雨、16度、99%
まだ、走り始めたばかりの頃でしたから15,6年前の話です。長距離なんて走れないと思っていただけに嬉しくて、タイムウォッチ付きのGショックなど付けて走っていました。走り始めて、ピッ。終わると、ピッ。家に着くと、ご丁寧に書き留める始末です。そうすると、前日より遅いと、なぜか気になります。どうして遅くなったのかな?早い分には、気にならないのに遅くなると、一日なぜかな?と考えている有様です。レースに出るわけではありません。そんなに数字にこだわらない自分のはずでした。なんだか、縛られているようで嫌になって、ちょっと珍しいGショックは、教えていた子供にもらってもらいました。
体重を落とさなくてはいけない人が、毎日体重計に乗っても変化がなかったり、逆に増えていると、やる気をなくすと思います。それでも、体重を減らさなくてはいけない人に、体重計に乗って、記録をつけなさいというのを耳にします。糸井重里さんは、一日2回体重計に乗るだけであの体型を維持なさっているとのこと、何かで読みました。維持するのと、体重を減らすのとでは意味が違います。たった、500gという数字に、縛られるのはごめんです。体重計に乗れさえすれが体重が減るのならいざ知らず。
我が家に、血圧計がやって来たのは10年以上前のことです。シンガポールから、予定より一日遅れで戻って来た家人の荷物の中にありました。詳しい事情は忘れましたが、具合が悪くなった家人は、空港の医師に、一日飛行機を遅らせるように言われたそうです。その医師の勧めで買った物かどうかは、定かではないのですが、持ち帰ったこの血圧計を使っている家人を見たことは一度もありません。
理由を家人に尋ねたこともありません。毎日計れば、血圧が下がるものでもないし、調子が悪くなって、血圧を測れば、その数字にビックリするだけです。これまた、数字にがんじがらめにされてしまいます。この血圧計を、 定期的に使っているのはこの私です。ただ、チェックのためだけに使います。もともと低い血圧です。低くて、支障が出たこともありません。数字を見ても、何の感情もなく、血圧計をもとの場所に。糸井重里さんの体重計と同じです。
何事によらず、数字が持つ意味は大きいものがあります。受け留める側の意識の違いで、サラッと流せる数字と、思考回路をぐるぐる回りする数字があるわけです。
若い頃だと、数字にこだわるのもいいかもしれません。この年になると、数字より、それに縛られることの方が負担になります。体重なんて増えると、スカートのウェストが知らせてくれます。アバウトにものを捉えることの、大切さに気付き始めました。