文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール

2019-07-15 09:42:22 | 書評:ビジネス
会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール
高田 敦史
集英社

 本書の内容を一言で表せば、「フリーランスの勧め」ということか。著者はトヨタの部長だったが、54歳の時に退職してフリーランスの道を歩みだす。


 本書には、著者の会社での歩みや、専門知識を持つことの重要性などが書かれている。また、大切なことは、仕事を通じて会社から手に入れることも述べられているのだ。もちろん犯罪になるようなことはしてはいけないことは言うまでもないが、仕事のやり方やノウハウなどはそれなりの組織にいないとなかなか身に付かない。こういったものをしっかり身に着けようということである。

 もちろん会社勤めからフリーランスになるというということにはそれなりのリスクがあるだろう。会社勤めなら定年ということから逃れられないが(例外もあるが)、フリーランスには定年はない。会社勤めなら、いやな仕事もしなければならない代わりに、毎月それなりの収入が入ってくる。フリーランスなら嫌な仕事はしなくてもいい反面、自分の食い扶持は自分で稼いでいかなくてはならない。そのあたりはしっかりと自己責任で見定めないといけないのである。

 よく会社でどれだけ出世をしても、退職したらタダの人だということを聞く。しかしフリーランスとして活動をする時に、元トヨタ部長だということが役に立たなかったとは思えない。もちろんフリーランスを長く続けていると次第に元の肩書も利用できなくなるだろうが、フリーランスになりたてのころは役に立ったのではないかと思う。だからこういったことも含めて、独立できるかどうかを考えていかないといけないのだ。著者と同じようにしてもうまくいくという保証はないが、将来フリーランスとして働くことを考えている人には参考になることも多いだろう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

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おべんとうの時間

2019-07-13 09:26:13 | 書評:その他
おべんとうの時間
阿部 了(写真),阿部 直美(文)
木楽舎

 人気シリーズの「おべんとうの時間」はここから始まった。色々な人のおべんとうを紹介しようとする企画で、全日空機内誌「翼の王国」の大人気エッセイだ。しかし本企画が始まったころは、まだ「翼の王国」には連載されていなかったので、「写真集と写真展で作品を発表したい」(p40)というのが取材の常套句だったらしい。「翼の王国」に連載するようになって、かなり取材がしやすくなったようである。

 本書には大学教授、猿回しの人、カナダから来た英会話講師など、色々な人のおべんとうが紹介されている。面白かったのは群馬県の年配女性の肩書。なんと「おばあちゃん」なのだ。

 おべんとうにも色々な仕事上の工夫が反映されている。群馬県の集乳をしている男性のおべんとうは、ちょっとした合間に食べられるようにでかいおにぎり1個だ。

 大学教授の人のおべんとうは、猫の残り物がおべんとうになるらしい。家に9匹の猫がおり、彼らが残したマグロを海苔で巻いたものがおべんとうになるという。でも撮影のときはいつもよりいいマグロをおべんとうにしたようだ。

 呆れたのが、学校教師に関する話。週に1度「ご飯の日」というのができ、母親がソーセージを細かくしてご飯の上に散らしてピンク色になったおべんとうを見た担任教師が、「規則を守れないお前の親は駄目だ。」(p23)と言ったという。私から言わせると、「そんなことで文句をつけるお前の方が駄目だ!!」と思うのだがどうだろう。

 写真を見ているうちにお腹がすいてきた。でも食べると太るし、なんとも罪作りな本である(笑)。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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「スマートものづくりの普及〜地域におけるIoT活用・実践の拡がりに向けて〜」

2019-07-11 20:03:54 | セミナー、講演会他

 今日は昼から、「スマートものづくりの普及〜地域におけるIoT活用・実践の拡がりに向けて〜」という催しに出席した。これは、広島県商工労働局が主催するイノベーショントークの52回目として開催されたものだ。場所は、サテライトキャンパスひろしま。広島の人には鯉城会館と言った方が通りがいいかもしれない。

 いつも思うのだが、こういった催しに参加してもらった資料を、徹底的に分析・理解をすればその道の専門家になれるかもしれない。しかしつい他に興味がいって、思うだけでできない。でもきっとそのうちに、いつかは・・・(笑)

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ツイテル彼女

2019-07-11 09:47:23 | 書評:その他
ツイテル彼女。 コミック 1-3巻セット (電撃コミックスNEXT)
二区
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス

 実はこのツイテルの意味を最初「Luky」の意味だと思っていた。1巻のタイトルをよく見れば分かったのだが、手に取ったのが第3巻。絵柄が好みなので、つい1巻から全部買ってしまった。

 このツイテルの意味は、実は、「くっついている」という意味。ヒロインの双葉は、綺麗で、優しく強い女性なのだが、余分なものがくっついている。つまりは「ふた〇り」なのである。だから「男の娘」という訳ではない。保険証を出しているシーンがあるが、そこに書かれている性別は「女」。しかしブツは彼氏の吉田よりでかい。ちなみに、この吉田君、アラサーDTである。

