チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

香港の銀行

2015年03月21日 | 香港

晴れ、20度、94%

 香港は世界的な金融の街ですが、庶民の皆さんも非常に利殖に長けていらっしゃって、株価の動きには敏感です。ふた昔前までは、道路に立って見回せば銀行が3,4軒は見えました。しかも、どの銀行も行列を作っていました。今では、中国系の銀行が参入して来ていますが、実際の銀行の数は、一番多い時の半分にまで減っているそうです。

 銀行で日本との大きな違いは、印鑑がいらないこと。要するにサインです。印鑑を持たなくても、お金を動かすことが出来ます。もちろん、ATMは日本と同じくらい普及しています。銀行特有の細長い紙にいくらと書いて、サインをする、至って簡単ですが、最近ではここにも端末機器が登場。 口頭でいくら入金とかいくら降ろしますというと、この画面に、ボールペンのようなスタイラスでサインをします。スタイラスを使ったことがある人はお分かりでしょうが、なんとも心もとない字が書けます。自分のサインとは随分違って見えるわけです。これなら別の人が書いても分からないと思うほどです。このサインというのも、何十年も同じ私が書いているのに、少しずつ変化しているらしく、一度、カウンターのお姉さんに、「あなたのサインはこうですよ。」とPCの画面を見せられました。そこには銀行に口座を作った当初の今とはちょっと違うサインが見えました。サインって安心できないなあと思います。

 あと一つ、私はここ20年、銀行の通帳を持っていません。通帳も印鑑もありません。ATMでも使えるあの小さなカードとサインだけ。月々の使用明細は、郵送されて来ていましたが、それすら今ではメールにアタッチされてきます。香港では、小切手を切ることがままあります。当座預金の残額の確認だけは怠りません。ほんの数¢足らないだけで大きな罰金が取られます。一度痛い目に会っています。

 ウィークデイのお昼時、長い行列ができるのは今でも同じです。それでも随分とサービスが良くなりました。銀行によっても違いますが、総合口座を持っていると、並ばずに済みます。待合室に入るには、待ち番号札をもらいます。 革張りの椅子に腰掛け、株価のみのニュースが流れる中順番を待ちます。ここ2年ほどは、例のザーッと豆を碾いてコーヒーを入れるマシーンが置かれています。 碾き立てコーヒーを飲みながら待ちます。香港の人たちは株ばかりか、海外の投資ファンドにも興味がありますから、一人一人にかかる時間の長いこと。一度私もお勧めにのって、オーストラリアの何かに投資しました。はて、大して儲かった覚えがありません。以来、ただ、預ける、降ろすのみです。

 月に2度は必ず行く銀行、窓口の顔見知りのお姉さんたちも随分偉くなって、窓口ではなく奥の方で仕事をしています。それでも私に気が付くと手を振ってくれます。私も手を振り返しますが、こんなこと仕事中にしてていいのかな?

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車検 香港

2015年03月20日 | 香港

ガス、21度、95%

 3月に入ると、毎年のことですが車検の為の保険の更新など、小さな用事が重なります。まあ、保険が調えば車を検査に出して終わりです。一年は無罪放免。

 保険の書類が来ると、次の朝には車検に車を持って行きます。夕方になれば出来上がり。今年も気楽に、車を朝一、いつも車検を頼む店に持って行くと、一ヶ月先まで予約で一杯だといいます。一番早くて、4月14日、私の車輛ライセンスは3月26日で切れます。罰金なんて払いたくはない。そこで、随分と駄々を捏ねてみました。だって長い付き合いです。私の話を聞いてくれるのは、30代のリンダさん、4歳の男の子のお母さんですが、彼女が結婚する前から車検でお世話になってます。駄駄を捏ねると、「分かった、どうにかしてあげる。」これよね、と喜ぶ私です。ところがいくら待っても、連絡がやって来ません。心配だから、もう一度念を押しました。香港島中の車検場、3月一杯空きがないそうです。で、今、九龍サイドを当たっているから、待ってなさいとおっしゃいます。何でそんなに込んでるのか尋ねると、やたらにプライベートカーが増えたのだそうです。確かに何処に行っても、タクシーに負けず劣らず数が多い香港の車です。全部、外車。だって、香港で造っている車なんてありません。新車が発表されると2、3週間もすればその車が走っているほど、皆さん敏感に反応します。当節流行は、モデルS。昔はベンツがタクシーだった香港です。未だにベンツの大名行列。モモさんが散歩の途中で伸びてしまった時は、道行く車を観察します。まるで、車の品評会よろしく世界中の名車が走っています。確かに、台数が増えているに違いありません。

