私の通っていた大学は、大学の本部のあるエリアと理学部・農学部などがあるエリアは、百万遍から銀閣寺方面に続く、今出川通で区切られている。私が通っていた当時、その今出川通の理学部側に、1件のとんかつ屋があった。
そこには、同じ研究室の友人に誘われて行ったのだが、普段は生協の安い飯で済ませるか、適当に自炊している身。そのうまさには感激した。何しろ、当時の学生というのは、貧乏なのがデフォルトであった。そのうえ、金があれば、読むかどうかも分からないような専門書を買っていたので、よけいに貧乏になる。当事流行っていた歌の歌詞ではないが、まさに月に1度の贅沢という訳だ。あの時代は、大学の授業料が、今と比べると、信じられないくらい安かったから、家が金持ちでなくても、大学に行くことができた。
ところが、今でも高い国公立の大学の授業料を、大幅に値上げすることが目論まれているという。とんでもないことだ。親が裕福かどうかに関わらず、当人の能力次第で高等教育が受けられる。これが国公立大学の本来の姿ではないのか。今日本には、大学が多すぎる。私学助成を大幅に削ってでも、金が無くても国公立大学には行けるということをきちんと保障するのが国や自治体の責務ではないのか。
あの時代に比べれば、今の学生は贅沢になっている。私の住んでいた学生アパートは、風呂無し、キッチン・トイレは共同。おまけに、ムカデ付き。あの京都の暑い夏を、エアコンではなく、小さな扇風機一つで乗り切っていた。そして、それは、殆どの学生が同じような暮らしだったのだ。今、こんな暮らしをしている学生が、どのくらいの割合でいるだろうか。
ところで、このとんかつ屋、卒業後かなり経って、この辺りを歩いてみたが、既に店はなかった。私が通っていたころは、結構流行っていると思ったのだが。やはり、大学にとんかつ屋というのは、あまりマッチしないものだろうか。
○関連過去記事
・ムカデが、あそこに!!!(思い出シリーズ31)
そこには、同じ研究室の友人に誘われて行ったのだが、普段は生協の安い飯で済ませるか、適当に自炊している身。そのうまさには感激した。何しろ、当時の学生というのは、貧乏なのがデフォルトであった。そのうえ、金があれば、読むかどうかも分からないような専門書を買っていたので、よけいに貧乏になる。当事流行っていた歌の歌詞ではないが、まさに月に1度の贅沢という訳だ。あの時代は、大学の授業料が、今と比べると、信じられないくらい安かったから、家が金持ちでなくても、大学に行くことができた。
ところが、今でも高い国公立の大学の授業料を、大幅に値上げすることが目論まれているという。とんでもないことだ。親が裕福かどうかに関わらず、当人の能力次第で高等教育が受けられる。これが国公立大学の本来の姿ではないのか。今日本には、大学が多すぎる。私学助成を大幅に削ってでも、金が無くても国公立大学には行けるということをきちんと保障するのが国や自治体の責務ではないのか。
あの時代に比べれば、今の学生は贅沢になっている。私の住んでいた学生アパートは、風呂無し、キッチン・トイレは共同。おまけに、ムカデ付き。あの京都の暑い夏を、エアコンではなく、小さな扇風機一つで乗り切っていた。そして、それは、殆どの学生が同じような暮らしだったのだ。今、こんな暮らしをしている学生が、どのくらいの割合でいるだろうか。
ところで、このとんかつ屋、卒業後かなり経って、この辺りを歩いてみたが、既に店はなかった。私が通っていたころは、結構流行っていると思ったのだが。やはり、大学にとんかつ屋というのは、あまりマッチしないものだろうか。
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