私は、勉強のために、他の人のブログをよく巡回しているのだが、小飼弾氏のブログ「404 Blog Not Found」の「社会科学を真の科学に - 書評 - 偶然の科学」という記事に、ちょっと気になる表現があった。小飼氏は、いわゆるアルファブロガーと呼ばれており、一般にはあまりなじみはないかもしれないが、ネット界の住人にはかなりの人気を誇っている人だ。
な
記事自体は、書評記事で、それ自体はどうこういうこともないのだが、気になったのは、次の部分。
<本書の原題は"Everything is Obvious* Once You Know the Answer" 「全ては自明--あらかじめ答えを知っているなら」というのは、対偶をとれば "Till you know the answer, nothing is obvious" 、「答えが分からぬうちは、自明なものなどなにもない」となる。>(記事中から引用)
この「対偶」という言葉の使い方である。最初の文章は、文章は逆に書かれているが、「AならばBである」という命題として整理すれば、以下のようになるだろう。
「あらかじめ答えを知っている」→「すべては自明である」
このとき、この命題の対偶は、「BでなければAでない」ということなので、上の命題では、否定の場合の言葉の使い方に気をつければ、
「すべてが自明というわけではない」→「あらかじめ答えを知っているわけではない」
が対偶となるはずだ。
なお、最初の命題の逆が成り立たないことは、例えば1936+2057なんという計算を考えてみればいい。この答えをあらかじめ知っている人はまずいないだろうが、計算して出てきた答えは、異論をはさむ余地のないような自明なことだろう。
さらに、「A→B」のとき、この命題が真なら、AをBであるための「十分条件」、BをAであるための「必要条件」と呼ぶが、これも時に間違って使われているのを目にする。高校数学の範囲だが、なかなか難しいものだ。