Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

コーカサス周遊 12 サナヒン~セヴァン湖

2015-06-09 19:44:47 | コーカサス
5月4日 続き

昼食の後、バスは谷合から高台へ上がって行く。

 アラヴェルディは不思議な町で、工場などは谷底にあり、テーブル台地になった高台に住宅地があってその間にはロープウェイが通っている。
 
その住宅地に立ち並んでいるのはいかにもソ連風のアパート群。山の上にこんな団地があるとは思わず、壁がむき出しの石材のせいか天気が悪いせいか、かなりみすぼらしく見えてしまう。

この団地を抜けたところにあるのがこれも世界遺産のサナヒン修道院。
 
「サナヒン」とは「あちらより古い」、つまりお隣のアフパット修道院より10年古いということだそうで、934年に始まったこの修道院は20世紀の初めまで現役だったらしい。

この教会も長い歴史の間に増改築が繰り返されていて
  
背の高い鐘楼の隣にあるのが一番古くて小さなアストヴァツァツィン教会。
こちらの前室(ガヴィット)の床は墓石で覆われているが
  
素朴な人型が彫られているものなどあって面白い。 

 その隣にはもう少し大きなアメナプルキチュ教会。
 
すでに現役ではないためか、祭壇には聖母子像とハチュカルが無造作に置かれているだけ。
  しかしこちらのガヴィットには猫のような頭の付いた柱があったり
  表に置かれたハチュカルの繊細な彫刻はケルト紋様のようだったり、色彩はなくて地味ながらこの教会の造りや細部は興味深い。
 
さらに二つの教会の間のトンネルのような空間は修道僧の学院、その先にある四角い建物は図書館だったそうだ。

サナヒン修道院の前ではおばちゃんたちが土産物屋を開いていて
  
 
いかにも手作りの人形や刺繍がなかなか味わい深いのだが、不思議と他では見かけなかった。

アラヴェルディを離れ、ちょっと大きなヴァナゾルの町から東へ向かうと標高があがって来て
 
トイレストップをしたこの辺りで1800m。周りの山は雪をかぶっていて
 標高1700mにあるこの村は19世紀にロシアから逃れてきたピューリタンたちの村だそうだが、いかにも寒そうだ。

この後に少し休憩したディリジャンはソ連時代に文化人も訪れた避暑地だそうで
 
さすがにしゃれたホテルに気の利いた土産物屋がある。

その先のディリジャン・トンネルの出口が標高2000m。

やがて目の前に広がるセヴァン湖は標高1900mにあって琵琶湖の2倍の大きさ。

 湖畔の丘の上には9世紀創建という小さな教会が2つあり
 その先まで丘の上を歩いて行くと眼下に大統領の別荘が見える。

しかし標高1900mの吹きさらしの丘の上は寒い!
ということで早々に丘を下り、湖畔を離れてツァフカゾールの町で夕食。
 
変な人形が迎えてくれるこちらのレストラン
 
 
料理は宿敵トルコの影響が強いようだが、ドルマがこれで6人前とは言え多い。

お腹いっぱいになってチェックインした今夜の宿はマリオット。
 
ここはスキーリゾートということで大きなホテルだが、傍らにはカジノも併設されている。
ターゲットは大方ロシア人だろうが、あと何年かしたら中国人だらけになったりして。
 丘の上からは教会が見張っている。


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コーカサス周遊 11 アルメニア入国

2015-06-05 19:23:48 | コーカサス
5月4日

トビリシのラディソン・ホテルから朝の風景。
 面白そうな町なのにもうここを離れなければならないのが残念。

8時にホテルを出て、サダフロの国境に着いたのは9時半。
 ジョージアを出国して途中でバスを降り、アルメニア側の若い男のガイドさんに引き継がれたら100mほど荷物を持って歩く。
 入国審査の前にビザを発給する窓口があり、人数が多いので全員揃うまで時間がかかったが、何の問題もなく1時間で国境を通過。
 
アルメニアのスタンプには入国も出国もアララト山の絵が付いていてかわいい。

国境までジョージア側はなだらかな牧草地帯が続いていたが、アルメニアに入った途端に周りは高い山になって、道は谷沿いを走る。
 
並走していた線路にちょうど列車が来たが、車両の色が全部違うのは等級の違いなのか、寄せ集め車両なのか。
道路も山道のせいではあろうがジョージア側よりも明らかに状態が悪くて、経済状態の違いが見えるように思う。

