チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

モモさんの寝るところ

2016年01月21日 | もも

雨、15度、96%

 モモさんが我が家にやって来て以来、モモさん、私が行くところは何処にでも付いて来ます。お手洗いもお風呂場も。子犬ですから寂しいのかと思っていました。台所に立っている間は常に足元にいます。火も使う、刃物も使う台所で足元からじっと見上げています。おこぼれを頂きたいという気持ちでしょうが、常に一緒です。

 主人が休みで家にいる時は、じっと座っている主人の膝に居ますが、私と主人、両方が見える場所に寝そべっていることもあります。ふたりの動きにアンテナを張っています。これらは昼間の話です。

 夜は小さい頃はずっと私と一緒に寝ていましたが、大きくなると主人のベットへも夜中お邪魔しています。特に夏は、広い主人のベットに行くことが多いようです。一緒に寝るといっても夏と冬とではモモさんのいる場所が大違い。夏は足元や頭の上、身体の一部を何処か私にくっつけています。冬は寒くなると、お布団の中にいれてくれと肩口を左前足でかいて催促します。お布団を明けてやると、中にズンズン入って行って、Uターンしてなんと足と足の間に入ります。つまり股間です。Uターンしていますから、布団を覗き込むとモモさんの顔は私の身体のど真ん中、ここに寝てますと目が合います。布団に潜った時に足を閉じていると、これまた左前足で足を開けろと催促します。こんな変なところで寝るのはモモさんだけかと思っていました。

 モモさんも私もお布団に入るとすぐに寝入ります。それで、夜中を過ぎた頃ふと目を醒すと同じ体勢で寝ています。私の足の付け根はこわばったまま、足を曲げたり閉じたり出来ません。ちょうどの場所で、グーグーといびきをかきながらモモさん熟睡です。当然朝起きると、私の足はカチカチ。この寝姿はお見せ出来ません。

 最近FBなどでパグを見ていると、あれまあ、モモさんだけでなく股間で寝る犬達がいます。なんだか一安心しました。犬たちは生まれたての赤ん坊の頃はお母さんのお腹の辺で兄弟揃って寝ています。股間で寝るのはもしかしたらそんな感覚があるのかもしれません。

 昼間ベットでひっくり返って本を読む私の右腕には、 常にこうしてあごをのせて寝ています。 見辛いですが、椅子の背もたれに顎を置いたまま寝ています。出かける前の写真です。1時間ほどして帰ってもこのままで寝ていました。

 歳をとって寝る時間が長くなりました。私が帰って来ても気付かずに眠り続けています。モモさんの寝顔を見ることが増えました。ゆっくり安心して寝ている様子にホッとします。

 見出し写真は昨日の朝、雨風が強いのでお散歩の用意をしたまま、出かけることが出来ずにいました。椅子からテーブルに上がり、リーシュとお散歩バックの上にふてて横になっています。しばらくするとこのまま寝ていました。

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窓辺の鳥達

2016年01月20日 | 日々のこと

雨、16度、85%

 香港この週末からは10度を切るそうです。素人気象家が雪が降るとまで言っています。香港で10度を切ると、老人や路上生活者の死者が出ます。寒さには滅法弱い香港人です。

 我が家の窓辺にくる鳥達も寒くなると頻繁にやって来ます。自然の木の実もなくなりますし、エサを投げ与えていた人たちも寒さで外に出なくなるからでしょう。朝一番にやって来るのはシロガシラ、つがいでやって来ます。陽が上るか上らないか、声もたてずにそっと家の中を覗き込んでいます。次にやって来るのが鳩。この鳩は一日中、我が家の出窓の外に待機しています。 しかも寒いせいか、秋になって空き家になった植木鉢にすっぽりと入った状態で、ほかの鳩達が来ると牽制します。

 きれいな声でエサをくださいと鳴くのが、コウラン。見出し写真のつがいです。見た目も頭の羽が立っていて頬には小さな赤い羽が混ざっていて愛らしい。一羽でいる時にエサを与えるとつがいの相方を必ず呼びます。仲睦まじいコウランです。そして、小さな小さなスズメ達、みんなのおこぼれを邪魔にならないようについばんでいます。