 リンダさんから連絡がありました。九龍サイドでどうにか隙間を見つけてくれたようです。合間にするから、一日では無理よ、とおっしゃいます。いいですとも、というわけで、3日掛けて車検をしてもらいました。

 今年で3年目に入る、BMWのZ4。坂また坂を上がって帰宅する私のいい相棒になってくれています。グーングーンと力強く坂を上がってくれます。前の、マツダのロードスターも別れ際に泣くほど好きな車でした。いえ、今も大好きです。小さくて軽くて、私にはちょうどのサイズでした。ほんの数ヶ月前、はたと気づいたのですが、このZ4、女性が運転しているのを見たことがありません。ドライバーシートに座っているのは男性ばかり。同じような2シーターの車でも、ポルシェやベンツのCLK,SLKなどは女性ドライバーが多い車です。そして、女性が運転していても違和感無く見ることが出来ます。初めて、数日前に女性が運転するZ4を見ました。自分が運転してる姿なんて見えないので分からないのですが、どう見ても女性が運転する車にしては堅く感じます。

 運転がし辛い、難しいなどいわれますが、オートマですから、どれも変わらないはずです。運転面で堅いのではなく、見た目です。シートはぐっとのめり込むほど低く、もしかしたら、私など目から上が出ているだけかもしれません。色々思いを巡らしながら、昨日は、お迎えに上がりました。

 家を出る前、30分近くも探し物に時間を費やしてしまいました。何処に置いたのかな?いつも決まった場所に戻してるはずなのに、それに値段を思い出しました。確か日本円で3万以上するからねと、きつく教えられた物ですから、探すのにも力がはいります。はたと、そうか!家には無いはずです。探し物は、これ、 車の鍵。お兄さんに渡して来たんだわ。

 お迎えに上がると、ピカピカに真新しい洗車機で洗われた後でした。あら、ベッピンになってる。そこで、シートの調整をします。頭がフロントガラスの上に出るくらいにシートをあげてみました。車に似合う、似合わないなんて無いかもしれません。でも、端から見て珍奇なのはいやです。

 ああ、これで、一年また安全に運転しましょう。そうそう、香港の車輛ライセンスと日本のそれとで大きく違うこと、香港では車庫証明が不要です。

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香港インターコンチネンタルホテル 欣圖軒

2015年03月19日 | 香港

ガス、22度、97%

 中華料理、中華圏以外の人から見れば同じような食べ物ですが、何分にも大きな国、中国、その上、世界中に華僑までお住まいです。中華料理も地方地方の料理があります。例えば、ここ香港、広東ですから広東料理。どれを選ぶかは人それぞれですが、中華四大料理に一つです。広州は古くから租界があったほど、西洋とのつながりが深い土地です。海に近く海鮮、西洋の影響を受けてミルクやトマトを使った料理があるのが特徴です。中国の南ですから、米文化。北の粉文化とは、大きく違います。もちろん、日本でもそうですが、今や北や南の違いは無くなって来ています。南北に長い日本だって、北の北海道の食べ物を南の九州の人が食べる時代です。

 香港、観光都市でもありますから、繁華街に立って見回せば大きな中華料理の店の看板がすぐに目に入ります。大きな中華レストランは、基本広東料理です。ところがどうしたことか、最近では、フュージョン流行で、昔からある広東料理はアレンジされ始めました。それはそれなりに初めの頃は楽しかったのですが、やっぱり、これぞ広東料理といわれる物が恋しくなります。

 九龍サイド、ビクトリア湾に沿ってカーブを描いて建つインターコンチネンタルホテル。ここには広東料理の老舗、「欣圖軒」があります。ロビーフロアーからは半地下、ビクトリア湾を行き来する船が目の高さで見られるいいレストランです。

  30年近く前からちっとも変わっていない、翡翠の前採用のプレートマット。このマットを見ただけで、「欣圖軒」と思い出される方も多いはずです。オーダーの後さりげなくこの翡翠のマットにのせられた突き出し。 恥ずかしいことに、お腹ペコペコの私は一口で味わう暇も無く食べてしまいました。素敵なサービングだけが記憶に残っています。

