Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

イエメンの人々

2007-03-05 01:13:38 | 中近東/北アフリカ
イエメンは建築だけではなく、服装などの風習も昔ながらに残る国。
そしてイエメン人といえば男性が腰に刺したジャンビーアという刀。
一人前の男は必ずこれを差していなければならず、良い物は親から子に伝える家宝だそうだ。

↑左から現地旅行会社のマネージャー、ガイド、運転手。右端の運転手はこれで28歳だそうだが、とても信じられん。寡黙でまじめな運転手だったが。

女性は全身黒づくめで目だけ出しているか、↓のような衣装のおばちゃんか。

いずれにせよ街中で顔を拝むことはまったくできない。

しかし土産物屋で女性客にだけ顔を見せてくれたお姉さんたちはとてもきれい。典型的なアラブの顔立ちよりあっさりしていて、エチオピアやアジアの血が入っているのではないかと思われる。

子供からして美形が多い。さすがシバの女王の末裔。
  
 
12歳ぐらいか。顔を出せるのはこれぐらいの年が限度。


これはガイドの子供たち。こんなにかわいい坊やたちも、年をとったらおやじそっくりになるのだろうか。

ところでこのガイド、本職はイエメン航空の職員で(ちゃんと社員証を見せてくれた)、給料が不満だからと長期休暇をとってバイトをしていたらしい。
冗談ばかり言っている面白い男で、車のパジェロをイエメンでは「モニカ」と呼ぶという。理由は「モニカ・ルウィンスキー(クリントンとスキャンダル起こしたあのねえちゃんです)のようにケツがでかいから」だって。
体重60キロ以下は女じゃない、というこのおやじ、奥さんが二人いました。

モニカもダイエットに励むより、アラブに行けばもてたのに。

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イエメンの窓

2007-03-04 01:22:31 | 中近東/北アフリカ
イエメンの一番の見所は建築物、というより窓や扉のディテールだろう。

有名なのは「カマリア窓」と呼ばれる半円形の窓で、ステンドグラスが使われていることが多くかわいらしい。
 

裕福なサナアではその上窓の外枠を漆喰で白く装飾しているのでさらに華やかだ。


一軒一軒窓の大きさや形も様々で、その上かわいい雨戸が付いていたりして、まったく見飽きない。
 

 こちらはトゥーラの家。漆喰飾りはないが、その代わりにレンガで模様を作っている。丸い窓の配列などはニューヨーク辺りの古いビルにありそうな感じだ。

 シバームでは木の窓枠が凝っている。これもよく見ると一軒一軒デザインが違い、なぜか外にカーテンが付いているところもある。

シバームはドアも凝っている。
 
ドアの右にある郵便受けのような部分は鍵穴だそうだ。

 ムカッラの窓。
なぜかここも外側にカーテン。


これは白い町、ザビードの家の外壁。海岸沿いの暑い所なので壁が厚く、窓ではなく漆喰で家を飾っているようだ。

イエメンは窓を見ているだけで楽しい。

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イエメン旅行記

2007-03-03 01:04:39 | 中近東/北アフリカ
我が愛読誌「TV Bros」が今週はなぜかイエメンを特集しているので、唐突にイエメン旅行記。

2002年12月23日から2003年1月6日まで、関空、クアラルンプール、ドバイ経由でイエメンのサナアへ。もう4年も前になるとは。

サナアには早朝、夜明け前に到着。標高が2300メートルあるので、フリースを着ていても寒いほど。ホテルは新市街にあるが城壁に囲まれた旧市街まではすぐ。

旧市街はうっとりするようなイエメン建築がぎっしり。
   
それぞれ意匠を凝らした窓の形、ステンドグラス、漆喰飾り、いくら見ても見飽きない。徒歩で市内のスークを見ながら歩くのだが、上を見上げて写真を撮るのに夢中になっていると迷子になってしまいそう。

2日目はサナアから西、マナーハを通ってハジャラへ。途中モカマタリで有名なコーヒーの畑もちょっと見たが、最近はコーヒー畑がカート畑に取って代わられているそうだ。このカートについてはまた後で詳述。