 総勢、鳩四羽、コウランつがいで2組と1羽、シロガシラのつがい、スズメは数が分かりません。子育ての時期と冬場は私も気に掛けて多くエサをあげています。私が焼いたパンの端切れぐらいではもうたりません。手元にあげるものがなくなると、ナッツやケーキの切れ端もあげます。ケーキがお好きなようで、ケーキのときは取り合いです。鳩が四羽揃ってけんかをするときは、荒ましい。その上うるさくて敵いません。

 家に帰って来ると、窓辺に鳥達がこうして私を待っていてくれます。買い物をテーブルの上に置いたまま、まずは、鳥さん達お待ちどうさまとパンをホイホイ。元気に寒さを乗り切って子育ての春を迎えてください。

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タクシーの運転手さんの一言

2016年01月19日 | 日々のこと

曇り、15度、81%

 人からもらった言葉で、それからの私の生きて行く上での指針になった言葉が幾つかあります。そのひとつが、40年近くも前にタクシーの運転手さんからもらった言葉です。

 40年近く前、まだ私二十歳になっていませんでした。10代の終わりごろ、家に帰るために福岡の市内でタクシーに乗りました。家まで20分ほどです。タクシーの運転手さんとたわいもない話をしました。何を話したかは忘れてしまいした。家が近くなって、「2つ目の信号を左に上がってすぐです。」と私が言うと、「いやあ、あんたを乗せた時、嫌な女だと思ったけど、見た目と違ったねえ。」とおっしゃいます。

 そのタクシーの運転手さんの言葉をタクシーを降りたときから、今日までずっと心に刻み付けています。少なからず、ショックでした。「嫌な女」。ところが、確かに私のあの頃は「嫌な女」でした。「嫌な女」に見える人間でした。タクシーの運転手さんですから、沢山の人を見て来ているはずです。そんな職業感を持った人から、「嫌な女」と言われた事は、確かな事実です。60歳近くなった今なら、人間の垢も付けて少々「嫌な女」と言われても仕方ありませんが、まだ20歳前です。せめて、見た目だけでも「嫌な女」と思われないようにしないとと思います。

 年齢には関係なく、その人の人となりは外面に滲み出てしまいます。あの頃は、確かに嫌な人間、「嫌な女」でした。そう見えてるよ、と教えてくれたあのタクシーのおじさんに感謝しています。あれから、せめて見た目だけでもと努力して来たつもりです。

 親に言われたこと、先生に言われたこと、そんな言葉よりこのタクシーの運転手さんの一言は私に一生の指針を与えてくれました。

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ハーパーリー 「GO SET A WATCHMAN」

2016年01月18日 | 

晴れ、12度、76%

 80歳を過ぎたハーパーリーが50数年ぶりに2冊目の本を出したと知ったのは昨年の秋のことでした。ハーパーリー、「アラバマ物語」(原題;(TO KILL A MOCKINGABIRD)の作者です。アラバマ物語、映画ではグレゴリーペックが主演し、原作はピュリーッツアー賞をとった作品ですが、1960年刊行された「アラバマ物語」の原作も日本語訳もよんだことがありません。映画の「アラバマ物語」ですらリバイバルでテレビで観たような気がする程度です。ただ、80を過ぎた作者がどんな本を書いたのかの興味で手に取った本でした。

 主人公のジーンルイスは、「アラバマ物語」のスカウトの20年後の姿です。南部アラバマの生まれ故郷の小さな町に、ニューヨークからジーンが帰って来るところから話は始まります。話はアラバマ物語より20年後の1950年代。ジーンの父弁護士のアティカス(映画ではグレゴリーペックが演じています。)人道主義者。当時のアメリカ南部は黒人の人権が問われていました。尊敬するその父親が、白人至上主義団体の会合に出席していることを知ったジーンが父親に対して懐疑心を持ち故郷を捨てようとする話です。

 この本ではアメリカの時代背景、文化的背景、そして私の英語能力なさと相まって私は随分悪戦苦闘して読みました。単に黒人の人権問題だけではなさそうです。もっと根深いアメリカ南部の白人社会の裏側を感じます。

 読み終えて、幾つかの書評を読みました。アメリカ本国でもハーパーリーの50年ぶりの本というので期待が高かったようです。ところが案に反して、書評はどれもこれも酷評です。はっきり期待はずれとまで書かれています。書評で知ったことですが、この本はハーパーリーの2作めではなく、処女作で2作目に書いた「アラバマ物語」だけが刊行されたのだそうです。ストーリーも英語の表現も稚拙だと評されています。

