曇、18度、85%
栗は秋の味覚、と思い込んでいる私は、年が明けていただく栗になんだか違和感を覚えます。先日は近江八幡のはねやの栗のお菓子、今度は小布施の栗です。
小布施の栗が美味しいもの、貴重なものだと知ったのは、18で東京に出て来てからでした。大事にちいさな包みを渡された時は、なんだろうと思ったほどです。丸のままの栗がころっと入った栗の鹿の子は、微かな甘みでほっこりしています。これが、小布施の栗なのね、と今でもあの時の美味しかった記憶があります。
その小布施の栗菓子が、日本橋の三越で期間限定で売られるようになったのは、もう30年以上前の話です。11月も半ばを過ぎると、売り切れの為に店仕舞。今では考えられないことです。東京の大手のデパートの地下に行けば、日本全国のお菓子から海産物まで揃う時代になりました。いえいえ、お家にいてPCに向かってお買い物だって出来る時代です。日持ちが2日間、なんていったって、例のクール宅急便とやらで玄関先まで届けてくれます。季節の魚だって、養殖で一年中食べられます。春から初夏にかけての楽しみだったイチゴ摘み、今ではイチゴの最出荷量が多いのはクリスマスの12月だそうです。
ここ香港では、一年の半分、生の栗が市場で売られています。生の栗がなければ、真空パックの栗。これまた季節感がありません。おそらくこの栗は中国産です。そのうえ、フランスからの栗の真空パックも手に入ります。栗好きな我が家ですから、こうして年中栗が食べられることは嬉しいのですが、はたと栗が量産されているのかと不思議に思います。
小布施の栗は以前は、12月に入ると手に入りませんでした。だから、とてつもなく、美味しく感じたのでしょうか。少し高いお金を払ってでも、こうした楽しみを買おうとしました。この「くりかのこ」、 昔ながらに、自然な甘みを感じます。色も自然な栗の色です。でも、季節外れにいただく栗は、心なしか喜びが半減します。まだ、小布施の栗が貴重だと思っていたころは、お正月の栗きんとんには、明治屋のちいさな瓶詰めを使うしかありませんでした。甘いシロップ漬けのその栗は、きっとクチナシかなんかで色付けされて、明るい黄色でした。
流通、製造、保存、いろいろな要件が発達して、季節がなくなった食べ物。モグモグと栗をほうばりながら、遠くなった時代を思い出しています。