チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

義母は人工骨頭置換手術を今日受けます。

2018年01月11日 | 日々のこと

雪、2度、67%

 先週土曜日の午後、家で倒れているのが見つかった義母は、救急車で病院に運ばれ大腿骨頸部骨折と診断されました。救急室のレントゲンを見た私は10数年前、私の実の母が同じところを骨折したことを思いだしました。祝日を挟んでいましたので担当医との面談は、火曜日にありました。面談の席で私がこの手術を実の母で経験していることを知った医師は、手術には心配はないけれどもと前置きをして話が続きました。

 手術後、母の歩行能力が骨折前より良くなることはまずあり得ません。リハビリの後退院となった後のことです。つまり母が退院後どこで生活をするのかという問題が出て来ます。古い段差の多い家での一人暮らしは無理だろうという医師の見解でした。

 救急車で運ばれ「大腿骨頸部骨折」のレントゲン写真を見て以来、私が一番懸念していたのもこの一つのことです。退院後の義母の住まい。私の母もそうだったように、自分の家を離れたくないと思います。施設への入居を念頭にケアをお願いしている方たちへの協力を頼みました。まだ時間がありますが、先に先に手を打つべきだと母の時の経験が教えてくれます。

 2年前の暮れ、義母はエスカレーターから転倒し肩の骨を折りました。手術後、一人生活の中、昨年のお盆には道で転倒手首を腫らしました。この時は病院に行きたがらず家で安静にして治しました。度重なります。携帯を常に持ち歩くように言いますが、充電器に入ったままです。安全センターの申し込みをしたのは昨年の11月、早速取り付けていただきました。 このほかの子機があり、子機は常に胸にぶら下げていた方がいいよと話していましたが、 買い物バックにつけられたままでした。結局、携帯も安全センターへのブザーも使われることなく、今回の事故です。 

 年齢相応の認知度ですが、入院後変なことを言うようになりました。「真奈さん、牛肉を食べたろう?」冷凍庫には上等な牛肉が入っています。義母の好物です。この言葉を聞いた時、寝たままだとたとえ数日でも認知度が進むことを実感します。牛肉と大きなエビは義母経由で義姉に渡しました。

 入院後、身の回りのものを調えました。病院によっては飲み水の供給がないところもあります。致し方なくペットボトルの大きいものを買って行きました。ストローで飲めば良さそうですが手術前は身体を起こすことができません。数年前、母の時用意したのは「寝飲み」でした。「寝飲み」を母の枕元に置いた時の妙にさみしい思いが思い出されます。義母には可愛いものを見つけました。しっかり蓋が閉まります。寝ていてもこぼれる心配がありません。寝飲みの殺風景な様子とは違います。

 今日の午後には麻酔から覚めると思います。今後のことは私からでなく、主人から時間をかけて話してもらうつもりです。昨日から福岡は風と雪が強くなりました。義母の手術が無事に終わることを祈っています。

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菊花焼売

2018年01月10日 | 昨日のお昼ご飯

雨、4度、84%

 あるお宅の夕食の食卓、毎日アップされます。ある日は大きなカマンベールチーズが丸のまま、時には小鯵の押し寿司、クコ入りポトフ。お酒もバーボンあり焼酎ありシェリー酒のティオぺぺあり、バラエティーに富んでいます。きちんと置かれた二膳のお箸に幸せな夕飯の景色が見えて来ます。

 「菊花焼売」がそのお宅の夕飯に上ったのは数日前、厚かましくも「作り方を教えてください。」とお願いしました。いただいた作り方、「豚のバラ肉をよく叩き、干し貝柱などを入れ丸めてシュウマイの皮のの千切りを乗せ蒸して辛子を真ん中に。」こういうレシピをいただくと嬉しくなります。大さじ幾つではありません、こなれた作り手の書くレシピです。早速豚肉と焼売の皮を買って来ました。干し貝柱はたんと香港から持ち帰っています。