 「アラバマ物語」は、アメリカの高校の副教材になっているほどの本です。2作の主人公ジーンルイスはやはりハーパーリー自身を写したもののようです。

 「GO SET A WATCHMAN」を読みながら、自分の英語力にも限界を感じました。アメリカの黒人問題に興味があるわけではありませんが、「アラバマ物語」の原作を読んでみようと、本屋へ行きました。「TO KILL A MOCKINGBIRD」箱入りの豪華本でとても高く売られています。そこで家に帰り、アマゾンに注文しました。アメリカからの輸送費を含めてもこの豪華本を香港で買うのの半額以下です。 今月の27日に着く予定です。

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モモさん12歳になりました。

2016年01月17日 | もも

雨、17度、99%

 おかげさまでモモさん12歳を元気に迎えることが出来ました。この一年は、後ろ足が急に立たなくなるようなことがありましたが、それでも、よく食べて、よく寝て、よく歩きます。これでよしよし。

 10歳を過ぎた頃から思います。少しでも長く一緒にいたいけど、もし何かあっても、これだけの長い間一緒にいてくれたのだからと、心を決めています。12年前、私はまだ47歳でした。今より元気だったし、今より感情もアップダウンがありました。仕事も楽しい時期でした。仕事が終わって、モモさんの元に急ぎます。真っ暗な中を散歩に連れて行きました。長い時間お留守番です。でも、私は家に帰るのが楽しかった。モモさんが待っててくれますから。モモさんとの時間を考えて、仕事を減らしました。

 私や主人が家にいないことはありますが、モモさんはどんな時にも家で私達を待っていてくれます。一度モモさんが熱を出して、点滴、検査のために病院に半日預けたことがあります。家のドアを開けてもモモさんはいません。お昼ご飯も一人で食べます。あの時のポカンと穴が空いたような気持ち、どれだけモモさんの存在が大きいのか感じない訳にはいきませんでした。

 今朝は朝からケーキを作りました。モモさんにも沢山食べてもらいたいので、朝ご飯はお預けです。お散歩もすませて、主人を起こして、「お誕生日おめでとう。」 この大きさ一切れペロリと食べました。「まだ、ください。」 「また、後でね。」

 元気でいてくれますように。よく食べて、よく寝て、歩こうね。

  ご満足のようです。

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お手伝いさんが結婚をしました。

2016年01月16日 | 日々のこと

雨、15度、94%

 もうすぐ34歳になる我が家のお手伝いさんがこの月曜日結婚しました。タイのチェンマイの出身、彼女が我が家に来てくれるようになったのは7年前のことです。主人の出張に付いて行かなくてはならないことがあります。ヨーロッパなどまで行けば1週間も家を空けることになります。その間、モモさんを安心して家にいながら見てくれる人を捜していました。香港はフィリッピン、インドネシアのお手伝いさんが主流です。数少ないタイのお手伝いさんをと言い出したのは主人、仏教国のお国柄を見込んでのことです。

 彼女はちょっと複雑な家庭事情があります。2歳の時に両親は離婚します。お母さんはその後香港人男性と再婚、お父さんも別の人と再婚。父方のおばあさんに育てられたのだそうです。大学を出て教員の資格も持っていますが、タイで働くのよりはずっと香港でお手伝いさんをする方が収入がいいのだそうです。そこで、実の母親を頼って香港に来ました。

 私達が留守のときだけモモさんの世話をしに来てもらうことは出来ません。そこで定期的に掃除を頼みました。掃除、何でもないことのように思いましたがこれが覚えもらうまでは大変でした。お雑巾、台ふきん、おふきんの区別に始まって、掃除機のゴミの捨て方、ものの畳み方、アイロンの掛け方、もう、自分がした方がいいと思うくらいです。それでも、彼女はモモさんを大事にしてくれます。

 来た当初から、結婚をしたいとは言っていました。お母さんのように香港人男性をと考えているのかと思えば、びっくりしたことに白人男性、しかも再婚でもいいから年上がいいと言います。私がビックリしたのは言うまでもありません。彼女の友人などで、年長の白人男性と結婚して裕福な生活をしているのを目の当たりにしていたからでしょう。結婚観というのもひと様々です。

 時にお茶を飲みながら、いろんな話をします。辛いことがあったときも、私の胸で泣きました。嬉しいこともすぐに知らせてくれます。彼女が付き合っている人も写真を見せてくれます。みんな白人の年上の人ばかりでした。そして、最後に結婚とまで言ってくれたのは、ドイツ人の50歳の男性です。

