これまたチョット古い写真なのですが、小学生の頃ポケットカメラで撮ったネガを整理していたら、すごく懐かしい写真を見つけたのでアップしたいと思います。
お断りとして、ポケットカメラのネガからのプリントですので、非常に画像が荒く見づらいと思います。また、色調が経年劣化で恐ろしい色に変化しつつありますので、スキャニング後に色調加工をしておりますのでご了承願います。
まずは、小学校6年生の終わり頃、初めて自主的に遠出(勿論、親には内緒で)したときに、何故か大網駅を訪れています。そのときに撮った「東金線」の写真です。
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昭和51年2月15日 外房線 大網駅にて 折り返し待ちの73系東金線普通列車
この頃の房総各線の印象は、気動車が完全に撤退して113系ばかりになっていたと思ったのですが、大網駅に下りたとたんに目にしたのがこの「東金線」73系でした。ただ、この頃は既に末期にあったようですが。新しい駅にこの茶色が妙にミスマッチだったことを思い出します。
と言いますのも・・・
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これ、何の風景かといいますと、大網駅の外房線上りホームからおそらく南西~南の方角を写したものです。このとき以来、大網駅には訪れていないので、どのように変化したか知る由もないのですが、何となく想像がつきます。多分、隙間なんてないくらいマンションや会社のテナントビルなんかが建ち並んでいることでしょう。
大網駅は元々スイッチバックの駅で、現在より東金線方向にあったらしいです。そして、スイッチバックの解消のために駅自体を移転し、現在のところへ開業したということ。その移転からそんなに時間が経っていなかった頃なので、駅前には普通の家すらほとんど無かったような記憶があります。この時点では、駅が移転して出来上がったということも知らず、事情が分かって納得したのは数年経ってからのことでした。
機会があれば現況の調査にでも行きたいところですが、なかなかそのような時間もございませんので、もし現状の写真をお持ちの方、或いはブログで掲載した方がいらっしゃいましたら、トラックバックしていただけると嬉しいです。また、現在同駅を使っていらっしゃる方からのコメントもお待ちしております。
お断りとして、ポケットカメラのネガからのプリントですので、非常に画像が荒く見づらいと思います。また、色調が経年劣化で恐ろしい色に変化しつつありますので、スキャニング後に色調加工をしておりますのでご了承願います。
まずは、小学校6年生の終わり頃、初めて自主的に遠出(勿論、親には内緒で)したときに、何故か大網駅を訪れています。そのときに撮った「東金線」の写真です。
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昭和51年2月15日 外房線 大網駅にて 折り返し待ちの73系東金線普通列車
この頃の房総各線の印象は、気動車が完全に撤退して113系ばかりになっていたと思ったのですが、大網駅に下りたとたんに目にしたのがこの「東金線」73系でした。ただ、この頃は既に末期にあったようですが。新しい駅にこの茶色が妙にミスマッチだったことを思い出します。
と言いますのも・・・
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これ、何の風景かといいますと、大網駅の外房線上りホームからおそらく南西~南の方角を写したものです。このとき以来、大網駅には訪れていないので、どのように変化したか知る由もないのですが、何となく想像がつきます。多分、隙間なんてないくらいマンションや会社のテナントビルなんかが建ち並んでいることでしょう。
大網駅は元々スイッチバックの駅で、現在より東金線方向にあったらしいです。そして、スイッチバックの解消のために駅自体を移転し、現在のところへ開業したということ。その移転からそんなに時間が経っていなかった頃なので、駅前には普通の家すらほとんど無かったような記憶があります。この時点では、駅が移転して出来上がったということも知らず、事情が分かって納得したのは数年経ってからのことでした。
機会があれば現況の調査にでも行きたいところですが、なかなかそのような時間もございませんので、もし現状の写真をお持ちの方、或いはブログで掲載した方がいらっしゃいましたら、トラックバックしていただけると嬉しいです。また、現在同駅を使っていらっしゃる方からのコメントもお待ちしております。
駅前は整備されていて、小奇麗な状態だったと思います。徹夜作業だったので、朝もネムネム状態で退散したので。
タクシーに乗る客が多かったのを覚えてます。
最終電車が出てからの作業だったので、駅前のロータリに車を停めて眺めてました。
高層と言われる建物はなかったように思います。
徹夜での作業は大変でしたね。鉄道関係だと夜間作業になってしまうのは止むを得ないですね。
むかし訪れた駅のホームに立って偲ぶ、いいですねぇ~。
アレって、車内に登り棒みたいな手すりがあって、大人に押されて頭をぶつけ、えらい痛かった記憶があります。
南武線はあまり行ったことがないので良く知らないのですが、昭和54年くらいに新性能化されたのではないですかね。
旧型国電にはいわゆる「ニギリ棒」が付いていますが、あれは握るために付いているのではなくて、車体強度を支えるために必要だったんですね。
桜木町事故では、デッドアースした電気が車体を通り、あの棒に掴まっていた人たちは即死だった、というような話を聞いたことがあります。
その事故以来、屋根周りの絶縁が行われるようになったとか。
昭和49~52年にかけて113-0、-1000冷房車が増備され、それによって捻出された非冷房車の一部は房総ローカルに転用されて、そこにいた72系電車を置き換えてゆき最後に残った成田線での運用をS52年秋に終えたのが房総ローカル72系の最期です。
[参考に南武線の72系引退は翌53年7月ですが、その電車のお別れ運転の様子は、NHKの(首都圏)ローカルニュースでも16ミリ映像入りで取り上げたことはおぼろに憶えてます]
いまやロクサンの後身であった72系を駆逐した113が、今度は平成のロクサンこと209によって211共々房総ローカルから追われてしまうとは、何か皮肉めいたものがあります。
本日はこの辺で失礼します。
房総の最後の旧国は、鉄道雑誌でも取り上げられていた記憶があります。確か、バカデカい虹マークみたいなのではなかったですかね。
せっかくオールセミクロス化された房総の普通列車も、209系の導入によりまたロング化されてしまうというのも皮肉な歴史ですね。