 「肉を叩く」この音は30年前の香港の夕飯時を思い出させました。 香港人の家庭の台所からは「肉を叩く」音が聞こえて来ます。大きな中華包丁、荒削りな木のまな板。中華包丁の重みだけで叩きます。当時はひき肉を売っていませんでした。市場で塊肉を買い汚いひき肉の機械で挽いてもらいます。非衛生的に思った私は、家庭用のひき肉機を買いました。香港人家庭では塊を買って来てトントンと肉を叩くわけです。ひき肉がスーパーでも売られるようになってから、この「肉を叩く」音が夕食の時間から消えてしまいました。肉ばかりかエビやイカも叩きました。私も久しぶりに中華包丁を出して来て、トントン。

 よく粘りを出して丸めて、シュウマイの皮の千切りを乗せて蒸すだけの簡単さです。シュウマイの皮は薄焼き卵の千切りを作る時の要領で丸めて包丁で切るといいと思います。ハサミで切るとうまく切れません。 菊花に見立てて、辛子を絞ります。熱熱をガブリ。肉汁がじんわり、貝柱の旨みが口に広がります。干し貝柱は塩分が高いので戻して使うにしても塩加減は少なめに、お酒と胡椒とごま油だけの味付けです。

 久しぶりに肉を叩いて気付きます。叩いた肉とひき肉では、歯ごたえ旨味が断然違います。「肉を叩く」大げさな手間ではありません。忘れていた美味しさを取り戻した気分です。このお宅の幸せな夕飯を毎日楽しみにしています。

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ココさん2度目のヒートがやって来ました。

2018年01月09日 | ここ

雨、7度、61%

 ココさん、今、1歳と6ヶ月です。我が家にやって来た昨年5月、9ヶ月になっていたココさんはヒートが始まっていました。ヒートの時の独特な匂い、子供の頃飼っていたのはメスの犬が多かったので思い出します。ちょうど半年、またヒートがやって来ました。

 この半年、ココさんの避妊手術のことを幾度も考えました。ご存知の方も多いと思いますが、モモさんを私は女の子だと思って家に連れ帰りました。たくさん子犬を産んでもらい、私は一杯のパグの中で暮らす夢を見ていました。ところがモモさんが我が家の来て3週間後、モモさんの後ろ姿に唖然としました。玉が2個下りて来たのです。がっかりしたのは言うまでもありません。そして、モモさんの玉は前立腺が肥大し始めるまで2個ありました。この前立腺の肥大がモモさんの死因です。女の子だって子宮を持ったままだと様々な病気の発生があると言われます。動物病院の先生は避妊手術を勧めます。モモさんが我が家の来た時から14年、私も60歳を越しました。今は子犬をココさんに産んでもらいその子たちを育てようとは思っていません。

 クリスマスに戻っていた主人とココさんの避妊手術のことを話し合いました。主人は避妊に反対です。私も生まれて来た時の体のままでココさんを育てたいと思います。主人と私の選択は、ココさんは避妊手術をしないことになりました。

 赤い染みがポツポツ、カーペットに落ちています。不思議そうに匂いを嗅ぐココさんです。一緒に寝るシーツにもポツポツ。洗えば落ちることですから大したことではありません。「ココさんは女の子だから、ガフガフ言わずにおとなしくね。」と声をかけても相変わらず怪獣路線まっしぐらです。少しは体調の変化があるのか、物憂げにしていることもあります。

 モモさんへの思い、ココさんが側にいてくれることで十分に幸せです。でも私のことですから、急に子犬が欲しいと思うかもしれません。その時はココさんにお婿さんを探します。一年に2回、生き物の身体は正確に動いています。怪獣ココごん、ゆっくり大人になってくださいね。

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新しいおふきん 新しいお雑巾

2018年01月08日 | 日々のこと

雨、8度、96%

 元旦になると新しいおふきんをおろします。おふきんだけでなくお雑巾も台所のスポンジや果ては下着まで新しいものに入れ替えます。歯ブラシや台所のスポンジは月が変わるごとに入れ替えますが、おふきんやお雑巾は年に1度か2度しか新しいものをおろしません。

