NASAより宇宙に近い町工場 | |
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ディスカヴァー・トゥエンティワン |
本書は、北海道の赤平というところにある植松電機という町工場とその経営者である植松努さんの物語だ。
植松電機は、決して宇宙開発専門の会社ではない。本業は、リサイクルで使われるパワーショベルに取り付ける特殊なマグネットの開発である。従業員は20人。株式会社になったのは2000年。株式会社したのは、取引先の大企業から、いまだかって青色申告している会社と取引をしたケースはないからと、急いで株式会社にするようにと言われたためだ。絵に描いたような筋金入りの中小企業なのだが、この会社は、ロケットも人工衛星も作ってしまうし、世界で3つしかない無重力実験装置の一つも保有しているのである。
植松さんの半生には、夢が溢れている。しかし、小学校のときの教師は、植松少年の「自分のつくった潜水艦で世界の海を旅したい」という夢に難癖をつけた。中学校の教師には、将来「飛行機やロケットの仕事をしたい」と言うと、「芦別に生まれた段階で無理」と言われた。高校時代も飛行機の勉強にのめりこんで、学校の成績は低空飛行。進路指導の教師からは、大学受験は絶対無理と言われてしまう。それでも、国立の北見工業大学に進んだのだが、こんどはそこの教師から、この大学は、国立のなかで一番レベルが低いから、飛行機の仕事につくのは無理だと言われる始末。植松さん、本当に教師運が悪い。
しかしそんなことで諦めるような植松さんではない。見事名古屋の飛行機を作る会社に就職したのだが、せっかく就職したその会社を5年半で辞めてしまう。職場に飛行機が好きではない人が増えたからだという。好きなことは、成績に関係ないからやめろと言われる。本来大学や専門学校は、好きなことを伸ばす場所なのに、成績により好きでもないような進路に振り分けられてしまう。植松さんは、そんな今の教育に、疑問を呈する。
飛行機の会社を辞めて、植松さんが務めたのが家業の植松電機だ。元々は、植松さんのお父さんが一人でやっていた修理屋さんだったが、仕事がどんどんなくなってきたので、パワーショベルに付けるマグネットの製造に移行したということである。
この会社の経営方針がなんともユニークだ。「稼働率を下げる。なるべく売らない。なるべく作らない」(p115)というのである。通常の会社とは真反対だ。その心は、本書で確認してほしいが、、現在の主流である、きちんと定期に壊れて、買い換え需要を煽るようなもの作りをするのとは逆転の発想ではないか。
宇宙開発をしている理由も、それで儲けようというわけではない。逆に宇宙開発には、本業の方で稼いだ金を突っ込んでいるという。
「僕たちにとって宇宙開発は「手段」です。(略)僕たちの本当の目的は、宇宙開発を使って「どうせ無理」という言葉をこの世からなくすことなんです」(p46)
もちろん、宇宙開発というようなことをしようとすると、前例のないことをやるわけだから、一見無理に見えることはたくさんあるだろう。しかし、そこを工夫して、世界初つまり世界一となるものを生み出すことが、今の日本に求められているものではないのか。かって、2番ではいけないのか言った、どこかの議員がいた。あまりにも技術というものを理解していない発言に呆れたものだが、世界一を目指すことによって、オリジナリティの高い技術が生まれるのである。2番ではだめなのだ。技術とは、そんなものだ。
植松さんに言わせれば、大企業の社員は、ショッカーの戦闘員だそうだ。人材といいながらも、社員の能力を見ず、頭数でしか社員を見ていないような人事。そして、仕事がどんどん外注化され、技術力のない社員が増えていく。これが、今の大企業に蔓延している負のスパイラルだと思う。
私は、講演会でも中小企業の経営者の話を聞くのが好きだ。大企業の経営者の話は、概して面白味がない。なぜなら、その地位は、お神輿に乗っているようなもので、上には誰が乗っても良いからである。本来経営者として必要な能力というよりは、社内政治で上りつめた人物も多いのではないか。これに反して、日々経営や技術開発に取り組んでいる中小企業の親父さんは、実に個性的で、経験に基づいた素晴らしい話が聴けることが多い。本書も、そんな中小企業の親父さんの歩んできた道のエッセンスが、ぎゅっと濃縮されて詰まっている。
本書が教えてくれるのは、夢を諦めないことの大切さ。そして、好きという心の素晴らしさ。本書を読んで、夢を追う人が増えてほしいものだ。夢からすべてが始まるのだから。
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