 アルメニアでの最初の観光は山の上の教会。
 10世紀から建設が始まった世界遺産、アフパット修道院。

敷地内にはいくつもの教会や礼拝堂があるが、中心にあるのは聖十字架教会。
  
扉を入ってすぐの広い空間はガヴィットと呼ばれる集会などに使われた部屋。黒い石のヴォ―ルトがドーム天井を井桁に分けていて独特の作りだが、この部分は13世紀に作られたもの。
10世紀に作られた教会の本体は中央の小さな入口の向こうで
  
正面にうっすらとキリストのフレスコ画が残るものの、祭壇には新しそうな聖母子像があるだけで実に簡素。それが黒っぽい壁や高い天井とあいまってとても荘重な雰囲気を作り出している。

教会の隣には図書館があって
 
この床の穴には敵の襲撃の時など、大切な書物を隠したとか。
 
さらにその隣のハマザスプと呼ばれるホールも天井からの明かりで美しい。

教会の周りは花がいっぱい。
 
裏手は土に埋もれたような建物もあって面白い。

ところでトルコやイランで見たアルメニア教会は内部がびっしりフレスコ画で覆われていて豪華だった。
それに比べて本家のこちらは重厚で、飾りがないのがアルメニア教会の特徴の一つだと言う。
あまりにも違うのでガイドに聞いてみると、「各国に根を張ったアルメニア人がその土地に合わせて教会の様式を変えたのだ」との返答。なるほどね。

アルメニア教会の特徴はもちろんそれだけではなく、正教やカソリックとの一番の違いは「イエス・キリストは神性と人性の2つの本性がある」とするカルケドン信条を認めず、「二つの性格は不可分に一体」としているのだそうだが、この違いがなぜそんなに大問題なのか、異教徒にはさっぱりわからない。
   
教会の至る所にある根元から3つに分かれた十字架も三位一体を表すものだろうがアルメニア独特の物だろうか、他では余り見たことがないような気がする。
(上記訂正:3つの十字架についてはイエスとともに架刑に処された2人の盗賊もアルメニアでは聖人とみなされているとガイドに聞いたのを思い出した)

教会見学の後は近くのアラヴェルディの町へ。
ここは18世紀から銅山で栄えたところだそうだが
 
今も一応操業中だと言う工場は廃墟にしか見えず、軍艦島などが好きな人達に受けそうなたたずまい。

 昼食はこの悲しい町を見下ろすレストランで。
 前菜はなじみのサラダ類だが、イランで見た紙のように薄いパンが登場。
 
珍しい青菜の煮物とスープは見た目は同じようだが味がちょっと違い
 
この国の名物らしいホロヴァッツと言う炭火焼の豚肉はこれまでで最高においしかった。
 デザートも久しぶりに手の込んだナッツ入りのパイが出て、これがまた思いがけず甘すぎずにいいお味。

アルメニアの食事は予想外に幸先良いスタートとなった。


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「ゼロの未来」@恵比寿ガーデンシネマ

2015-06-04 18:32:53 | 機内食・映画・美術展
名前で追いかける数少ない監督の一人、テリー・ギリアムの新作が上映中なのですごく久しぶりに恵比寿のガーデンプレイスへ。

三越の奥にある恵比寿ガーデンシネマは今年の3月にオープンしたばかり。
  
 
なのでスクリーンは小さいが椅子は座り心地よく、ロビーやトイレまでおしゃれだ。

 「ゼロの未来」 The Zero Theorem 

未来のどこかでエンティティ解析なる仕事に追われる神経症ぎみの主人公。
一人で薄暗い崩れかけた教会に住んでいるが、扉を開けて一歩外に出ると「ブレードランナー」の世界がよりチープに、カラフルになったようなやかましさ。
「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」を思い出させるところもたくさんあって、このところファンタジーっぽいものばかり撮っていたテリー・ギリアムがSFに帰って来てくれたのがうれしい。

以前の作品を思い起こさせるのは実は「未来」のガジェットがギリアムの30年前の映画とあまり変わらないからで、主人公の仕事がビデオゲームのようだったり、画面にはスマホも登場するものの主人公が待っているのは固定電話だったり、さすがのギリアム御大も先端テクからはやや遅れ気味かなと思う。
しかしデータを送る時に機械の中から手が出てきてひったくっていたり、ファンタジーを共有するための衣装がへんちくりんだったり、キッチュな想像力は健在なようだ。