 のりを抜いた真っ白なおふきんで元旦の朝は気持ちよく仕事が始まります。年末がおふきんもお雑巾も一番忙しい時期です。その頃には繊維はクタクタ、黒塗りのお椀を拭けばケバが付きます。窓ガラスを拭けば拭き跡が残ります。それでもあと数日使えばきっぱりと捨てれると思い、ケバが残るのを厭いながら使います。お雑巾は車のホイールを拭き上げると「ありがとう。」と言ってゴミ箱に。おふきんはまた洗って、汚れのひどいものを拭いては捨てます。

 この1週間、気持ちよく過ごせました。新しいおふきんやお雑巾の仕事ぶりはケバも残らずスッキリです。小さなことです。この小さなことが1日を快適にしてくれます。

 頂き物のかやふきんが今回おろしたもので終わります。次回下ろすのは麻のティータオルになります。年末頂いた「一保堂」のタオルはワッフルの生地でした。京都の老舗のお茶屋さんがワッフルの生地を選んだのが嬉しく思います。ワッフルは吸水力が抜群です。このおふきんはお茶の用意をするときだけに使います。

 また半年、1年と漂白を繰り返して使うおふきんやお雑巾、一年の我が家の垢を拭い取ってくれます。気持ちの良い1日のために、おふきんやお雑巾にいい仕事をしてもらいます。

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二人のおまわりさんにお世話になりました。

2018年01月07日 | 日々のこと

晴、4度、71%

 昨日の昼過ぎです、携帯が鳴りました。取ると、義母の家の隣のおじさんからです。「ヘルパーさんが来てるけど、お母さんいないようなので、そっちに行ってる?」と聞かれます。裏の雨戸も閉まったままだそうです。電話を切り、急ぎ義母の携帯と自宅に電話しますが出て来ません。義母の家の鍵を握って車に飛び乗りました。途中また、隣のおじさんから電話です。「おまわりさんも来て待っているから、急いでよ。」異常があるには違いありませんが、ヘルパーさんがおまわりさんを呼んだようです。悪い想像ばかりが頭を回ります。

 義母の家に着くと、幾人かの人が木戸の前にいます。おまわりさん二人は、2重手袋にビニールカバー付きの靴を履いています。木戸は裏から入りすでに開けられていました。玄関を鍵で開けてくださいと言われます。私の心臓は音がするかと思うほどドキドキしています。玄関は中からチェーンがかかっていました。おまわりさんは「壊しますよ。」と私の承諾をとって一気にドアを開けました。「下川さん。」とおまわりさん。「お母さん。」と私が声をかけながら家に入りました。玄関を上がるとかすかに声らしきものが聞こえます。薄暗い家の中、寝室と居間の境に大きな塊が見えました。電気をつけると、パジャマのままの義母が横倒れになり布団をかぶっています。細い声ですが応対もできます。ホッとしたものの、顔はむくみ体が動かせません。

 おまわりさんが水を飲ませようとしますが腰を痛がります。救急車を呼ぶことにしました。救急隊員の人は即座に様子を見て行く病院を探します。その間私はおまわりさん、救急隊の人に日頃の状態など聞かれることに答えていました。気は動転していませんが、矢継ぎ早の質問責めに頭の中がポッと白くなります。母は救急隊の人が来た頃には、十分話ができるようになりました。救急車が先に出発。私は義母の身の回りのものをまとめて、指定された病院に向かいました。

 この間20分ほどだと思います。私が義母の家に着いた時、おまわりさんはまるで私も容疑者扱いです。万が一事件の可能性もあるからだと思います。義母が大丈夫なのを確認すると態度が一変しました。不慣れな義母の家の中、持って行くものを探す私に手を貸してくれます。私の車は路上に止めたままですが、狭い道幅、行き交う車の交通整理もしてくれました。病院に向かう車に乗る前に、「お世話になりました。お二人のおかげで気持ちが支えられました。一人で家に入る勇気はありませんでしたので。」と申し上げると、「落ち着いて病院に向かってください。」と頭を下げられました。

 土曜の午後です。当直の先生のレントゲンによる診断では、「大腿骨骨折」と言われました。早速入院です。今後の治療方針は月曜日に専門の医師と面会の上決めることになりました。

