こんばんわ。
このところ仕事が忙しいので、早く休みにならないか、と思うほど休日が恋しいのに、いざ週末になってしまうと年賀状さえ手を付けていない状況。自分の行動・気持ちに矛盾を感じる毎日が続いています。しかし、そんなことを考えている猶予も無いですね。あっという間に今年も終わってしまいそうです。
さて、今日は国鉄時代の臨時列車をご紹介いたします。
昭和60年10月17日 東大宮~蓮田間にて EF651049牽引「与野市民号」
私が国鉄職員時代、ギリギリ与野駅に勤務していた頃になるでしょうか。
当時の赤字国鉄は、各駅ごとにも競い合って集客に躍起になっていました。そんな頃、私は運転職場(ホーム)にいましたので、営業サイドでは知らない間に「与野市民号」なる団体列車を計画していたんですね。
運転日ギリギリになってそのことを助役から知らされ、運転時間を確認するとともに、ヘッドマークを取り付けるということもあって撮影に出掛けたものです。ちょうど明け番か休みの日だったんですね。
お座敷列車はオク座こと12系お座敷客車「なごやか」で、その後、斜めのストライプが入り、最後は水色系に塗色変更されましたが、この頃は完全オリジナル塗装の登場時の装いでした。
多分、当時はこのようなダイヤも公表していなかった可能性が高いので、撮影していた方は少なかったと思います。
ちなみに、以前アップいたしました「蕨市民号」はこちら。
このところ仕事が忙しいので、早く休みにならないか、と思うほど休日が恋しいのに、いざ週末になってしまうと年賀状さえ手を付けていない状況。自分の行動・気持ちに矛盾を感じる毎日が続いています。しかし、そんなことを考えている猶予も無いですね。あっという間に今年も終わってしまいそうです。
さて、今日は国鉄時代の臨時列車をご紹介いたします。
昭和60年10月17日 東大宮~蓮田間にて EF651049牽引「与野市民号」
私が国鉄職員時代、ギリギリ与野駅に勤務していた頃になるでしょうか。
当時の赤字国鉄は、各駅ごとにも競い合って集客に躍起になっていました。そんな頃、私は運転職場(ホーム)にいましたので、営業サイドでは知らない間に「与野市民号」なる団体列車を計画していたんですね。
運転日ギリギリになってそのことを助役から知らされ、運転時間を確認するとともに、ヘッドマークを取り付けるということもあって撮影に出掛けたものです。ちょうど明け番か休みの日だったんですね。
お座敷列車はオク座こと12系お座敷客車「なごやか」で、その後、斜めのストライプが入り、最後は水色系に塗色変更されましたが、この頃は完全オリジナル塗装の登場時の装いでした。
多分、当時はこのようなダイヤも公表していなかった可能性が高いので、撮影していた方は少なかったと思います。
ちなみに、以前アップいたしました「蕨市民号」はこちら。