腫れ、16度 福岡
福岡に帰って来ると、歳とった両親たちや実家の改築といった細々したことを片付ける合間を縫って、必ず行く所があります。私の父のお墓です。博多の真ん中、お墓掃除をしているとお寺は外は高いビルばかりです。大きなクスノキの下に墓はあります。春先はこのクスノキの落ち葉が多く、クスノキで一休みするからすや鳩の糞で墓石が汚れることもしばしばです。
父が亡くなった歳をもうすっかり上回った私です。父がガンで闘病中、まだ中学生だった私は、家で休む父のことを疎ましく感じていました。病人が家にいるとある、あの重い空気がどうも嫌いでした。そんな私の気持ちは、きっと、父は知っていたと思います。こんなこと、私もこの年になるまで人に言えませんでした。申し訳なかった、と思う気持ちがあるからでしょう、今回みたいな短い滞在中でも、お墓の門が閉まる時間の前には滑り込みます。門前の花屋さんも、社務所の人も小さい頃からの顔なじみです。
2年ほど前から体調を崩したとらさん、お寺の門をくぐると必ずとらさんを探します。今年に入って、家のことで、ひと月に一度は福岡に戻っています。それでも、衰えのひどくなったとらさんに、この次はもう会えないかもしれない、この冬を乗り切って欲しい、とか思いながらお寺をあとにします。
昨日の昼間はかなり気温が上がって、木の芽が匂う春の日でした。時間ギリギリにお墓に向かいます。私が出てくるまでは、お寺の人は門を閉めません。それを知ってるだけに、花を抱えて小走りです。走りながらとらさんの名前を呼びました。駐車場の入り口にいました。写真なんて撮ってる場合ではないのですが、パチっ。
お墓から出て来ると、もうこれ以上お寺を尋ねてくる人はいないと知っているのか、本堂の前にのびのびと休んでいました。大きな猫です。大きいだけに、お腹の落ち込みや毛艶がなくパサパサしているのがかえって目立ちます。まだ、一週間に一度、病院通いだそうです。