 二人のおまわりさん、三人の救急車の隊員の方、みなさんお仕事柄とはいえ、心ある対応を取ってくださいました。想像していた最悪の事態は避けられました。夜中に暗がりで起きた義母は小さな段差につまずいて転んだようです。やっとの思いで布団を引き摺り下ろして、夜を明かしたのだそうです。老人の一人暮らしの限界を考えさせられます。とりあえず今日は入院手続き、明日は今後を決めなくてはなりません。私の病院通いが始まりました。

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パンピューリーのアロマオイル

2018年01月06日 | 日々のこと

曇、6度、67%

 主人がタイに出張に行くと必ず天然素材のオイルや石鹸を買って来てくれます。タイのオーガニックの食べ物やアロマは以前から優れていると私も思っています。パンピューリーは日本にも入っています。自分で買ったことがないので、お値段を知りませんがきっと高いものに違いありません。

 主人が買って来てくれたアロマオイルは、すでにブレンドされたものです。日頃は寝る前の2時間ほど寝室にラベンダーを香らせて休みます。どんな心配事があってもスコンと眠りに落ちますが、アロマを焚くと起きた時に心も体も整っているように思います。主人が選んでくれた3つの小瓶はすでにブレンドされたもので、どれも素晴らしくいい香りです。ディフューザーに入れようと思いましたがこれほど香りが高いとディフューザーに匂いが残ります。そこで、お風呂に数滴垂らしてみました。

 浴室に香りが立ちこめます。ゆっくりと体を横にして深く湯気と香りを吸い込みます。贅沢な時間です。昨晩初めてブルーの「インドシン」と名付けられたオイルを数滴お風呂に垂らしました。湯船に浸かっていると、足首と腰のところがチカチカします。赤くもなっていません。ただチカチカ感じます。きっとアロマの何かの成分に違いありません。お風呂上がりに調べてみると、「ベルガモット」「マンダリン」「レモングラス」の精油が主な成分です。どれかが悪さをしたのでしょう。体を拭いてしばらくするとチカチカは消えました。

 パンピューリーのサイトにもこの「インドシン」は顔への使用は避けるように出ています。そこで初めてこの小瓶の値段を知りました。「インドシン」とオレンジの「グランドマンチュー」は5千円ほど、グリーンの「サイアミューズウォーター」は12000円もします。成分にイランイランの精油が使われているからでしょう。驚きです。急にお風呂に垂らすのがもったいなくなりました。

  こちらは石鹸です。アロマの小瓶の色と石鹸の色は同じ名前の同じ成分のものです。こんな高価な石鹸は勿体無くて使えません。石鹸を入れている引き出しに貯まっています。

 アロマのことは不勉強でよく知りませんが、天然由来の香りは体や心を目覚めさせてくれるように思います。せっかくの主人の心遣いゆっくりと使います。

 パンピューリーはパッケージが素敵です。タイのいいものの意匠は西欧のそれと違って私はとても興味を惹かれます。石鹸もウォッシュバーと呼ばれ大きさも形も上質なものを感じます。寒い日が続きます。アロマの香りに包まれて、元気に冬を過ごします。

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福岡中洲「大洋」

2018年01月05日 | 映画

雨、7度、61%

 クリスマス休暇で日本に戻っていた主人と映画に行きました。暮れの26日、本当はお墓の掃除に行きたかったのですが、朝から北風が吹きかなりの寒さです。翌日は香港に戻る主人のためにお墓の掃除はやめました。急遽、「映画に行こう。」ということになりました。見に行く映画は決まっています。「オリエント急行殺人事件」です。上映している映画館を探します。

 以前にも書きましたが、福岡は映画館の数が減りました。おそらく日本中同じことだと思います。私が小学、中学、高校と通った福岡の西の街には、50年前には映画館が4つありました。「東宝」「松竹」「東映」「日活」。それぞれ所属の俳優さんの顔写真が映画館の外に飾られていました。まだ、所属の映画会社の映画にしか出演できなかった頃のことです。もちろん邦画ばかりでした。この街に今は映画館は一つもありません。その頃、洋画を観るためには天神や中洲に出向きました。とにかく映画好きな私の両親でした。

