prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「記者たち 衝撃と畏怖の真実」

2019年04月09日 | 映画
イランに大量破壊兵器など存在しないという正しい判断をしていたナイト・リッダー社ワシントン支局の記者たちが孤立に堪え続け、そして存在しないことがわかったところで「勝った」わけでもなんでもなく死ななくてもいい多くの兵士とイラン市民が命を落とした事実は変わらないのがなんともやりきれない苦い後味を残す。

車椅子に乗った一兵卒の証言から始まり、その車椅子に乗るに至る原因になった襲撃をクライマックスに置いた構成をとって、権力者の誤った判断がいかに兵士とその家族を傷つけたか端的に見せた。

ミラ・ジョヴォヴィッチ(当人がウクライナ出身)の役も旧共産圏の出らしく、国とか政府といったものが監視し盗聴するものだと自然に思っていて、考え過ぎだと夫にとしなめられるがおそらく、いや間違いなく妻の方が正しい。

ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった「一流誌」でも、というより一流誌だからこそ、知らず知らずのうちに政権=エスタブリッシュメントに接近した視点をとってしまったというアイロニー。

ブッシュJr政権で国務長官をつとめたコリン・パウエルは自著で必要な情報が30%以上集まらなかったら決断を下さないが、70%集まるまで持っていたら必要な時に遅れてしまう、と書いていたが、この映画で描かれるイラン戦争の理由とした大量破壊兵器に関する情報は80%まで集めてなお正確さを求め、しかしもともと渡された情報が誤ったものだったため、誤った決断を下してしまう。

そして国連の場でほとんど晒し者のように誤った決断を披歴する立場に立たされるわけで、政権の外で正しい見通しを得ていたのがナイト・リッダー社ワシントン支局の記者たちであるとするなら、裏の主人公のように政権内疑い続け孤立無援となり結局泥をかぶる。その姿をトミー・リー・ジョーンズが「兵士だ」と評するのが、おそらく車椅子の兵士と重なってくる。(パウエルはベトナムで実戦に参加し重傷を負っている)

エンドタイトルでウディ・ハレルソンが作詞作曲としてクレジットされているのがなんだか細かすぎておかしい。

「記者たち 衝撃と畏怖の真実」 - 公式ホームページ

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4月8日(月)のつぶやき

2019年04月09日 | Weblog

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」

2019年04月08日 | 映画
まったく出自の違うふたりが映画の変革期に交錯してまた別れていくのをドキュメンタリーながらドラマ的に構成して見せる。

ややわかりにくいのが当時のフランスならではの政治的状況で、特に五月革命というのがどういう経緯で起こったのか、どういう影響を残したのかご存知という感じであまり突っ込んで描いていない。

裕福な家の出のゴダールが政治的に先鋭化し、両親に見放されて育ったトリュフォーが商業主義あるいは古典的な映画作りに回帰するというのがありがちだが皮肉。

ヌーヴェルヴァーグが時代の寵児として注目され商業的に成功していた時期がごく短いのが並べて年表的に描くとわかりやすい。

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」 - 公式ホームページ

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4月7日(日)のつぶやき

2019年04月08日 | Weblog

「翔んで埼玉」

2019年04月07日 | 映画
これ、外国人が見たらどういう風に見えるのだろうと見ながらあれこれ想像していた。
まるっきり理解不能のようでも意外とわかったりするようでもある。ウディ・アレンのニューヨークものでマンハッタンとブルックリンの違いがわからないようでなんとなくわかった気がしたりするし。
余談だが、旧ソ連の映画でウラルがいかにも田舎という感じでディスられているセリフがあって、ソ連にもあるのかと呆れたことがある。

地域差別というのはヘタしたらシャレにならないモチーフなのだけれど、もともと根拠らしい根拠のない(少なくとも傍からはそう見える)埼玉ディスをなんとなく繰り返しているうちになんとなく定着しているみたいで、これが埼玉だから成立するには違いないのだけれど、なぜなのかというとこれまたわかったようでわからない。中心が空白だからかえって定着する、という日本得意の構造のひとつとも思える。

魔夜峰央の絵柄を実写で再現するという試みが非常に凝っていてマンガ以上にマンガ的。

対立していた千葉と埼玉が一転して協力するというストーリー上の重要なポイントを時系列に従わず、いわゆる後説(アトセツ)というのかどういうわけか両者が協力関係になったのを見せたあとからフラッシュバックで説明するのがよくわからない。
単純に盛り上がりに欠けるし、どちらにしてもウソ臭いのをしれっとやり過ごしていることに変わりはない。
ただ、日本映画で画的にこういう本格的な群衆シーンが見られるのは珍しい。

それを言い出すと、全体が枠物語になっているのもよく意味がわからない。原作は連載途中で曖昧に終わってしまったので話の分量が足りないのだが、埼玉人に気を使ってフォローするのに尺を使っているみたいな感じがなきにしもあらず。

