本書は、古代史について書かれたものだが、正直「トコトン面白い!」という気はしなかった。まあ、感じ方は人それぞれなので面白いと感じる人もいるだろうことは否定しない。
タイトルにたけみつ「教授」とあるのは、著者が明治学院大学の教授をやっているからである。明治学院大学と明治大学はよく混同されるようだが、別の大学である。森田健作千葉県知事が籍を置いていた大学といったら分かりやすいだろうか。
日本古代史とあるが、日本神話の話も入っており、必ずしも古代史とはいえない。問題はこの神話の部分だ。これが普通に知られているものと大分違う。
例えば、天照大神が天の岩戸に隠れる原因になった事件。本書にはこう書かれている。
「大神の機織殿に鳥を投げ込んだり」(p23)
「日本神話は、大国主命は素戔嗚尊の子だとする」(p33)
最初のものは、素戔嗚尊の行状なのだが、良く知られている神話では、斑馬の逆剥といって、斑馬の皮を逆方向に剥いで、機織殿に投げ込んだとされている。鳥ではなく馬なのだ。次のやつは大国主命は素戔嗚尊の子孫ではあるが子ではない。もっとも、素戔嗚尊の娘の須勢理毘売命を妻にしているので、義理の息子にはあたるのだが、そういう意味で書いたのではないだろう。そしてこれ。天照大神が天の岩戸から出てくるところだ。
「岩戸の前でニワトリを鳴かせたり神楽を行ったりして、ようやく大神に岩戸の戸をあけてもらった。」(p24)
と書かれており、この書き方だったら神々が天照大神の機嫌をとって岩戸を開けさせたように思えるが、私たちのよく知る日本神話だと計略に近い形で天照大神に岩戸を開けさせたのである。
思うに、著者はあまり神話には詳しくないのだろう。そして神話は歴史とは違う。だから古代史の話とはいえ、あまり神話を入れるのは賛成しない。また、私はそれほど古代史に詳しいという訳ではないのだが、こういった記述があると書かれていることの信ぴょう性を疑ってしまう。
次の記載にもひっかかる。中世の聖徳太子信仰について述べた部分だ。
「阿弥陀仏は、きちんと講を組織して寺院を維持する農民しか救わない。しかし、情け深い太子さまは、誰がどこで拝んでも助けてくれる。こういった考えから、太子が弱者を守る神とされた。そのため、太子信仰が普及しても太子を祭る寺院の数は少ない。」(p198)
そもそも法然、親鸞と続く阿弥陀仏信仰は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えさえすれば、悪人でさえも阿弥陀様が救ってくださるというもので、特定の者だけ救うというようなものではない。また、親鸞が聖徳太子を崇拝していたことは有名で、浄土真宗の寺には聖徳太子が祭ってあることが多い。それを考えると首を傾げざるを得ないのだが、何か根拠はあるのだろうか?
全体的に見れば、なかなか興味深いことも書かれており、もっと根拠を示した方がいいと思う。
☆☆☆
※初出は、「風竜胆の書評」です。