曇、15度、59%
私が育った家には4カ所雨戸がありました。昔の雨戸ですから木で出来ています。今のサッシの雨戸より軽いのですが、滑りが悪かったり、戸袋から出すのに一苦労します。夏休みや日曜日などは、雨戸を開けるのは私でした。暗い部屋に、朝日が入り込むのはなんともいえず気持ちのいいものです。そして、夏の急な夕立が来ると、「真奈さん、雨戸を閉めなさい。」と母が大声を上げます。この雨戸は、座敷の雨戸のことです。
座敷は、廻り縁というL字型の縁側が付いています。つまり雨戸は二面に付いているわけです。その上、一面の雨戸の数が5枚ときています。合わせて10枚の雨戸です。雨が縁側に両側から降り込みますから、二人掛かりならまだしも、一人でしかも小さな私が雨戸を繰るのは一仕事でした。戸袋から出す時にうまくいかない、途中で動かない、焦っていますから尚更です。縁側が濡れると、あとで雑巾掛けもしなくてはなりません。
母は、私が家を出てから35年程一人でこの家に住みました。掃除も嫌い、整理整頓も出来ない、帰る度に家は荒れて行きました。座敷の縁側は、物置状態です。物置ですから、母は雨戸を開けなくなりました。それでも、雨戸部分の上には明かり取りのガラスが入っていますので、暗くはありません。陽がさし込む座敷を見たのは、もうずっとずっと前のことでした。
実家の改築で、私が主人に頼んだことは、床の間と欄間を残して欲しいということでした。実は当初、床の間も欄間も主人は壊すつもりでいました。私の言うことなどに耳を貸しません。それも頷けます。主人は結婚して以来、この家がきれいに掃除され手入れされた状態を知らないのです。廻り縁から差し込む日の光の心地よいこと、その光を透かして見える欄間のきれいさ。結局、欄間と床の間は残りました。ところが、廻り縁の北側は、雨戸一枚分を残して壁になりました。 ふたつの椅子が並ぶ後ろの白い壁が新しく作られたものです。福岡は町の北側が海、玄界灘です。冬は北から風が吹きます。幅の広い幹線道路も家の北側にあります。風を避ける、防音の為にも、壁にしたかったのでしょう。でも、廻り縁の頃のズッパリとした趣はすっかり姿を消しました。
今、私が家に帰って一番にすることは、残った雨戸を開けることから始めます。玄関を開け、仏壇の前を通りながら父母に「ただいま。」と声をかけ真っ直ぐに雨戸に向かいます。工務店の方が丁寧に高さを合わせ、ロウを縫ってくれていますので、滑りよく戸袋へ納まってくれます。この縁側からの景色も、庭木を思い切って整理しましたから、目の前を遮るものがありません。
ところが私、やっぱり無精者です。5枚のうち3枚を開けると、充分に明るくなります。そんなわけであとの2枚は開けないまま仕事にかかります。
今家には、あと3カ所雨戸が付いていますが、これらはサッシの雨戸です。サッシのレールの上を、滑らかに戸袋に入ります。枚数も2枚なのに、ちっとも面白みのない雨戸です。
雨戸のある生活なんて、もう何十年もしていません。この家に住み始めたら、私の朝一番の仕事は、全部の雨戸を開けることから始まります。朝日の入る部屋、雨戸を開けた途端に、あっと声を上げる雪の日の朝、想像しただけでも楽しい一瞬です。