 私が日本に帰国して観た映画は「オリエント急行殺人事件」で5本目の映画になります。主人と一緒に日本で映画に行くのは30年ぶりです。一番近い中洲の「大洋」に行くことにしました。私の知る限り福岡の中心部で昔からの映画館が残っているのはこの「大洋」だけです。

 建物も昔のまま、チケットを売る窓口と映画館に上がるエレベーターの入り口が違うのも昔のままです。のんびりしたチケット売り場のお姉さんにチケットを切るお兄さん。狭い上映室のシートだけはやや新しいものが据えられています。お昼前、観に来ている人もほんの7、8人です。

 香港も映画館の数は減りました。30年前の香港の映画館、タバコの煙は立ち込めて、おまけにカビの匂いまでしました。数は減り、商業ビルの一角が映画館となりました。今では暖かなひきたての豆で淹れるコーヒーも飲めます。ホットドックもポップコーンも出来たての暖かさ。ナコチッップだって食べれます。その上バーもついていて、軽くワインやショットを頼むこともできます。

 私が行った福岡の3軒の映画館、飲み物は自動販売機。暖かな食べ物もありません。もちろんこの「大洋」も同じです。昭和のレトロを引きずったような「大洋」映画館。上映前に流れたフィルムで知ったのですが、私の生まれた翌年からこの地で営業しているそうです。

 「オリエント急行殺人事件」の映画そのものはハリウッド映画らしい大掛りな映画で楽しみました。それよりもこんな映画館で映画を観れたことに喜びを感じました。リバイバルの映画を定期的に上映しているそうです。あいにく寒さで映画館の建物を撮り忘れています。たった一枚、これからのリバイバル映画の予定表だけ写真に撮りました。なんとも時代遅れな「大洋」、私が足繁く行くことになりそうです。

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孫娘とココ

2018年01月04日 | ここ

晴、4度、67%

 年末に息子一家がやって来ました。彼らが来る前から一つ懸念がありました。お盆にやって来てくれた時のことです。3歳の孫娘とココがうまく馴染みません。ココ1歳、元気が良すぎます。孫娘はお嫁さんの実家のボブくんやモモのようなおじいさんパグしか知りません。走り回り飛びついて来るココは怖い以外の何物でもないはずです。孫娘が悪いわけではないし、ココが悪いわけではない。お盆の時は孫娘が下の部屋にいる時はココを庭に出しました。でも今は冬です。ココを庭に出すにはかわいそう、どうしようかと気が重くなっていました。

 息子一家の到着。「かか、ココちゃんこんにちは。」と元気に入って来たもののお父さんお母さんにしがみつきます。ココも嬉しさ余って走ります、飛びついてベロベロします。この日の夕方、ココも一緒に散歩に出ました。向かった先は近くの公園です。まだ日もあり子供達も遊んでいます。ちょうど孫娘年代の子供です。そのうちの2人がとてもココに興味を示しました。私はしゃがんで、その子供達に「触ってもいいよ。」と言いました。傍で孫娘、「触ってもいいよ、けど噛むよ。」と言いながら自分でもココを撫でています。私はその仕草を見逃しませんでした。公園の子供達も怖がりながらもココを触ります。 おそらくこの公園にいた時間が孫娘からココへの歩み寄りの第一歩でした。

 元旦、初詣から帰ると孫娘は熱を出しました。翌朝は戻してしまい、疲れかも出たのか私のベットで寝たままです。息子夫婦は買い物があり外出しました。家には孫娘、ココと私です。2階の用事をしていると、階下で物音がします。孫娘が起きて来たに違いありません。4時間近くも寝ています。ココがそばにいるはずですから急いで階段を降りました。居間のドアを開けると、孫娘とココが何か話しています。「かか、もう治った。お腹が空いた。」私の顔を見ての孫娘の第一声です。確かに熱はありません。お顔がぼーっとしていますが、その時のお二人。 

 急いでご飯の用意です。孫とココが仲良く待っています。 

 夜には元気に孫とココが遊びます。 やれやれ、孫とココの距離が近くなりました。一安心。孫娘の成長、ココも成長しています。ココはいつもいる家族だと認識したのだと思います。 

