文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

大学近くのとんかつ屋(思い出シリーズ32)

2015-11-05 13:56:55 | 思い出シリーズ
 私の通っていた大学は、大学の本部のあるエリアと理学部・農学部などがあるエリアは、百万遍から銀閣寺方面に続く、今出川通で区切られている。私が通っていた当時、その今出川通の理学部側に、1件のとんかつ屋があった。

 そこには、同じ研究室の友人に誘われて行ったのだが、普段は生協の安い飯で済ませるか、適当に自炊している身。そのうまさには感激した。何しろ、当時の学生というのは、貧乏なのがデフォルトであった。そのうえ、金があれば、読むかどうかも分からないような専門書を買っていたので、よけいに貧乏になる。当事流行っていた歌の歌詞ではないが、まさに月に1度の贅沢という訳だ。あの時代は、大学の授業料が、今と比べると、信じられないくらい安かったから、家が金持ちでなくても、大学に行くことができた。

 ところが、今でも高い国公立の大学の授業料を、大幅に値上げすることが目論まれているという。とんでもないことだ。親が裕福かどうかに関わらず、当人の能力次第で高等教育が受けられる。これが国公立大学の本来の姿ではないのか。今日本には、大学が多すぎる。私学助成を大幅に削ってでも、金が無くても国公立大学には行けるということをきちんと保障するのが国や自治体の責務ではないのか。

 あの時代に比べれば、今の学生は贅沢になっている。私の住んでいた学生アパートは、風呂無し、キッチン・トイレは共同。おまけに、ムカデ付き。あの京都の暑い夏を、エアコンではなく、小さな扇風機一つで乗り切っていた。そして、それは、殆どの学生が同じような暮らしだったのだ。今、こんな暮らしをしている学生が、どのくらいの割合でいるだろうか。

 ところで、このとんかつ屋、卒業後かなり経って、この辺りを歩いてみたが、既に店はなかった。私が通っていたころは、結構流行っていると思ったのだが。やはり、大学にとんかつ屋というのは、あまりマッチしないものだろうか。

○関連過去記事
ムカデが、あそこに!!!(思い出シリーズ31)
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ムカデが、あそこに!!!(思い出シリーズ31)

2015-11-05 10:52:08 | 思い出シリーズ
 私が大学、大学院時代と住んでいた学生アパートは、山に近いところに建っていた。、そのアパートより上の方には、お寺はあっても、民家はないような環境だったのだ。京都は、100万都市とはいえ、ちょっと周辺に行けば、市内にもそうゆうところが残っている。(といっても、当時使っていた原付バイクで、大学まで、わずか20分程度のところだったと思う)

 ある夏の夜、寝ていると胸のあたりがもぞもぞするので、目が覚めた。思い当たることがあるので、そっとシャツの首の穴のところから中を覗いてみると・・・

 ギャー!!!

 なんと15cmはあろうかという緋色のムカデが、私の胸の上でとぐろを巻いて、きもちよさそうにおねんねしているではないか。

 こんなのに刺されたら、えらいことになる。刺激してはまずいので、リンボーダンス状態で、そろそろと窓のところまで行き、えいっと一気に外にはね落とす。

 I've done it!      やったぜ!

 もし刺されていたら、胸が、少なくともCカップ位にはなっていたところだ。ムカデの毒は死ぬほどではないが、かなりきついのである。

 この後、しばらくの間、夜何かが胸の上を這っているような感じがして、何度目覚めたことか。

 その他、もっと小さいムカデが髪の毛の中に入ってきたりと、このアパートでは、本当に、ムカデに悩まされた。就職して、かなり経ってから、この辺りを散策したことがある。当時の建物は、もうなく、たぶん学生用だと思うのだが、もっと立派なマンションに変貌していた。まだ、ムカデは出るのだろうか。

※本記事は、2006.02.15付で「時空の流離人」に掲載したものに、加除修正を加えたものです。


○関連過去記事
これもエコ活動?(思い出シリーズ30)



 
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書評:江戸おしゃれ図絵 衣裳と結髪の三百年

2015-11-05 08:40:40 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
江戸おしゃれ図絵 衣裳と結髪の三百年
クリエーター情報なし
講談社