 前菜は、クラゲがメインのサラダです。 大きなプレートがサーブされ、横のワゴンで給仕の人がそれぞれの皿に取り分けてくれます。このクラゲ、あの細切りのフニャフニャではありません。コロンと塊で、その歯ごたえ、その甘み。やっと、私のお腹も落ち着いてきました。

 こんな土地に長く生活し、お客事も多いので、有名な生きたエビの蒸し物やフカひれのスープはもう飽きたなどと思わず口をつく私ですが、アワビとナマコには未だにご執心です。ナマコ一匹のこの一皿。 ナマコの横には小さき大根にのせられた大きな貝柱、チンゲンサイはほど良い温かさと甘みを残しています。お味はもちろん、一皿の中でハーモーニーが流れているようです。

 この次にホワイトアスパラガスと編み笠だけの炒めものがでてきたにも関わらず、またしても、そそくさと自分のお腹に詰め込んでしまいました。周りは静かな時間が流れています。ゆっくりとした時間の流れの中で食事をする贅沢なのですが、いけません、私はお腹を一杯にすることに集中しています。この炒めもの、品のいい味、しかも何のオイルで炒めたのかくどくなく美味でした。

  最後にでて来たのが、クリスピーナ揚げ物。湯葉でタロイモを包んであげた物です。湯葉でタロイモを包んであげた物は、生粋の広東料理、そこに鴨のローストされた肉と薄くスライスされたトリフが芯に巻かれています。少し濃厚なタレを付けていただくのだそうですが、私はパス。そのままの美味しさを堪能しました。

 やっとお腹が落ち着いて、ホッと。そこへ、 注文もしないのにこんな物が。食後のサービスです。この飾り棚は、普通木製で地元の方の家の窓際に飾り棚として使われています。そこにスイートをのせてのサービングです。湯葉の巻き物でお腹が一杯なのですが、口卑しく片端から味見をはじめました。残念なことにこのスイートあんまり美味しくありません。 残骸です。いえ、食い散らかしです。どれもこれも一口食べては、そのまんま。いやはや、私らしい。

 最後に、 お茶をお土産に頂きました。ティーバックなどではありません。ジャスミンの上等なお茶っ葉です。頗る上等なワインに静かな時間の流れ、地元の高級な料理屋さんでもここまでの静かな空間は期待できません。流石に、ホテルの中の老舗です。

 香港、食べ物に関しては、和洋中、しかもピンからキリまで揃っています。香港におみえの節は、どうかこのピンもキリもお楽しみください。

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ショートケーキ

2015年03月18日 | 菓子

ガス、21度、97%

 フランスのお菓子でフレジエというイチゴのケーキがあります。柔らかなスポンジのショートケーキと見るからに似ているのですが、スポンジにはたっぷりのアーモントプードルが入っていて、クリームはカスタードと生クリームを合わせたムスリーヌクリーム、飾りはピンクやグリーンに色付けされたマジパンです。しかも、形は丸ではなくトランシュ型、長方形です。柔らかなスポンジのショートケーキは、どうやら日本のお菓子らしいのです。

 自分のためにショートケーキとフレジエの中間のようなケーキを作りました。 柔らかなスポンジは、いくつになっても何処にずっと眠っている郷愁のようなものを感じます。イチゴの赤い色はラズベリーの赤より、優しい女の子を思わせます。真っ白なホイップクリームとこのイチゴの赤い色だけでも充分ですが、春らしく緑を添えました。この緑、ピスタッチオを細かくした物です。クリームとイチゴ、スポンジのミックスされた味が口に拡がるとき、このピスタッチオがちょっと濃厚な香りを発してくれます。クリームや果物を挟むケーキは少ししっかりと焼き上げるようにといわれます。でも、そこはお家で食べるケーキです。少々の形崩れより、柔らかな口溶けの良いスポンジが嬉しい。