 後で聞いたことですが、我が家に来る道すがら、お嫁さんが孫に言ってくれていたのだそうです。「今度は寒いから、ココちゃんを外には出さないよ。寒いからかわいそうでしょう。」孫娘、理解していたのだと思います。初詣に行った先でも、「ココちゃん一人で寂しいね、帰ろう。」と言っていたことを思い出しました。

 孫娘3歳11ヶ月、ココ1歳6ヶ月。これから仲良く成長してくれるはずです。

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初詣 太宰府天満宮

2018年01月03日 | 日々のこと

曇り、8度、56%

 大晦日、家族で元旦の過ごし方を話していました。息子は自分が前厄なので、太宰府様に詣でたいと言います。お嫁さんが横でなにやら調べ物、するとお嫁さん自身は本厄だと分かりました。元旦の朝方、ふともしかして私も?と思いつき調べますと、なんと主人も私も後厄でした。一家揃って厄が重なっています。

 福岡市内にも大きなお神社はいくつもありますが、香港へ行く事が3月に決まっていた30年前の元旦、義父、義母、息子と私の4人で参ったのは太宰府天満宮でした。主人はすでに香港に赴任していました。電車とバスを乗り継いで太宰府に着いたのは、お昼過ぎ。もっと人出が多いかと心配していましたがさほどではありません。

 小さい頃から父母に連れられて来た太宰府です。父が梅の花が好きで初詣ばかりか寒い梅の季節には「夜梅」を楽しみに足を運びました。「夜梅」を見るときは、お参りより周りの庭園を散策します。贔屓のお石茶屋があり必ずそこで「梅ヶ枝餅」を食べました。

 太鼓橋を渡り、参道の人混みをゆっくり息子一家と前に進みます。記憶にある太宰府よりすべてが小さく見えるのはなぜでしょう。本堂も周りの木々も心なしか小さく感じました。家族みんなが厄年ですから、手を合わせる気持ちも強くなります。お守りを頂戴して、おせちの準備のために、息子一家より一足先に家路に付きました。

 門前町も昔ながらの店作りですが、 スターバックスなどができて時代の流れを感じます。出店のセルロイドのお面がずらりと並ぶ下を通りました。小さい頃欲しくても買ってもらえなかったセルロイドのお面です。

 30年ぶりの太宰府天満宮、私の小さい頃の思い出も一緒に胸をよぎります。まだ若かった頃の父や母の顔、半世紀以上の前のことがすぐ目の前にあるように思えた初詣でした。

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今年のおせち

2018年01月02日 | 日々のこと

晴、2度、70%

 毎年代わり映えのないおせちです。今年は燻製を多く作ってしまったので、お重に詰める時ハタと気付きました。そうなんです、お重の中の色に華やかさがありません。いざ、詰める段になって気付くとは。

  一の重、赤カブのなます、数の子、伊達巻、銀杏を抱いた酒蒸しエビ、黒豆です。

  二の重、からすみ、生麩の煮物、牡蠣の燻製、ぶりの燻製、昆布巻き、ローストビーフ、しめさばの炙り。

  三の重、筑前煮、私たち博多では「がめ煮」と呼びます。

 このお重以外に中華のハスちまきを作っておきました。ところが昨晩、孫娘が熱を出しました。お咳がある状態で福岡に来て、元旦の昼間は初詣に遠出しました。疲れが出たのだと思います。元旦のお膳を囲んだのは、息子夫婦と私でした。まだ3歳、おせち料理の食べ物を美味しいと思う年齢ではありません。歳を重ねて、少しずつ食べれるようになるだろうと思います。

 朝一番はお雑煮と黒豆を少しと大福茶、お餅はつきたてをみそかの晩に友人が送ってくれた丸餅です。この元旦の朝のお膳のために、昨年の秋、友人が選んでくれた箸置きを初おろししました。違う木材で作られた薄い木の葉の箸置きです。 違う木ですので色合いが違います。みなさんの厚意で今年も年が明けました。

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