ゼロの解明とか存在の意義とか、思わせぶりながらテーマはわりと単純でわかりやすい。
しかし考えてみればギリアムの過去の映画もそうで、やはり彼の映画はその奔放なイメージを楽しむべき。
今回はただ主役のクリストフ・ヴァルツがシリアスすぎて、「未来世紀ブラジル」のジョナサン・プライスや「12モンキーズ」のブルース・ウィリスのようにシリアスな中にもとぼけた感じがなかったのが残念。上司役のデヴィッド・シューリスはいかにもギリアムの映画らしいキャラクターでよかったのだけれど。

もう一つこの映画で面白かったのはマネージメント役のマット・デイモン。髪をプラチナブロンドにしてメガネを掛けた姿はてっきりフィリップ・シーモア・ホフマンだと思ってしまった。この二人って似てたんだ。

ともあれギリアムおじさんにはぜひまたぶっとんだSFを撮っていただきたい。


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コーカサス周遊 10 トビリシ

2015-06-02 19:45:19 | コーカサス
5月3日 続き

ムツヘタから夕方のトビリシへ。

 トビリシは町の中心をムトゥクヴァリ川が流れ、東岸には駅やアパートがたくさんあるが、旧市街や目抜き通りは西岸にある。
 
西岸の山の上には城塞と教会が見え、そこまで上がるロープウェイが川をまたいでいて楽しそうだ。

我々がまず向かったのは川に突き出た岩の上のメテヒ教会。
  
13世紀に作られた教会は牢獄になったり劇場になったりしたものの現在はまた教会として機能しているそうで中には入れず。教会の前では5世紀末にトビリシに遷都した王様の像が町を見下ろしている。

ところでここから見下ろして目につくのは何とも前衛的な建物。
 
ロープウェイ乗り場の向こうのチューブを2つ並べたような建物はまだ建築中で、現代美術館になる予定とか。その前のつぶした兜のような建造物は平和橋という歩行者専用の橋。

この他にもトビリシの町にはぶっとんだ建築物がいっぱいあって
 
メテヒ教会からも見えるきのこのような建物はトビリシ市の公共サービスホール、うねったリボンのように見えるのはジョージアの国務省。
 
積み木を重ねたようなのはジョージア銀行本店、新築中の建物はマンションだそうで、アゼルバイジャンともどもコーカサスは建築家の天国かも。

教会のある丘から降りて、次は19世紀の街並みの残る旧市街へ。
 
ここには17世紀からあるというハマムがあって、お湯は硫黄泉らしい。ぜひ入ってみたい所だけれど、これを我慢しなければならないのがツアーのつらさ。
 修復中のモスクのように見えるのはこれもハマム、その奥の塔が見えるのがモスクとのこと。
 
この周辺の建物は最近修復されたらしく、下は観光客相手の土産物屋や飲食店になっているがテラスがきれいだ。

 この後は市街を見下ろす山の上へ。
 
ここにレストランがあるのだが、広い店内は家族連れなど地元の人たちでにぎわっている。

  
今夜の夕食もサラダとキノコのソテーから始まって
  
ピザそのものなのはハチャブリと呼ばれるジョージアのチーズ入りパン。これにトルコっぽい薄焼きパンに包まれたひき肉のケバブが続くのでもうかなりお腹いっぱいだが
 今夜の主役はヒンカリという名のジョージア風水餃子。
 
これが結構な大きさで、中にはひき肉と肉汁が詰まっているので食べる時はへたをつまみ、お尻をちょっとかじって先にスープを飲む。皮は厚いが中国の小龍包と同じで、日本人に受けないわけがない。

食べ方を実演してへたは食べずに残すと教えてくれたドライバーさん、英語は通じないが普段は幾つぐらい食べるのかと身振り手振りで聞いてみると、10個とか20個とか答えてくれる。
すると隣のテーブルにも人数の割にものすごい量の大皿が運ばれてきたので観察していると、かなり年配のおばさまでも最低7つは食べている。ヒンカリだけを食べているとは言え素晴らしい食欲、さすがはジョージアを代表する料理だ。

すっかり満腹になってレストランを出ると、外はすっかり暗くなってトビリシの夜景が眼下に広がる。
 左手に立つのはテレビ塔。

市街に戻ってチェックインしたのは川沿いに建つラディソン・ブル。
 
まだ建てられたばかりらしいホテルはきれいで部屋も広く、トビリシでも一番のルスタヴェリ大通りに面しているのでちょっと夜の散歩に出る。

ホテルのすぐ隣には見たことのあるファーストフード。
 ウェンディ―ズもグルジア語ではこうなる。

 
大通り沿いの建物は19世紀末、帝政ロシア時代の物なので重厚ですごく立派。
 現代美術館の入り口も素敵で、トビリシがこんなに見どころの多いところとは、知らなかった。