 いつものように、 この方も充分に召し上がってくれました。

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おかげさまで58歳の誕生日を迎えることが出来ました。

2015年03月17日 | 日々のこと

ガス、20度、95%

 今日が私にとって、私だけの元旦です。おかげさまで、58歳を迎えることが出来ました。

 普通に元気、少し心配事もあります、少し悲しいこともあります、孫の顔を見れば自然に顔がほころんで、チョイチョイ顔を出す幸せ。主人も普通に元気です。モモさんも普通に元気です。ああ、これ以上のことは必要ありません。

 38年もこんな私の側に居てくれた主人は、たいそう大変だったと思います。今でも忘れませんが、38年前、結婚した当初、我が家はたった8000円しかお金がありませんでした。8000円から始まった我が家です。その頃のことを懐かしく思い出します。普通のご家庭同様にいろんなことがありました。そして、この58歳の誕生日を感謝と満ち足りた気持ちで迎えています。主人に始まり、たくさんのお世話になった方達、知った人もいない土地で30年近く生活をして来て手を振って挨拶をしてくれる人たち、皆さんにありがとう。

 元旦、普通は一月一日、昔は皆さん晴れ着を着たり、新しい物も身につける習慣がありました。晴れ着も着なくなった昨今の元旦、小さいことですが下着と台所のおふきんだけは、一月一日に新しい物に取り替えます。

 今日は私だけの元旦、待ちに待って新しい物をおろしました。だいたい2年に一度新調するジョギングシューズです。スポーツウェアは靴も着る物も年々進化しています。色も奇抜な色が主流です。紺の上下のジャージなんていうのは、ふた時代以上前のことになりました。3月におろすシューズを探し始めるのは12月という気の早さ、何度もあちこちのスポーツ用品を売る店に出向きます。ずっとリーボックです。たった一度ナイキに代えたのですが、足の形が合いません。そんなに履かないうちにリーボックに戻りました。シューズを新調する度、今度こそ別のメーカーの靴をと思ってはみるのですが、足に負担や怪我が来るのを恐れるばかりに、やっぱりリーボックに落ち着きました。 

 白っぽいシューズなんて見当たりません。このシューズ、底は明るいピンクです。シューレースは、この黄色と換えにピンクが付いています。白いシューズでなくてもいいのですが、早朝に走りますので、反射してくれる物が付いていることが必須です。今までの靴と並べるとひと回り小さく見えます。底など、2,3センチ低く作られています。クッション性が心配です。無理がないように少しずつ走り続けたい、そう思っていますから、兎にも角にも慎重に選びます。

 先程走ってきました。いやはや軽い靴です。靴底が薄い分、足の裏は道の凹凸を感じます。今までのクッション性がどうのこうのいう靴ではなく、素足で走ることを意識したシューズです。主人が、膝に痛みがでないか心配しています。素足に近い状態で走るというのは、土の道、自然の道に適しているわけで、香港のような完全舗装の道では、少し無理かしらとも思います。まあ、今日が初日、無理だと思えばそれなりに処置を施してやるつもりです。

 新しくおろしたもので迎えた58歳の朝。外は例年通り、ガスで真っ白です。59歳に向けて、いい一年を過ごすことが出来ますように、と祈ります。

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Apple Watchのアイコン

2015年03月16日 | 日々のこと

ガス、20度、97%

 先週の金曜日のことです。朝一番にiPhoneを開けると、「新しいアプリのダウンロードが出来ます。」と書かれてます。「すぐにダウンロード」にして放っておきました。しばらくして開けてみると、 こんな画面になっています。時折、何が新しくなったか気付かぬままに使っていることがあります。一番いい例が「ヘルスケア」のアイコン。これにはさっぱり気付きませんでした。「ヘルスケア」は万歩計の代わりにもなりますが、リンクされているアプリが少ないせいか、実用的ではありません。何処が新しくなったかを教えてくれたらいいのにと思うこと屢々です。さて、今回は何処が新しくなったのかしら?とよく画面をみます。上から5列目の左端、なんとも見え辛いアイコンが加わっていました。「Apple Watch」と書かれています。そういえば先週AppleWatchの発売日が決まったようなことを言っていましたね。

 どうもデジタルの時計が好きになれません。Gショックが出た頃は、喜んで「イルカとクジラを守る会」の特別バージョンを付けていました。街用ではありません。あくまでもスポーツの時のみ。そのGショック以来、デジタルの腕時計は遠慮しています。ですから、AppleWatchにもあまり興味を持たずに居ました。

