んでいないようであった。
そしてファマグスタから南への帰り道、バスがわざわざ住宅地の中に入っていった。すると一見普通に見える家々はすべて廃屋、そのまわりは鉄条網で囲われている。「これらの家にはギリシャ系の住民が住んでいましたが、トルコの侵攻によって皆家を捨てることになりました」。わざわざこの一角までバスを入れてこのように説明する南キプロスのギリシャ系ガイド。初日から重い。
とはいえ南へのボーダー越えでは税関職員が「何か買いましたか~。何もありませんね~。はい、OK」ですぐに通過。
快適な高速道路を飛ばしてラルナカを通過、リマソールのホテルにチェックインして長い一日が終わった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。
8月8日
ようやく成田に就航したエミレーツ航空。
出発が21時40分と遅いので空港が空いていて助かる。
東京からドバイまでは10時間ちょっと。
ご飯食べて、寝て、
またご飯を食べると早朝3時半のドバイ空港に到着する。
8月9日
ラルナカ行きの出発までは5時間もあるので、いつもの空港ホテルのサウナにしけこむ。
こんな時間なので誰もいなくて貸切状態。
長いトランジットはサウナに限る。
8時半に出発したキプロス行きの機内では3時間半の飛行時間の間にまた朝ごはん。
いつもながらドバイ発の朝ごはんはボリューム満点。空港でもシナボン食べちゃったし、3連続朝ごはん。
やがて眼下に海岸線が見えてきた。これはシリアかレバノンか。
この海岸線を過ぎる頃には飛行機はすでに降下体制。30分ほどでキプロスのラルナカ空港に着いてしまう。
この島が十字軍の出撃拠点になった理由を実感。
到着したラルナカの飛行場は昨年の秋に新築されたばかりだそうでピカピカ。
待っていたバスも大きくてピカピカ。今回はいつものS社ではなく、ライバルE社のツアーだが、たった14人の客にこの大型バスとはなんとも贅沢。
空港を出るとバスは早速北キプロスへの越境地点の一つ、アギオス・ニコラオスへ向かう。
ボーダーは写真撮影厳禁とのことだが、プレハブの箱の並ぶ「関所」に緊張感はほとんどなく、ガイドが書類を見せに行っただけで我々はパスポートを渡すこともない。
ただボーダーを超えたとたんにギリシャ国旗がトルコ国旗に代わり、ギリシャ語表記がトルコ語表記になる。
キプロス上陸最初の観光地はサラミス遺跡。いきなりのローマ遺跡は
お約束の円形劇場に体育場、浴室などなど。
ちょっときれいな床面や
ほんのわずかなフレスコ画も残るが、リビアやアルジェリアのローマ遺跡を見た後では規模も保存状態もかなり劣ると言わざるを得ない。
なにより日陰がまったくないのがつらい!
日本も暑いがキプロスも負けず劣らず暑いことを確認して、次はファマグスタの旧市街へ。
初めに案内されたのは「オセロの塔」
と言ってももちろんオセロが実在したはずがない。
12世紀のルジニャーノ家が建てた海港を守る塔を14世紀にベネチア人が増築したとのことで門の上にはベネチアのライオンが見える。
が全体に拍子抜けするほど小さな「城」。
中にも何もなく、ただ上に登るとファマグスタの旧市街を囲む城壁と、目の前の桟橋にはイスタンブール行きのフェリーが停泊しているのが見える。
塔を降りたらすぐ近くのムスタファ・パシャ・モスクへ。
ここは14世紀に建てられた典型的ゴシック様式の教会だが、16世紀のオスマントルコの占領によりイスラムのモスクに転用された。そのため正面向かって左手には唐突にミナレットが突き出ているし
いかにもゴシックな内部にはむりやりミヒラーブや説教壇があり、さらにトルコと北キプロスの旗まで下がっている。
複雑なこの島の歴史を体現しているようなモスクだが、それにしてもオスマントルコがこういう教会を壊さずにそのまま使ってしまうのが面白い。堅牢な建物ならそのまま使えばいいじゃないか、という合理性なのだろうか。
これが逆だったらキリスト教徒はモスクなど徹底的に破壊して自分達のスタイルの教会を建てるのではないかと思うのだがどうだろう。
このモスクの周りには土産物屋やカフェ、レストランがちらほら。
しかし暑い昼下がりには歩いているのはほとんど我々だけ。そもそもファマグスタの旧市街にはもうほとんど一般の人は住んでいないようであった。
そしてファマグスタから南への帰り道、バスがわざわざ住宅地の中に入っていった。すると一見普通に見える家々はすべて廃屋、そのまわりは鉄条網で囲われている。「これらの家にはギリシャ系の住民が住んでいましたが、トルコの侵攻によって皆家を捨てることになりました」。わざわざこの一角までバスを入れてこのように説明する南キプロスのギリシャ系ガイド。初日から重い。
とはいえ南へのボーダー越えでは税関職員が「何か買いましたか~。何もありませんね~。はい、OK」ですぐに通過。
快適な高速道路を飛ばしてラルナカを通過、リマソールのホテルにチェックインして長い一日が終わった。
←人気ブログランキングへ一票、お願いします。