雨、23度、95%
今向かっているPGのすぐ横に、染付けの水滴があります。毎日見るとはなしに目に入って来るもの、どんな好きなものでもあまりに身近にあると、観ているのではないことに気付きます。毎日の掃除の時に横に置き、机を拭きます。手にとっているのに、毎日のお決まりの動きの中で、私の意識は水滴を水滴として観ていません。
昨年末は、賀状を書きませんでした。年が明けて、封状の表書きの時に1,2度硯を出して来たでしょうか。筆を持つといいっても、年に2度のご挨拶のとき、熨斗を書く時だけになりました。筆ペンなどという便利なものもありますが、どうも墨汁の色が好きでありません。色ばかりか、匂いも好きではありません。おかげで、ずっと硯と墨と水滴のお世話になっています。
この染付けの水滴は、2年ほど前に実家の整理の時にもらって来たものです。母が施設に入ってから2年がかりで片付けた家です。達筆だった父と母、家には幾つかの水滴がありました。コレクションというほどのものではありませんが、実際に使わずに、ガラスの扉のついた本棚の中に飾られていたのがこの水滴です。小さい頃から見馴染んだ水滴もありました。きっと、母が随分後になって求めた水滴だと思います。名も入っていますが、どこの焼き物かもどこで買い求めたのかも知りません。
実家の整理で、捨てるもの取っておくもの、この2つに整理した後、実際に手元に残したものは、ほんの僅かのものでした。時間をかけて判断することもなく、即時に決めて行きました。こんな時、兄弟のいないのが幸いです。兄弟でもいれば、いちいちお伺いを立てなくてはいけなかったでしょうから。残しておくものの中から、これまた幾つかのものを香港に持ち帰りました。以来PCのすぐ横に毎日鎮座しています。
珍しくボーッと机に向かっているとき、目に留まった水滴を取り上げてみました。コロッと持ち重みのある水滴です。よく見ると、歪みがあります。少し左の肩が落ちてるといった風情です。手捻りで作られた水滴らしく歪んでいます。水を注ぐと、後引きします。まるで欠点だらけです。使う度にこの後引きに、舌打ちする自分がいます。でも、手の中でコロコロ転がすうちに、なんだかこの水滴が自分のように思えて来ました。