 えっ、もう発売されたのかとアイコンを開けてみたら、見出し写真。ペアリングが出来ますと書いてありますが、発売は4月の24日だそうです。なんだ意味の無いアイコンだわと思います。バスに乗って出かける時は、つい、iPhoneを開けてみます。AppleWatchって何が出来るのかしら? でアイコンをクリックします。ご丁寧に昼の挨拶に変わっています。ふむふむ、なかなか面白そうね。でも、メタリックな時計はいやです。

 夜になって、 またしてもアイコンをクリックしてしまいました。夜のご挨拶に変わっています。4月24日の発売前に店頭に並ぶのは4月10日、予約の開始もその日からだそうです。夜になってアイコンをクリックしたのは、やっぱり、興味を持ち始めたからに違いありません。

 4月10日までまだ3週間近くあります。10日になったら、AppleShopへ行ってみようと思います。つまり、まんまとAppleの誘導に引っかかりそうな私です。

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大声で泣くこと

2015年03月15日 | 日々のこと

ガス、19度、95%

 昨日のこと、土曜日の夕方のある一家の一コマ。女の子一人の3人家族、どうやらお父さんと女の子はけんかをしたらしく、女の子が大声で泣いています。そこへ、お母さんが「どうして泣いてるの?」とやって来ます。その後しばらくして、この家族、お母さんが調えてくれた夕飯のテーブルを囲んでいました。良かった良かった。どんな家庭にもある光景です。

 夜中にふと目が覚めた私、数時間前のこの家族のことを思い出していました。ちょうど、私が育った家庭と同じ家族構成です。父が逝った12歳までは親子3人家族。ところが、母に叱られて部屋で泣いていても、父に叱られて部屋で泣いていても、両親どちらも私を宥めに来てはくれませんでした。声をあげて泣く子ではありませんでした。でも、部屋でポロリポロリと泣いていることぐらい、大人なら分かるはずです。「どうしたの?」という言葉かけも、肩に手を置いて黙って見守ってくれたこともありませんでした。そのことに気が付いたには、なんとついさっきのことです。「ご飯ですよ。」と声をかけられれば、目の周りを赤くして食卓に付いていたに違いありません。

 父が逝って、家を出るまでの6年間は母と二人です。当然、クッションとなる人はいません。ただひたすら、一人でシクシクと泣きます。息を殺して泣くので、鼻は詰まります。次の日起きると、目は視界が狭くなるほどに腫れています。学校に行くのも恥ずかしいと思ったほどでした。

 泣くのも、怒るのも、なかなか体力を消耗します。体中を熱いものが駆け抜けるほど怒ること、一旦引きかけた感情が揺れ戻って来て、いつまでも涙が止まらずに泣くこと、一体、今までどれだけ体験して来たでしょう。50を前にする頃から、瞼が腫れて起きて来ることも、体中が熱くなるほど怒ることも無くなりました。

 この20年は、主人と二人暮らしです。泣く時は、台所か布団の中。やはり、誰も緩衝に入ってくれる人などいません。自分の心をヨシヨシしてやることが出来るのは、私だけ。挙げ句に、泣くことも殆ど無くなりました。

 怒らない、泣かない、じゃあ一体、今の私の感情を一番揺り動かすものは何かしらと考えます。ありがたいなあと幸せだなあ、のふたつの気持ちが最近では一番多く感じます。もちろん、いやだわ、嫌いだわもありますが、大したことではありません。朝いつものように起きて来て、ありがたいなあ。自分が調えた食事をおいしく食べて、幸せだな。

 最近泣くのは嬉しいとき。嬉しい話を聞くと、涙がポロリ。お世話になった方に頭を下げながら、涙がポロリ。

もう一つ、笑い過ぎて目頭に涙が。なんだかこう書くと極楽とんぼのようです。

 人それぞれ置かれた立場や環境に順応すべく、心も体も適応します。私のような心持ち、端から見ると強いの一言ですが、自分なりに扱い易い自分になって来てくれたと思います。

