文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:ヒルベルト訪問記 1932年10月8日,ゲッチンゲンに於て

2015-04-10 10:24:29 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ヒルベルト訪問記 1932年10月8日,ゲッチンゲンに於て
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 この文章は、高木貞治が、恩師ヒルベルトを久しぶりに訪問したときの思い出話である。高木貞治とは、我が国の近代数学の草分けで、類体論という数学理論を確立した、世界的な数学者である。また、ヒルベルトの方も、世界的に高名な数学者であり、貞治はゲッティンゲン大学で、その教えを受けている。表題に、1932年とあるが、貞治はこの年、国際数学者会議に副議長として参加するため、チューリッヒに行っているので、その際ドイツのゲッティンゲンにも立ち寄ったのだろう。

 貞治は、1875年生まれなので、還暦がそこまで迫っている年齢だ。一方ヒルベルトの方は、1862年生まれだから、貞治より一回り以上年上である。計算してみると、このとき70歳となる。個人差はあるが、現代ならまだまだ元気な人も多い年代だ。しかし、やはり時代が違うのだろう。さすがのヒルベルトも、貞治の眼には老いたと映ったようだ。

 ヒルベルトは退職後も、大学で週1回の講義を行っているようだが、「助手たちが存外批判的でね」などと言いながら、数学基礎論について、くどくどと独り言をつぶやくのを見て、貞治は、暗涙を禁じえなかったようだ。そして話は、どんどん超越的なものになっていく。その話は最近ゲッティンゲンで有名なようで、貞治は、C氏と言う人物から「君も聞かされたか」と言われたという。

 その他にも、こんな話が紹介されている。ヒルベルトが、客が来るからといって、ネクタイを替えに2階に行ったきりいつまでも降りてこない。なんと、ヒルベルト先生、すやすやと眠っていたそうだ。そしてもうひとつ。講義中にヒルベルトのズボンに穴が明いているのを見つけた学生。毎日注意してみていると、ずっと穴が明いたままである。なんとか角の立たない方法で、その学生が先生に穴の明いていることを伝えたところ、ヒルベルト先生曰く、「アア、この穴か、これなら前学期にもあいていたようだよ」。ヒルベルト先生、なかなか愛すべきキャラだったようである。

☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。


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