文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
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書評:水妖記―ウンディーネ

2015-11-10 09:05:00 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)
クリエーター情報なし
岩波書店


 漁師の老夫婦が、失った娘に代わって、大切に育ててきた水の精ウンディーネ。彼女たちは、生来魂を持っていないが、人に嫁ぐことにより魂を持つことができるという。ある日、ウンディーネたちの住む家を一人の騎士が訪れた。フルトブラントというその騎士は、ウンディーネの愛らしさに魅かれ、二人は結婚することになる。

 気まぐれで、自由奔放で、いたずら好きだったウンディーネだが、フルトブラントに嫁いで魂を得てからは、一途に騎士を愛する優しく愛情深い女性に代わる。彼女と対照的なのが、老夫婦の本当の娘であるベルタルダだ。領主の養い子として美しく育った彼女は、気ぐらいが高く、我儘な娘である。自分の生みの親が分かった時に、その態度の悪さから、育ての親である領主からも見捨てられてしまったほどだ。彼女は、ウンディーネに助けられて、フルトブラントの城で一緒に暮らすことになるのだが、ここでも次第に増長して、主人顔をするようになる。

 そしてもう一人厄介なのが、ウンディーネの伯父にあたるキューレボルンだ。魂を持たない彼は、目に見えることだけですべてを判断し、頼まれもしないのに、なにかとでしゃばって、フルトブラントに嫌がらせのような真似をしてくる。ウンディーネは、伯父が城に来ることができないよう、水界から城に通じる唯一の道である泉を岩で塞がせた。

 ところが、肝心のフルトブラントは、ウンディーネとベルタルダの二人の間を揺れ動く。そして、結局は、ウンディーネを捨てることになってしまった。

 ウンディーネが、フルトブラントとの結婚で得ることができた魂には汚れがなかった。しかし、フルトブラントとベルタルダの二人は、魂を最初から持っていたはずなのに、きれいなものではなかったというのは、大きなアイロニーだ。人の魂は、俗世間に染まる中で、次第に汚れていくということだろうか。そして、結局は、ベルタルダの愚かな行為により、ウンディーネは、愛するフルトブラントの命を奪わなくてはならなくなったのである。

 しかし、ウンディーネは、最後の時までフルトブラントを愛していたのだ。最後にウンディーネの育ての親であった漁師はこう言う。

 「どの道こうなるしかなかったのだ。これは神様のお裁きでなくて何であろう。フルトブラントの亡くなったことは、誰が悲しいといって、自分で手を下さなければならなかったウンディーネより悲しい者はないだろう。可哀そうにも棄てられたあのウンディーネより。」(p149)

人と、人ならざる者の愛は、いつも哀しい破局で終わる。フーケーによって書かれた、ヨーロッパに古くから伝わる民間伝承を題材とするこの愛の物語の結末も、やはり哀しい。

☆☆☆☆☆

※本記事は、2015年10月14日付けで、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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