「翔んで埼玉」 - 公式ホームページ

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4月6日(土)のつぶやき

2019年04月07日 | Weblog

「ヒトラーへの285枚の葉書」

2019年04月06日 | 映画
やたらと最近多い邦題にヒトラーとつく映画の一本だが、原作のタイトルは「ベルリンに一人」。
ヒトラー自身は出てこない。

ブレンダン・グリーソンとエマ・トンプソンの息子を戦争で失ったドイツ人夫婦が自国民にヒトラーの危険性を訴えるカードをひそかに作成して街のあちこちに置いてまわる。見つかったら当然死刑だが、息子を失った夫妻を押しとどめるものはない。
かといって完全に自爆的な行動に出ているわけではなく、あくまで夫は自分一人で罪をかぶるつもりだったりするのがグリーソンの地味な風貌の下の愛情深さと勁さを感じさせる。

捜査にあたる刑事役が「グッバイ、レーニン!」で母親思いのあまりかなり傍から見ると喜劇的な青年を好演したダニエル・ブリュールで、当然あの時よりは歳をくったがナイーヴな持ち味をのぞかせ、回収した多くのカードを読んでいくうちに疑似的な息子のような位置づけになってくるのが面白い。

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4月5日(金)のつぶやき

2019年04月06日 | Weblog

「シンプル・フェイバー」

2019年04月05日 | 映画
ママ友というより実態は体のいいタダ働き、という「友だち」関係というのに首がすくむ。
ママ同士に限らず、またアメリカに限らず日本でも十分にあることで、そのきれいごとで裏が欺瞞に満ち満ちた世界がブログで人気で博するというのがまたいかにもありそう。

出だしからあんなに大量にマティーニ飲んでいて大丈夫かとは気になった。お洒落イメージとは裏腹にアル中になってておかしくない分量。

後半のくるりくるりとツイストに継ぐツイストはテンポがいいのと駆け足気味の間くらい。

ファッションがどれもお洒落に見えてしまうのだが、登場人物同士ではほとんどマウントのとりあいになるのがまたエグい。

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4月4日(木)のつぶやき

2019年04月05日 | Weblog

「バンブルビー」

2019年04月04日 | 映画
「トランスフォーマー」はシリーズ第一作であまりに音響がガチャガチャうるさかったので我慢できず途中で出て以来どうにも相性が悪く、その後もテレビで音響を小さくしたりしてもあまりにえんえんと見せ場が続くので途中で飽きて投げることが多かった。

で、このスピンオフ的前日譚は少女とバンブルビーとの交流を「E.T.」ばりに描いているような予告編を見て、今回はテイストが違うのではないかと思って見たら、冒頭こそド派手なCGアクションが続くが、舞台が田舎町になり少女の家庭の描写から落ち着いて80年代アメリカのちょっと古いだけに今見るとすごく古く見えるガジェットやヒット曲を多用して描いていて、かなり落ち着いて見られる。

音声回路が壊れて口がきけなくなったので組み込まれたラジオを使ってその時の心情に合わせた曲を流すというアイデアが秀逸で、あれだけたくさんの曲を細かく選曲して権利をクリアしつつ当てはめていく手間を思うとため息が出てしまう。

「トゥルー・グリット」からぐっと成長したヘイリー・スタインフェルドがジュヴナイル的な家族とのぎくしゃくした関係から淡い恋模様を含めて明るい中に陰影を適度に交えて演じる。

WBEのレスラー、ジョン・セナの思い切り強面の軍人ぶりが効いている。


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4月3日(水)のつぶやき

2019年04月04日 | Weblog

「キャプテン・マーベル」

2019年04月03日 | 映画
ユニバースもので大勢のキャラクターが揃うのだと前のいきさつを忘れてしまうことが多くて困るが、単独ヒーローものは話がすっきりしてありがたい。

マーベル初の女性ヒーロー(ヒロインではないな)ブリー・ラーソンのコスチュームがよくできていて、滑稽にもならず恰好よくスタイルの良さがよくわかり、過度にセクシーでもない。

失われた記憶を取り戻す話だけれどもったいをつけ過ぎないでトントンとアクション混じりである意味予想通りに展開する。

宇宙の場面は未来的、地球の場面はさほど昔ではない(だから一番昔の感じがする)考証が施されているのがお楽しみ。

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4月2日(火)のつぶやき

2019年04月03日 | Weblog

「ソローキンの見た桜」

2019年04月02日 | 映画
よく分からないのは、昔の16mmフィルムで撮ったようなザラついた、光の回り方や発色が悪い画面であることで、今どきのデジタル機材でこういうバランスの良くない画面になる方が不思議で、わざとそうしたにせよ、どういう狙いなのか理解に苦しむ。

「フォレストガンプ」ばりのなくなった片脚のエッジのあたりの処理が切り貼りめいたところからして、やはり予算か技術力不足ということになるのだろうか。

阿部純子はアップになると黒目が大きいのが、ぐっと睨むような表情になるとほとんど三白眼めいた独特のきつい感じになり、単純に美人とか可愛いというのとはずれてるのが面白い。
英語のセリフもこなして、現代と過去、洋装や和服、看護師とさまざまな姿を見せ、感情表現がべたつかない。
この人が目当てで行ったのだけれど、まずは当たり。

日本もまだ日露戦争の頃だと捕虜の扱いを遵守して世界の一等国として認められるという意識が強かったろうから、あまり凄惨な対立にはならない。

ドローンで捉えられた松山の桜や城、サンクトペテルブルクの街並みなどが魅力的。

「ソローキンの見た桜」 - 公式ホームページ

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