漂泊の俳人種田山頭火は、本名を種田正一といい、山口県佐波郡西佐波令村(現山口県防府市)に生まれたが、日本各地を旅し、四国にも遍路旅をしている。1939年(昭和14)11月1日~1939年(昭和14)12月16日のことだ。これは、その時の日記である。
山頭火は一応曹洞宗の僧である。ご存じの通り、四国八十八カ所は弘法大師ゆかりの寺なので、ほとんどが真言宗である(派は様々)。ただし一部では長年の間に改宗したりで、若干他の宗もある。
この日記を読んでいると面白い発見があった。四国にも東寺があるということだ。東寺というとつい京都を連想してしまうが、この寺は正式には、最御崎寺(ほつみさきじ)といい、室戸岬山上二十四番札所であり、土佐の最初の札所にもなる。二十六番札所の金剛頂寺を西寺とも呼び、これと対比して東寺と呼ばれているようだ。
しかし、山頭火はどんな格好で遍路したのだろう。そう姿で遍路したのだろうか。それともあのお遍路さんの白装束だったのだろうか。彼はいたるところで行乞をしているが、本来宗派違いである。それでもあちこちでお接待を受けている。東寺の日本人は、あまり宗派の違いを気にしなかったのだろう。
これにはぞっとする。
安宿に泊る人はたいがい真裸(大部分はそうである)である、虱がとりつくのを避けるためである、夏はともかく冬はその道の修行が積んでいないとなかなかである(もっとも九州の或る地方のようにそういう慣習があるところの人々は別として)
今だったら、幾ら安宿といっても、虱に悩まされることはまずないだろう。仮にそんなことがあったらクレームが入って営業は続けらないと思う。
しかし行乞すれば、何とか食っていけた時代である(本人は行乞はいやだったようだが)。今でも駅前などで僧姿の人が行乞しているのを見ることがあるが、喜捨をしている人を見たことがない。世の中がせちがらくなったのだろう。
戦前の昭和の日本がどんな雰囲気だったかが伺えるので、民俗学や昔の風俗に興味を持つ人には面白いのではないかと思う。
☆☆☆☆