 あのご家庭の女の子のように、大声で泣くことが出来たら、この私も少しは違った人生を歩んでいたかもしれません。

 夜中に目が覚めて、こんなことを考えていました。

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 おはようございます。さくらぐみ、モモです。

2015年03月14日 | もも

曇り、18度、87%

 昨日、昼下がり、大きな荷物が日本からやって来ました。予期せぬ贈り物です。最近のモモさん、郵便屋さんのピンポンにも気付かずお休みです。郵便屋さんが気遣ってくれるほど重たい荷物、開けると一番上に、黄色い幼稚園バックが付いたスモックがのっています。添えられたお手紙には、「一緒に幼稚園に行きましょう。」とお誘いの言葉です。

 昨年末あたりから、日本のパグさんの中でこの幼稚園のスモックが流行っていました。スモックって、裾が少し開いていて、男にも女の子にも似合います。ちょっとオデブな体型のパグさんたちも、みんな可愛く着こなしています。なにぶんにも、お洋服を持たないモモさんです。主人がオーストラリアから買って来てくれた重いろう引きのコート、私が昨年編んだベストだけ。そのベストだって、この冬は12月に2回ほど着ただけです。雨でも平気で濡れて歩くモモさん、コートなんて滅多に着ません。それに、香港、もうすぐ暑いムシムシの長い夏がやって来ます。

 「モモさん、お洋服頂いたよ。』声をかけても、薄目を開けて、またしても枕にガクッ。 まあ、散歩の時間になれば起きるでしょう。でも、ちょっと着せてみたいので、寝てるモモさんにスモックを着せてみました。あら、似合うじゃない。お手伝いさんと二人、モモが早く目を覚まさないかと、ワクワクです。さくらぐみの名札に、寝てる上から名前を書きました。

  このように、自分の枕にしがみついて寝ています。モモさんが9ヶ月で我が家にやって来た時は、この枕の上にすっぽり納まって、ベット代わりでした。だから今でもこの枕が大好きです。夕方、お手伝いさんが帰る頃には必ず起きてきます。スモックを着たまま、2時間半も寝ていました。

 起きて来たモモさん、何やら妙な顔をしています。服なんて着て家にいたことがありません。スモックを着てるのすら気付いていないようです。

 にしても、モモさん幼稚園に行けるかしら?寝てばかりですよね。さくらぐみのお友達、モモさんはお遊戯もゲームもしないで寝ていると思います。お弁当の時間には起きてきますから、その時はよろしくね。

 黄色いバックには、キャラ弁と小さいネズミちゃんでも入れてあげましょうか。

 おはようございます。さくらぐみ、モモです。

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ピリピリクッキー 抹茶のクッキー

2015年03月13日 | 菓子

曇り、16度、77%

 先日から、七味唐辛子について色々考えることがありました。とにかく、大好きな七味ですが、作るお店によって味も香りも違ってきます。そんなことを考えるうちに、唐辛子のクッキーを作りたくなりました。その上、年末以来、抹茶の洋菓子を夢見ている私は、ここで、抹茶のクッキーも一つレシピに加える事にしました。

 唐辛子を食べればピリピリします。だからピリピリクッキーなのですが、実は、このクッキーを見て思い浮かべたのは「piripiri」ポルトガル語です。七味、七味と騒いでおきながら、クッキーを見た途端に久しぶりにポルトガル語を思い出しました。「piripiri」ピリピリと読んで、唐辛子のことです。ポルトガル人が世界中に唐辛子を広めたといいますが、私たちが擬声語に使っているピリピリはどうもこのポルトガル語が元祖のようです。

 さて、ピリピリクッキー、七味を使うつもりでしたが、七味には、唐辛子以外に色々入っています。きれいな色を出したくて、一味を使いました。一味とアーモンドのダイスを混ぜて作ったクッキーです。クッキーはバターの美味しさが一番肝心です。さて、このバターと唐辛子の相性はどうでしょう。焼き上がる前に、オーブンから唐辛子が匂ってきます。思ったような赤っぽい色が出てきません。一味をもう少し入れるべきだったのかな、と不安に思います。クッキーは焼きたてを食べずに、最低でも一晩はおきます。ピリピリクッキー、一口食べると、あれ、唐辛子の味なんかしないじゃない、と思っていると、じわじわと、舌先にピリピリが拡がってきました。でもそこは、バターとアーモンドが微妙に抑えを利かしてくれています。辛いものが好きな方はお分かり頂けると思いますが、辛さというのも喉元を過ぎて辛いと思うもの、初めからピリピリしているもの様々です。このクッキー、ピリピリは口の中だけで治まりました。なかなか乙なお味のクッキーに仕上がりました。

