本書は、自由律俳句で知られる放浪の俳人、種田山頭火によるエッセイである。小春日和のうららかさ。のんびりとした気持の中で思いつくものを綴ったように思える。
いつまでもシムプルでありたい、ナイーブでありたい、少くとも、シムプルにナイーブに事物を味わいうるだけの心持を失いたくない。
酒を飲むときはただ酒のみを味わいたい、女を恋するときはただ女のみを愛したい。アルコールとか恋愛とかいうことを考えたくない。飲酒の社会に及ぼす害毒とか、色情の人生に於ける意義とかいうことを考えたくない。何事も忘れ、何物をも捨てて――酒というもの、女性というものをも考えずして、ただ味わいたい、ただ愛したい。
女性のことはともかく、あんたは酒飲んじゃいかんだろう。本当は僧籍にあるものは、酒も女性もダメなのだが、人に迷惑をかけるようなものではない。しかし、酒は周りに迷惑をかけるからなあ。坊主が酒をただ味わっちゃいかんだろう。次の個所も気になる。このエッセイの結びの部分だ。
俳壇の現状は薄明りである。それが果して曙光であるか、或は夕暮であるかは未だ判明しない。
俳句の理想は俳句の滅亡である。物の目的は物そのものの絶滅にあるということを、此場合に於て、殊に痛切に感ずる。
確かに俳句の世界には、そういう人もいるが、全員がそうだという訳ではないと思う。しかるに山頭火がこのように決めつけてもいいのか。小一時間正座させて説教したいところだ。
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