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コーカサス周遊 9 ムツヘタ

2015-06-01 14:25:46 | コーカサス
5月3日 続き

 緑濃い景色の中を走ることしばし。

朝からの雨がやみ、なにやら車のたくさん集まる大きなバザールを通り過ぎるころには市街に入り
 
ソ連っぽいアパートや黄色いバス、赤いMの字の目立つ地下鉄駅などが増えてきてジョージアの首都、トビリシに到着。

新市街を通り抜けて、すぐに昼食。ここも広い敷地に東屋が並ぶ造り。
 
おじさんたちばかりで盛大に酒盛りしているグループが多いところは中央アジアっぽくて、ほんとにここではヨーロッパとアジアが入り混じっている。

テーブルに並べられた前菜は塩辛いチーズやクルミペーストを巻いた焼きナスなど前日と変わらないが
 
盛り付け方がさすがに都会のレストラン。
 
メインはチキンだったが、白いミルキーなソースはほぼニンニク。大きなローストポテトもねっとりと甘くておいしい。

食後はそのままトビリシの町を通り抜けて、30分ほどでムツヘタへ。
紀元前3世紀以来の古都は町全体が世界遺産に登録されていて、ジョージア一番の観光名所らしい。

町に近づいてまず目に付くのは丘の上に建つ教会。
 
ジョージアにキリスト教を伝えたのは4世紀の聖ニノと言われているが、ジュヴァリ聖堂は6世紀に建てられた古い教会。
この日は日曜日とあって聖堂の周りは車でいっぱい。
 古い教会らしくシンプルな外観で
  
内部も簡素ながら高い天井が荘厳な雰囲気。
中央には大きな十字架が立っていて、これは聖ニノが最初にこの地に十字架を立てたことを示すものだろう。
  こちらがその聖ニノと十字架。
ちょっと不思議な形の十字架は聖ニノが葡萄の枝を自分の髪で結んだものだからだそう。
 
ここはイコノスタシスも驚くほど地味で、堂内のあちらこちらにある聖人のイコンもひっそり。
しかし熱心に祈る信者が多くて
  
聖堂内では赤ちゃんの洗礼式が行われていたし、外では結婚式を待つカップルが待機中。
とても人気のある教会だとわかる。


教会の前からは2つの川が合流しているところがよく見え、合流点の右手にムツヘタの町が広がっている。

次に行くのはこの町の中心。
大きな駐車場でバスから降りると、今回の旅で初めて土産物屋や飲食店が軒を連ねている。
 
ここを抜けて少し歩くと城壁があり、これを回り込むと
 スヴェティ・ツホヴォリ大聖堂の門にたどり着く。

  
スヴェティ・ツホヴォリ大聖堂は聖ニノがジョージアで最初の教会を建てた場所で、現在の建物は11世紀以来の物。ここは12世紀まではジョージア正教の総本山だった(その後トビリシに移された)のでさすがに堂々とした大きな教会。
 奥の山の上には先ほどまでいたジュヴァリ聖堂も見える。

ムツヘタの教会は由緒あるだけに服装コードが厳しく、ジュヴァリ聖堂では女性はスカーフ着用だったが、ここではさらにパンツの上に巻きスカートが必要。入口に用意されたものを借りて中に入ると
 
ここも高ーい天井が印象的。
  
正面のイコノスタシスはここも元総本山にしては地味で、ここいら辺が派手なギリシャやロシアの正教との違いだろうか。その代わり堂内のあちらこちらに宝石をちりばめられた凝った細工のイコンなどがある。
  
床下には歴代のジョージア王が眠っていてその墓石の上を歩くことになるが、この墓石でジョージア文字の変遷が分かり、しかし普通の人には古いものは読めないそうだ。

ところでこの大聖堂、元は壁面すべてがフレスコ画で覆われていたそうなのだがその後それらが漆喰で隠されてしまい、最近になってその一部が回復されたとのこと。
一番大きく残っているのが祭壇右手の壁で
 
中央のキリストの周りに十二星座があるのが面白く

その横の怪物たちの絵はもっと面白い。

と言うわけで壁画フェチの方はこちらを↓




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