 昨年のクリスマスからニューイヤーにかけて、彼女はドイツの彼の両親の元を訪ねました。言葉も通じないのにあちらのご両親に気に入られたようです。分かります。確かにいい子です。そしてこの月曜日、結婚届を出したのだと言います。嬉しいのとホッとした気持ちで一杯です。

 料理もあまりうまくありません。タイ料理を教えてもらえると喜んだのは束の間、タイに行けば分かりますが、小さな屋台で食事を済ませる事ができます。料理が出来なくても生きていけます。今だに、表と裏の区別がつきません。私が家を空けて帰って来ると、主人のハンカチは表と裏逆さまでアイロンがかけられています。もっとびっくりしたのは、ベットメイキングをしてくれた後、見るとお布団、キルトが縦横が逆さまです。置いてあるものを動かしてその後ろも掃除をする、やっと最近何も言わなくても動かしています。いろんな物を壊してくれました。あるとき家に戻ると、バスルームのトイレの管が敗れて水が吹き出していました。力任せにモップをかけますから、調節ねじが飛んだのだそうです。

 主人と私が留守のときは、モモさんは彼女と一緒に休みます。私たちにとって、それは一番の安心です。

 結婚しましたが、まだ我が家に通って来てくれます。おめでとう。

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嬉しいことは声に出して

2016年01月15日 | 日々のこと

雨,14度、97%

 香港の中国に近い山を主人と毎週のように歩いていたのは,もう20年ほど前のことです。30歳後半40歳初めの頃でした。毎年11月にある香港の100kトレールに参加する主人は,5月頃から少しずつ身体を作り始めます。日差しも強くなり始めるこの時期から殆ど毎週のように山に入ります。四人一組でチームを作り参加するこの100kトレールですが、皆さんお仕事がある身ですので、四人揃っての練習は直前になります。この私、100kトレールには参加したことがありません。山に入るのは小さい頃から好きです。香港の山はそんなに高くはありません。高くはないものの高低のある山道をステージごとの歩きます。

 高層ビルばかりが表の顔になっている香港ですが、山の中の自然はどこにも引けを取りません。野生のイノシシや野ブタにだって出くわします。大きな蛇にだって出くわします。ヤマユリが咲く岩場を目指して歩くことも、野生の牛のフンを踏んづけたり、タヌキのような動物の屍が白骨化しているのを見つけたり、そして何より空気が美味しい。ルートによっては、海辺を通る事もあります。そんな時はひと泳ぎ。いやはや、今考えるとよく歩いて元気だったと思います。

 当時、息子は既に高校で日本に帰っていました。両方の親達もまだまだ元気でした。私も仕事が一番忙しかった頃です。夏休み、冬休みなどは朝9時頃から夜9時頃まで仕事をしていました。

 山に入ると道なりが険しくきついということよりも、心が解放されるような気がします。小さな自然の営みを見ると、こせこせと動き回っている自分もなんと小さいことかと感じたり。鬱蒼とした木々の間の坂道を抜けると、急に海を見下ろす絶壁に出るところがあります。上の方に小さく見えていた空が段々大きくなって、ワッと目の前に海と空が出現して来る山道です。登りきった私は、「きれいねえ。」と思わず言いました。そこをすかさず、「おまえがきれいね、なんて言っていられるような状態ではないだろう。」と主人。日本に帰った息子の素行がよくなかった時期です。私の母と主人の仲は最悪の頃でした。「「息子のことを考えてみろ、自分の母親のことを考えてみろ。」と毎日のように言われていました。思わず口にした「きれいねえ。」心の中に大きく膨らんだ黄色い風船が急に萎んでしまったような想いが残ります。そして、いつものように口を閉じます。心を閉じます。表情も閉じます。パタパタパタ。

 口にするとそこから糸口で何か言われます。だから口を閉じるのが一番です。嬉しいと思っても、顔にも出さず、口にもせず、一人心で思います。その頃の私はそうして時間を過ごしました。それでも、山には週一回お付き合いをします。きれいな鳥の鳴き声を聞いても、黙って、鳥の姿を探しました。

 数日前、冷え込んで来た澄んだ空気の中を早朝走りに出ました。走りながら、その空気、その空の色に「気持ちがいいねえ。」と口に出して言いました。すると、自分の声がもう一度耳から戻って来ます。気持ちがいいが2倍になって感じられます。