 さて、抹茶のクッキーは、年末に頂いたヨックモックのWA BI SAという和風クッキーを目指したかったのですが、和三盆を使ったそのクッキーのような口溶けの良さは望めません。抹茶はミルクとも、クリームとも相性がいいので、バターにだって合うはずです。かなりしっかりと色も付けたかったので、抹茶は多めに使います。アクセントに黒胡麻。こちらも焼いている内から、抹茶の香りが台所に漂います。この焼いている時の香りは、作っている人にしか味わうことが出来ないものです。作る人へのご褒美です。ヨックモックのクッキーのようなホロッと崩れるようなクッキーではありませんが、抹茶のほろ苦さが口に広がり黒胡麻がその横ではじけてくれます。白胡麻にするかで随分迷いましたが、黒胡麻で正解です。

 モモさんにも少しあげます。だから我が家のクッキーは、ココアやチョコレートが使えません。オーソドックスなクッキーに少し手を加えて楽しみます。

 

 

 

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木の記憶

2015年03月12日 | 日々のこと

小雨、15度、86%

 あの大きな大きな津波がやって来て、たくさんの生き物の命を奪って行って、4年が経ちました。陸前高田市に一本だけ残った松の木も、根が枯れて死んでしまい、今では人工処置が施され、人工の葉っぱを付けてあの場所に立っているそうです。震災後ポツンと真っ直ぐに佇むあの松の姿に、人はどれほどの思いを抱いたことでしょう。福島でも1000年といわれる三春の滝桜は、季節を違わず咲き誇りました。あの桜を見上げる人たちの胸の内には、様々な思いがあったに違いありません。そして、人は時間が経ってもその木を心の何処かに思い留めていると思います。幸福な木たちです。

 香港には、町中に大きなバニアンツリーが至る所に見られます。その根っこが張り出した姿は、人の目を引かずにはおきません。この蒸し暑い香港で、夏になるとこのバニアンツリーの木陰を歩くのは、体も心もホッとするひとときです。スコールが来れば、大きな木の下で雨宿り。どれだけの人が私のようにこのバニアンツリーのお世話になっていることやら。

 去年の秋口のことでした。とても痛ましい事故が起きました。しかも、我が家から歩いて5分ほどの所での事故でした。もうすぐ臨月というお母さんが、病院に行くためにミニバスを待っていたそうです。彼女が立っていたその上には斜面にさほど大きくないバニアンツリーが立っていました。雨が降った後でもありません、大風が吹いていたわけでもありません。きっと、老朽化した木だったのでしょうか、バスを待つお母さんの上に木は倒れて来たそうです。お母さんも、お腹の赤ちゃんも亡くなりました。

 それ以来、我が家の周りでは、危険と思われる木は検査され、どんどん切り倒されて行きます。香港島の北側斜面の一帯です。岩盤質の香港の地質は、雨が降っても地面にしみ込むことなく流れます。確かに根をしっかり張っていない木は倒れ易いと思います。ましてや、人の命に関わることです。それは充分に理解しているつもりですが、チェーンソーの音が何処からともなく聞こえると、妙に不安な気持ちになります。

 この数ヶ月で、この一帯、何本の木が切られたことでしょうか。ある時、ふと気付きます。あら?ここには木があったはずなのに。道沿いの木を切ると、すぐさま石が敷き詰められます。その木のためにあったような花壇には、すぐさま背の低い木が植えられます。でも、長く長くそこにあった木の余韻が未だに残っています。道を渡ろうと道路の左右を見ているとき、いつも背中に感じていた木の温もりがありません。振り返ると、低木がきれいに植わっています。ここにあった木は白蘭でした。夏の盛りにここで道を渡る時には、背中から優しい甘い香りを注いでいてくれましたっけ。

 木を見上げながら歩いている人なんて少ない香港です。皆さん忙しい。私のように、あそこの木が無くなったなんて呟く人もいません。木がそこにあったことも、木が無くなったことも覚えられていない木は沢山あります。

 陸前高田の一本松、福島の三春滝の桜のように、記憶に残って行く木は幸せ者です。名の無い木の記憶をせめても私の胸の中で留めてやりたいと思います。でも、一年もしたら、こんな私でも忘れてしまうかもしれません。

 

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