 これはそんな双葉と吉田の繰り広げるラブコメ。双葉の願いは、吉田といっしょにDT喪失すること。要するに彼氏を「受け」にしちゃおうという訳だ。吉田は可愛らしい双葉にメロメロなのだが、「受け」になるのには抵抗があるようである。そして、双葉のブツは、彼氏だけでなく、女性にも色々反応して、すぐ大きくなってしまう。

 双葉と吉田の会話が何とも楽しい。脇を固める人たちもなかなか個性的で、作品を盛り上げている。あまりエロさは感じないが、その分笑える。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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よみがえる古代文書―漆に封じ込められた日本社会

2019-07-09 09:22:47 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
よみがえる古代文書―漆に封じ込められた日本社会 (岩波新書)
平川 南
岩波書店

 古代の多賀城址で見つかった皮のようなもの。実はそれは漆紙と呼ばれるもので、漆を容器に入れた際のふたとして使われたふた紙だった。漆は一度乾くとものすごく強靭になる。

<漆芸家松田権六氏のことばをかりれば、それは漆という「生き物」のせいだ。泥水中に2000年浸っていても、漆膜の表面の硬さや電気に対する絶縁力は、まったく変わらなかったという(松田権六『うるしの話』)>(p2)



 古代、紙は貴重品だったので、ふた紙に使われるものは反故紙である。そして反故紙であるということはそこに当時の何かが書かれているということだ。要するに元は何らかの文書だったということである。漆紙に書かれた文書を漆紙文書と呼ぶ。書かれている内容は、役所の公的なものだけでなく、教科書や暦まで。欠勤届や九九の書かれたものもあったという。暦には爪を切る日まで書かれていたというのだからなんとも面白い。もちろん漆にコーティングされていない部分は残っていないので、その部分に書かれていたことは推測するしかない。

 漆がいかにすごい特性を持っているものかが分かるとともに古代の様子を紐解く面白さも伝わってくる。今残っているものは、多くは書いた者が何らかの意図を持って書いたことが多い。しかし漆紙文書の場合は偶然残ったもので、そこに恣意性が潜む可能性は少ない。漆紙文書だけですべてが分かる訳ではないが、我々の古代を知る一助になるのは確かだろう。こういった地道な積み重ねが古代史の扉を開くことを願いたい。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

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数学する人生

2019-07-07 09:26:19 | 書評:その他
数学する人生 (新潮文庫)
森田 真生
新潮社

 本書は、数学の天才と言われた岡潔さんのエッセイを集めたものだ。岡さんは、奈良女子大を定年退職後に京都産業大の教授となり教養科目の「日本民族」を担当した。本書の第1章「最終講義」は、この京都産業大で行われた講義を編者の森田さんがテープから起こしたものだ。通常は最終講義と言えば、定年を迎える大学教授が通常の講義とは別に、自らの研究人生を振り返って講義するものだ。しかし、この最終講義の章は9年に及んだ講義の最初の1年の内容を纏めたものだという。そういった意味で普通の最終講義とは異なるものの、岡さんが何を考えていたかが分かるだろう。

 第二章の「学んだ日々」は彼のフランス留学時代を綴ったもの。そして、第三章の「情緒とはなにか」、第四章の「数学と人生」に続く。岡さんといえばもちろん我が国を代表する数学者なのだが、本書には、彼の数学的な業績を解説するような記述はない。すべて色々なところに発表したエッセイなのだ。

 これは知らなかったのだが、岡さんは一時広島文理科大(今の広島大学)に助教授として勤めていたという。しかし40前にここを辞職し、故郷の和歌山で数学研究と畑仕事の日々。彼の年表を眺めているとおかしなことに気が付く。広島文理大の助教授となったとき、その前に京都帝国大学の助教授だったのだ。広島文理大に行くことも岡さんがフランス留学から完全に日本に帰りつく前に決まっていた。今ならまず考えられないような人事だが、当時はそれが普通だったのだろうか。

 岡夫人のエッセイも本書に入っているが、お金のことでは色々な苦労があったらしい。しかしそれだからこそ岡さんの生き方は私たちの胸を打つのだろう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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放送大学新垣ゼミ出席

2019-07-06 22:44:11 | 放送大学関係
新しい幸福論 (岩波新書)
橘木 俊詔
岩波書店

 今日は久しぶりに、放送大学広島学習センターで月1回開催されている新垣ゼミに出席してきた。このゼミは、岩波新書の「新しい幸福論」(楠木俊詔)を読んでいくというものだ。今年度から始まっているのだが、身内に不幸があり、色々な手続きや法事などのために、今回が初めての出席となる。

 行ったついでに、10月に行われる研修旅行への参加申し込みをしてきた。たぶんこの時期は何もないだろうと思うので、参加できると思う。

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君待秋ラは透きとおる

2019-07-05 21:35:51 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
君待秋ラは透きとおる
詠坂 雄二
KADOKAWA

 