 嬉しいこと、楽しいこと、幸せだと思う気持ちは声に出してみると、その声を聞くことで増幅してまた自分に戻って来ます。声に出すことは、そんな効果があるなあと気付きます。

 どこの家庭にも、夫婦の間にもいろんな時期があります。声に出して嬉しいことを言える、そんな小さのことに喜びを見つけることが出来るのも、きっとあの時期があったからだと今では思えます。

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海側の窓 山側の窓

2016年01月14日 | 日々のこと

曇、15度、80%

 香港,1月に入って雨の多い日が続きます。かなりの量の雨です。この時期,雨が降るといってもこんなに降ったことはありませんでした。しかも暖冬です。昨日は珍しく晴れ上がりました。午後には湿度もぐっと低くなりました。久しぶりに窓を全開です。

 香港島の北側斜面にへばりつくようにして住んでいる我が家,ありがたいことに,南の窓からは香港の太平山、北の窓からは小さくビクトリア湾が見えています。

  山側の景色は,この15年ちっとも変わっていません。ガスの多い日には,山は姿を隠します。夜ともなれば,この太平山の頂きはピークといって観光地ですので,山頂を廻る道沿いの街灯が灯ります。ポツンポツンと灯る街灯,そしてこの道から香港の夜景を撮影する人たちのカメラのフラッシュがチカチカと見えます。昼間はいたって穏やかな山側の風景です。夏場の大雨の後は,岩の山肌を白い水しぶきを上げながらまるで川の様に流れ落ちる水の流れが見られます。春先から秋口まで早朝には亜熱帯の鳥の鳴き声が聞こえるのもこの窓からです。景色に鳥の鳴き声、山の静かな匂いがおりて来るのは朝早く。夕方ともなれば,マンションの台所の窓は全部こちら側なので、家々の夕飯の匂いがします。日本のカレーやお魚の煮付けの匂いではありません。中華の煮物に中華の炒めものです。台所から聞こえて来る音で無くなってしまった音があります。中華包丁とまな板の音。香港、ひき肉をひき肉として売っていませんでした。肉を買って、挽いてもらう。もしくは家であの大きな中華包丁の重さに任せて叩き肉を作っていました。トントントン,木のまな板に響くあの音は今では聞くことがありません。スーパーにひき肉を売っていますので。

 海側の景色は変わりました。高いビルが次々に建ちます。おかげで我が家から見えるビクトリア湾は小さく小さくなりました。以前は,朝食をとりながらビクトリア湾を渡るスターフェリーの始発が出るのを楽しみに見ていたことを思い出します。年に数回あがる花火が見えるのもこの窓からです。ビクトリア湾中央に花火をあげる船が並びます。湾を巡る香港島と九龍サイドどちらからも愉しめる香港の花火です。海側は,見ての通りの高層ビル,朝と夜とでは匂いが違います。海は随分離れていますので,海の匂いはしません。早朝は下の道を通る車の音もなく、都会にいるのを忘れるような清々しい空気です。ところが一旦人間が動き出すと町の匂いに変わります。町の匂い,下のSOHOと呼ばれる飲食街から上って来る夜の匂いは,まさにその町の匂いです。食べ物そのままの匂いではありません。人を歓楽に誘い込むような甘い匂いです。昼間は車の音がひっきりなし、車の音が聞こえているのが当たり前ですので,もう意識すらありません。

 そして、時折おかしな現象が見られます。山側の窓からは雨が降っているのが見られるのに、海側の窓からは雨なんて降っていません。部屋の真ん中に立って,両方の窓からの雨を見比べます。年に一度は見ることが出来る珍現象です。

 結婚して39年目に入る私達夫婦が一番永く住んだ家です。16年の間のこの景色がこの匂いがすっかり身に染み付いてしまいました。

 

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電子辞書

2016年01月13日 | 日々のこと

曇り,14度、82%

 私が家庭教師の仕事をしていた時の教え子達が電子辞書を使い始めたのは2000年に入ってからだと思います。国際線のお土産物売り場の電子機器の陳列棚の中に結構なお値段で納まっていました。電子辞書を使う子は日本人学校に通っていた子よりインターに通っていた子に多く見られました。単語がわからないと電子辞書のキーを打ちます。単語の意味だけを調べるには,辞書をめくるよりずっと速い。ところがその単語の用例が少なかった当時の電子辞書です。しかも,子供達は単語の一番上の意味だけしか見ずにそのページを閉じます。そこで,私は電子辞書は与えないでください,使わせないでくださいと,親御さんに話しました。