ハジャラは山のてっぺんに生えたようにそびえる町。この日はちょっと霧がかかって神秘的な雰囲気。
 
町に入るには一本しか道はなく、町全体が要塞のようだ。

ハジャラからは山を下って紅海沿岸の町ホデイダで宿泊。

3日目、まずはホデイダの魚市場へ。いわしのような小魚から、さば、太刀魚、サメまで、捕れる魚の種類は豊富なようだ。


 市場で見かけたぼろ車。これでなんと現役なのだ!なんだか針金を引っ張ってエンジンを掛けるところがすごい。

魚の次はベイト・アル・ファキーフの金曜市。らくだや羊から野菜、肉、カート、何でもある大きな市場で大変な賑わい。

だが紅海沿岸は12月でも暑くてほこりっぽく、この市場はつらかった。

海岸線を南下してザビード。大学都市だったというここは白い漆喰塗りの家が並ぶ静かな町。
 
家の中まで真っ白だ。

さらに南に有名なモカ。だが今は何もない。小さな村に海岸があるだけ。

内陸に入ったタイズでこの日は宿泊。山に囲まれたここは近代的なホテルのある大きな町だ。確かピザハットもこの町にはあったような。


4日目、タイズから北、イップとジブラへ。
 この辺りは緑が多くてアラブではないようだ。

   

子供たちに付きまとわれながら徒歩で町を散歩し、穏やかでいいところだと思った。ところが翌日、この同じ町でアメリカ人の宣教師たちがイスラムの狂信者に殺される事件が起きてびっくり。病院のボランティアをしていたが、イスラムからの改宗活動をしたと恨まれていたらしい。日本人の我々にはとても親切なイエメン人たちだったが、アメリカに対する感情はいろいろ複雑なようで。

5日目。タイズからアデンへ。
ボートで海から町を眺めるが、特に見所はない商業港。

6日目はアデンから飛行機でムカッラへ。
到着後、護衛の警官たちと海岸線をビル・アリまで往復ドライブするが、護衛というより一緒に遊びに来ているみたい。緊張感まるでなし。
 
ただし沿道には銃撃の跡のある建物とか戦車の残骸も。内戦が終わってまだ10年なのだ。


ビル・アリから見るアラビア海。砂の山は蟹さんのおうち。


海に面したムカッラの町。窓がかわいい建物の並ぶ、こぎれいで活気のある町。


7日目、ムカッラからサユーンへは砂漠が続く。

ワディに沿ってヤシの木の緑と家がかろうじてある風景。

 
ワディ・ハダラマウトにある村。ここいら辺の家は石造りではなく、土壁だ。
ここは最高級蜂蜜の産地とかで、いくらだったか忘れてしまったがとてもよいお値段で手が出なかった。

夕暮れ時、有名なシバームを横目に見ながらサユーン到着。

8日目。まずはサユーンの王宮見学。中は博物館になっている。展示品の記憶は・・・ない。
 

サユーンの東、タリムも砂の中の白い町。モスクの尖塔がきれいだ。


そしてシバーム。土でできた摩天楼。

古いものは1000年ぐらい前に建てられたというが、常に補修を繰り返しているのだろう、そんなに古いものには見えない。

 
町の中に入るとなんだか子供の頃に住んでいた公団アパートを思い出してしまって変な感じ。

 中は壁が厚く、小さな窓がたくさん開いていて涼しそうだ。だが狭い階段しかない5階建て、6階建ての建物、住むのは大変だろう。


町の広場では渋い親父たちが煙草を吹かしながらドミノに延々と興じている。見事なおやじワールド。

9日目、サユーンの市場などをひやかしてから飛行機でサナアへ。
飛行機の座席はフリーで、グズグズしていたらエコノミーは満席になってしまった。まさか立ち席はあるまい、と思っていたらビジネスクラスへご案内。ラッキー。

10日目、観光の最後はサナア近郊。
初めにワディ・ダールのロック・パレス。1930年代のものだが岩の上に立つ姿とステンドグラスが印象的。
   

トゥーラは岩山のふもとに建つ石造りの村。
 
周りの景色に溶け込んだような家の間の狭い道をふらふら歩くのは楽しい。

双子都市と呼ばれるシバームとコーカバン。
 山の上がコーカバン  
 下がシバーム

標高差350メートルの2つの村をつなぐがけ道があり、我々はぜーぜー言いながらこれを降りたが、地元民は年寄りも平気な顔をしてこれを上っていく。
 羊も羊飼いも。

翌日はまたドバイ、KL、関空経由で東京へ。

旅程をたどるだけでもバラエティにとんだイエメンの旅だった。

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