 本書は、「匿技」という一種の超能力を持った人たちの物語。タイトルの君待秋ラというのは、ヒロインの名前で、何でも透明にする「匿技」を持っている。そして彼女に頭部を透明にされると、光が旨く網膜に入らないため、目が見えなくなる。彼女には君待春トという全盲の双子の弟がおり、秋ラは彼が目が見えないのは自分のせいではないかと悩んでいる。

 そんな彼女が所属することになった「日本特別技能振興会」。そこには、「匿技」を持った「匿技士」が所属しており、君待は10年ぶりの「匿技士」ということになる。この「匿技」というのは色々なものがあり、彼女の同僚となる麻楠均などは、なんと鉄筋を生成するというなんだかよく分からないものだ。このほかに、猫に変化したり、空間を切り取ったりと色々な力を持った「匿技士」が登場する。

 この振興会の設立に関わったのは、戦後の混乱期に烈女と呼ばれた汐見とき。ところが、彼女が天寿を全うし、その遺体を狙って何者かが襲撃してくる。果たしてその正体は。

 本書の特徴としては、「匿技」に対して一応の物理学的な理屈をつけているところだろうか。いろいろ突っ込もうとすれば可能なのだが、多くのこの手の作品が問答無用で超能力や異能力を出しているものよりはいいのかもしれない。

 しかし、この作品の本質は、おそらく秋ラと春トの姉弟愛にあるのではないだろうか。色々な疑問を残しながらも、結局は収まるところに収まったという感じだろう。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

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北陸とらいあんぐる 1

2019-07-03 12:45:55 | 書評:その他
北陸とらいあんぐる 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
ちさこ
KADOKAWA

 東京にあるという設定の私立青葉女学園。全寮制の女子高だ。ここに北陸出身の3人の女の子が集まった。石川県出身の加賀ひまり、富山県出身の黒部りつ、福井出身の越前和花である。ちなみに、りつの名字だけがちょっと異質だが、理由は分からない。寮で同室になった彼女たちのお国自慢コメディが始まる。

 初めて聞いたのだが、北陸出身で「8番らーめん」を知らない人はいないらしい。いろいろと張り合っているひまりとりつだが、この8番らーめんだけは、北陸っ子のソウルフードだという。

 しかし北陸と一口に言っても、富山と福井は間に金沢があるのであまり行き来はないらしい。そういえば大学時代に同じ学生アパートに福井出身の者は2人いたが、金沢や富山の人間はいなかった。京都から見ると福井はお隣さんという感じだが、他の2県は距離的に遠い感じがするので、北陸の中でも色々な距離感があるんだろうと思う。

 実は私も北陸3県には一度だけ訪れたことがある。色々と懐かしいものも出てきたが、この漫画を読んで初めて知ったことも多い。北陸のことをもっと知りたい人には漫画を楽しみながら、知識が付くこと請負だ。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

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認知や行動に性差はあるのか: 科学的研究を批判的に読み解く

2019-07-03 09:42:15 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
認知や行動に性差はあるのか: 科学的研究を批判的に読み解く
Paula J. Caplan、Jeremy B. Caplan、(訳)森永 康子
北大路書房

 まず「性差」はあるかどうかと言えば、これは確実にあると言えるだろう。例外があるというのはもちろんだが、平均的にはということである。例えば私は生涯学習のため20年以上も放送大学に通っているが、単位認定試験では、心理学や文学系の科目には年齢関係なく女性をよく見るのに対して、理数系科目では女性はぐんと少なくなる。

 就職前の専業学生時代には、私の所属する電気系の学科には女子学生は一人もいなかった。工学部(特に物理系)というのは、圧倒的に男の世界なのだ。また、女性は、食べ物などの評価をするとき、あたかも自分が全女性の代表のように、「これは女性に優しい」というのをよく見聞きするが、男が、「これは男性に優しい」というのはあまり聞いた覚えがない。

 しかし、これが遺伝子レベルでの本質的なものなのか、それとも文化や制度などからくる後天的な刷り込みにものなのかとなると実はよく分からない。

 本書は、男性の方が高いと言われる「数学能力」、「空間能力」、女性の方が高いと言われる、「言語能力」などについて、様々な研究結果について批判的に検証したものである。本書の目的が書かれてあるところを引用してみよう。

「本書の目的は、ある事実について、本当はこういうことだと、読者のみなさんを説得しようというものではない。そうではなく、みなさんが、性別やジェンダーに関して見聞きした主張を、うまく評価するための知識や問題意識をもった人になる手助けをするというものである。我々は多くのステレオタイプにさらされている。」(p256)



 ただ、本書を読んでいくと、「『性差』はないんだ。それは色々な価値基準に潜むバイアスのせいだ」ということを言いたいのかと思ってしまう。なぜなら、各種の「性差」があるという研究結果を取り上げて、実は根拠はないんだというようなことが並んでいるからだ。だがまことしやかに言われていることについて、その根拠はなにかということについて考えることの大切さは実感できるものと思う。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

 

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