 当然この私、自分の辞書も持って仕事に出かけます。テキストからテスト用紙、辞書を携えての大荷物でした。そして,仕事を辞めて3年が過ぎましたが,相変わらず辞書とのお付き合いは続いていました。確かに去年の今頃までは,老眼鏡に辞書と地図帳と読み止しの本が4点セットでした。この4点セットを持って主人の広いベットで横になって本を読むのが楽しみです。ところが,去年の夏頃だったと思います,たまたま手元にあったスマホで単語の意味を調べました。単語の横に’発音’とあります。クリックすると単語の音声が再生されます。あら便利。翌日になって,またしても昨日と同じ単語で引っかかりました。今度は単語を入力しなくても履歴で検索出来ます。あらまた便利。知らない植物の英語名を入力しました。するとカラーの写真が出て来ます。またまた便利です。ただ,地図だけはどうも全体が掴めません。スマホのマップには今だに不満だらけです。ですから地図帳ばかりは手放すことが出来ません。

 以来,永年のお付き合いの英語の辞書は辞書の山の一番上に鎮座したままです。

 英語の発音記号を知らない子供も沢山います。音声で発音を聞けることは,耳の馴らしにもなります。ただやはり用例の例文は辞書に比べると遥かに少ない。電子辞書自体は2010年以降、売り上げが落ち込んでいるそうです。私のようにスマホで検索する人が増えているのだと思います。

 そんな訳で,ここ半年、主人のベットに持って上がるものの4点セットは,老眼鏡、スマホ,地図帳に読み止しの本です。ああ,もうお一方、私の右腕でお昼寝するモモさんも一緒です。

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琉球小すみれ

2016年01月12日 | 

曇り,16度、86%

 琉球小すみれ,きれいな名前のすみれの種を頂きました。この琉球小すみれは、琉球,つまり沖縄からマンゴの苗と一緒に本州の真ん中,山間の町まで運ばれました。沖縄と違って雪だってふります。友人は温室を用意してマンゴと一緒に育てています。この友人は緑の手の持ち主です。庭に沢山の花を咲かせ,野菜も作ります。琉球小すみれの花を咲かせ,その小さな小さな種を穫って送ってくださいました。

 この琉球小すみれの花を見た時,あっと思いました。香港にもこのすみれが咲いています。野生ですし,小さな小さな花ですので,どこにでも見られるものではありません。私が毎月上る香港島東のマウントパーカー、頂上には最後600段近い階段を上がります。その階段の脇にちょうど1月頃から薄紫の花をつけるのがこの琉球小すみれと同じ種類のすみれです。見出し写真は,マウントパーカーのすみれです。

 30年近く前,このマウントパーカーのすみれを見た時,日本に咲くタチツボスミレだと思いました。タチツボスミレのことを私に教えてくれたのは亡くなった母です。しかもまだ私が小学生だったと記憶しています。日本原種のすみれだと教えてくれました。確かに改良を重ねたパンジーなんかとは比較にならないほどの小さなすみれです。地面から僅かに立ち上がる茎のそっと先すぼみの花を付けます。母は微かに香りのする匂いすみれも中にはあると教えてくれました。その時見たタチツボスミレは,深い深い紫色で,微かにいい香りがしました。以来,香港で再び出会うまですっかりこのすみれのことを忘れていたのです。

 数年前までタチツボスミレだとばかり思っていた香港のすみれは,近種ではあるものの違うものだと知りました。葉の形が,タチツボスミレは丸です。ところが,香港や頂いた琉球小すみれの葉っぱは先が尖ってやや長め。花の形状は殆ど変わりません。今回琉球小すみれのことを調べているうちに知ったのですが,なんとこの種のすみれは北海道にも咲くそうです。日本の北から南,そして朝鮮、台湾を経て香港でも見られます。

 香港も今年は暖冬です。元旦にマウントパーカーに上ったときはまだすみれは咲いていませんでした。気の早い私は,頂いた種を時期も構わず昨日まきました。母がタチツボスミレは苗で移植しても付かないと言っていたのを思い出します。けど今回は種蒔きです。小さな可憐な花をつけてくれることを信じています。

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