 江戸時代300年の衣装と結髪の歴史を辿った、「江戸おしゃれ図絵 衣裳と結髪の三百年」(菊池ひと美:講談社)。本書は、江戸時代を初期、中期、後期に区分して、それぞれの時代のファッションについて紹介したものだ。

 まず江戸初期であるが、当時着られていた「小袖」は、身幅がゆったりして、全体的にだぶっとした感じであり、袖丈もかなり短くなっており、今の着物とはまったくの別物であったようだ。帯も現在のように幅の広いものではなく、細い平帯(上流階級)や組帯(中流以下)であった。このころから、それまで下げ髪だった女性が、髪を結うようになったらしい。だから、江戸時代より前の時代で、髪を結っている女性が出てくるようなドラマや映画を観たら、時代考証が十分でないということなのだ。

 この時代の頂点ともいえるのが「地無し」とも呼ばれる「慶長小袖」だ。「地無し」というのは、絹の地が見えないくらいに、刺繍や金銀箔で埋め尽くされていたからで、大名の奥方クラスでないと着用できないような豪華なものだ。一方、経済力をつけてきた上層町人の間では、自由で大胆な構図を特徴とする、「寛文小袖」が広く流行したという。本書の特徴として、各時代とも、これらの着物や髪形が豊富なイラストで紹介されているのだが、それらを見ているだけで楽しい。

 江戸中期は、力をつけた町人たちが台頭してくる時代だ。この時代は、幕府から度々贅沢禁止令が出たこともあり、「友禅染」という染めの技法へ、流行が移行していく。着物も身幅が細くなり、袖丈は長く手首までくるようになる。帯幅も広くなり、結び方も工夫されるようになったようだ。日本の着物の魅力の一つは、帯にあると思うのだが、それが意識され始めたのもこのあたりからだったのだろう。

 当時のファッションリーダーは、歌舞伎役者や吉原の高級遊女だったというから面白い。現代では、いくらきれいだとしても、オネエのみなさんが、ファッションリーダーになるというのは、皆無とは言わないまでも、かなり珍しいのではないかと思う。さすがは江戸時代。男だの女だのというような細かいこと?は気にしなかったのである。

 ところで、「友禅」というのは、天和から元禄にかけて人気のあった扇絵師の宮崎友禅にちなんで名づけられたもので、友禅扇絵図の小袖模様のことだ。このほかにも、尾形光琳風の模様を描いた「光琳模様」というのもあった。この時代、帯が広くなったため、帯部部の上下で着物の模様を分けた「割模様」というのが現れたが、この一方で、模様が腰の高い位置にまでかかる「腰高模様」という、一見相反するものが生まれたというのは不思議だ。この中期は、小袖の黄金期で、華やかな友禅染に合うように、髪形も発達していった。

 そして、いよいよ江戸後期。この時代は、庶民が中心となって「いき」の文化を作り上げていった。着物の形はほぼ現代と同じで、帯はますます広くなっている。この時代は、現代のように帯を二つに折って使わなかったので、帯がとても目立つファッションだ。この時代の着物は、帯が堂々たる主役だった。着物の模様は「裾模様」、「褄模様」、「裏模様」といった目立たない渋さの美が重んじられるようになっている。また、元々男物であった「小紋」を女性が着るようになったのはこのころだという。美にどん欲な女性たちが、男性ファッションを取り入れた例は、洋の東西を問わず沢山ある。我が国においても、その萌芽が見られたはこの時期ということだろうか。

 もちろん、おしゃれをするのは女性ばかりではない。男たちの衣装や髪形だって、時代の流行に合わせて変化していくのだ。本書にも、一応、各時代区分における男の髪形なども載ってはいるが、女性のファッションの扱いに比べると、かなり扱いは寂しい。もっとも、ちょんまげの変遷など、絵を見てもよく分からないし、華やかさも面白みもないので、まあ仕方のないところだろうか(笑)。

 女性の場合、服装や、髪形が時代とともに変化しているだけでなく、髪形などは同じ時代にもかなりのバリエーションがある。私など、テレビの時代劇では、それほど多彩な髪形が出ていたような記憶がなかったのだが、「本書を読んで」、これからは、かなり厳しい目で視ることができるようになるだろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ、「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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